桶狭間 第二部
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開いた口が塞がらなかった。
あんな、頓狂な成りをした野郎が義元だなんて。東海一の弓取り、と言われている男に憧れというか嫉妬の念を持っていたのに、それがどうしたことか、兜はおろか、鎧もつけてはおらず、公家を意識したような装束である。余の事を田舎侍と苔扱いしていた男がこの有様とは。何も、一つも、この男からは男の匂いが感じられない。自惚れで、勘違いで、自己の満足のためだけに、京被れしているだけのようだ。真の美しさ、真の強さが感じられない。
(はっ!? …、…。もしかすると、余が本当に田舎侍で、分かっていないだけで、これが、本当に、都の匂いで、京の雰囲気で、上品というものなのか…、…? だとすればそんな物、糞喰らえ! この戦国の世に、あんな身なりで、戦う気を微塵も漂わせないで、指先と顎だけで、国を治めようなんて、天下を取ろうだなんて、図々しい。大将が、足を使わず、馬にも乗らず、鎧も付けず、浮かれているとは何事だ。{成敗してくれる}その科白は余のものぞ)
(この戦国の世を、生き抜くという事を、貴様如きでは生き抜けぬという事を、思い知らせてくれる)
(しかし、それにしても、こんな、男とは思えぬ男に、織田家は、代々、何年も脅かされ、一時は下に見られ、哀れな時には囲われていたというのか、織田家に限らず、尾張はおろか、相模も三河も、あの甲斐の信玄でさえも怯えていたというのか?)
余の脳裏を様々な思いが駆け抜けた。
義元と思わしき者を守ろうと円陣を組んでいるのは、ざっと三十人弱。はじめ、三万あった大所帯も、分散し、且つ、絞られて、遂にはここまで萎んでしまった。お付きの旗本であろうから、少しは腕がたつであろう。が、それでも、本物の猛者は各所で大将として戦っているはずである。つまり、ここに残されて、総大将を守っている旗本は今川勢の二級品であろう。一級品だとしても、超がつくほどではないだろう。それに比べて、こちら、我が精鋭部隊は尾張の誇る選りすぐりの者達である。そん所そこいらのちんぴらとは訳が違う。
下馬評を大きくひっくり返した。
今や形勢は逆転し、敵の本陣内で、頭数でもこちらの方が数倍は上である。
義元を背中で囲みながら守ろうとする、今川勢の生き残りと、対峙するにはこちらも、自然と円を描く形になる。
こちらがじりじりと滲みより、円が徐々に小さくなっていく。敵方の円も少しづつ小さくなっていく。こちらには、軽く笑みを浮かべる者さえいる。大きな緊張の中に小さな余裕が芽生えてきている。もう、勝ちが見えてきた。後は、誰が、最初の一歩を踏み出すか、それだけである。
日頃から、尋常とは思えぬ稽古を積んでいる、我が愛しき田舎侍たちが、悠々自適とのさばっている、京被れした間抜け侍に負けるわけがない。余も血が騒いできた。久方ぶりに実戦で暴れたくなってきた。
(そうじゃ、この気持ちじゃ。波に乗ってきたこの高ぶりようが好きなのじゃ。これだから、戦はやめられん。頭の中が何やらぱちぱち音をたてて、はじけている。血管が膨らんで、血流が激しくなるのが感じられる。鼓動が破裂せんばかりに盛り上がる。もう、既に勝ちに酔いしれる準備は出来ている。誰でも良いぞ、かかってくるがよい。誰でも良いぞ、踏みだせ! 最後の仕上げを開始しろ!!!)
小平太が飛び込んだ。
円陣を掻い潜り、中に入り込んだ。それを阻止せんと、敵の皆が小平太に意識をとられ、円陣が簡単に崩れた。小平太は囲まれたが、その分、御大将・義元は、がら空きになった。
そこに、こちらの精鋭が雪崩込んだ。
少しのもみ合いがあった。
義元は肥えに、肥えて、武士とは程遠い体系であるが、昔の、若かりし頃はそうであったであろう、東海一の弓取りの名の面影を少しだけ感じさせて、それなりの型の様なものを見せて僅かに抵抗をした。どうであれ、まとっている紫の絹地の大きな布がはだけて、もつれて、絡まって、どうにもならない様子であった。登り詰めたと思っているのは己ばかりで、こちらに言わせれば落ちぶれている。…、…。情けない。
でっち上げでも、噂でも、嘘でも、かませでもなく、本当だったのであろう。
「義元は、この度の戦が、自身で単独で指揮をとるのが初めての戦であります」
そう言われていた。
(いい所の大名の血筋で、大事に、大事に育てられて、京にまで行かせてもらい、学ばせてもらい、お坊ちゃまが御殿様を気取りやがって! つまりは何か!? 四十を超えて、ようやく初陣みたいなものだろう。それでいて、使い方も分からぬというのに、大所帯を作りやがって。数だけ揃えれば勝てると思ったのだろう。京で何を学んだというのだ。京は何を学ばせたというのだ。貴様が言う、この田舎で、この田舎侍の余が、本当の戦を、今、教えてやっている。思い知るがいい。残された、あと、僅か数秒のうちに、戦のなんたるかを、本物の戦の場で感じるがいい。そして、地獄で実践にでも、役立てれば、余と戦えたことに感謝をするであろう)
「獲ったぞぉ~」
叫んだのは新助だった。
威勢良く叫んでいるが、新助も怪我を負っているようで、獲った首を振りまわすその右手から、己の血を吹き飛ばしている。それでも、新助は高笑いで、口を大きく、何かをカッ喰らう様に、まるで大鯰が雑魚を威嚇するように、開けて、喜びと熱と安堵を一度にあらわしている。
「義元の首は、ワシが獲ったぞぉ~」
新助は高笑いの合間に、何度も同じことを連呼した。周りの、他の精鋭たちも、その度に、それに呼応して、一緒に喜びの声をあげた。
新助は義元の長く、乱れた髪を鷲掴みにして、自らの頭上で大きな円を書くように、義元の首をブン回している。その、気違い染みた新助の傍に、余は身を寄せた。
「でかしたぞ、新助」
余は新助に声をかけた。
「アッ、ハッ、ハッァ~!!! ウホッホォッ、ホォッ、ホォッオ~!!!」
新助の狂乱はまだ収まらなかった。無理もあるまい。新助にとっては初の首級であり、しかも、それが、東海一の弓取りと謳われた今川義元なのだから、新助に限らず、誰でも、いかれてしまう事であろう。それに、ここに至るまで、いくら精鋭部隊といえども、失禁や脱糞は当り前の恐怖心と、否応なく強制させられる緊張感があったのだ。それが、瞬時に解き放たれた結果なのである。無意識に暴れて、叫んで、意思や判断という概念の別の場所で、神経が奴を操っているのであろう。だから、おそらく、格闘の最中に義元に食い千切られたであろう指の痛みにも、今は気付いていないのであろう。
「よくやったぞ、新助。まぁ、落着け。後で、褒美をとらす。おぬしも怪我を負っているようじゃ。一先ず、手当てを受けるがよい」
小平太も深手を負っているらしい。
余は小平太の傍にも寄って声をかけた。
「よく頑張った」
「…、…」
小平太は苦笑いで答えるのがやっとで、声も出せない程に強い痛みを感じていたらしかった。
「おぬしにも褒美をとらせる。暫くはゆっくりとしておれ。治療に専念するがいい」
他の者に手当てを受けつつ、その事で守られている安心感と、闘いに一区切りがついた心の休息と、余に認められた事の喜びで、いままで無理やり保っていた意識の繋ぎ目が切れて、小平太は深手が襲う痛みの渦に呑み込まれて意識を失った。
(かわいい奴よ)
そう思えた。
それとは対照的に、義元の首は醜いものであった。初めて見た生首は吐き気がする程に気色の悪さを覚えたが、余も、歳を重ねていくうちに、無数の首を見慣れてしまい、今では、そこら辺の首は何とも思わなくなった。石ころや虫ケラよりも、でかい分だけ、邪魔にさえ感じる始末である。しかし、悪戯に公家の真似事をして、白粉を塗り、紅をつけ、眉をおき、歯を黒くしている、この義元の首は、今までの、それまでの、他の野趣味溢れた無骨な男たちの首とは違って、薄気味悪い。本人は京に憧れを持っているのか、自身を京の者と自惚れているのか、…、しかし、傍から見れば京に被れているだけの、かわいそうな奴にしか見えない。そう見られている事を、本当は知っていて、それを恨んで、憎んで、呪っているのであるが、口にすると、それを認めてしまうようで、自身の内にとどめている。それが悠根となり、死顔にも滲み出てきている。それが故にこの首は、他の誰の首よりも増して気色が悪いのかもしれない。だが、余もここで貴様如きに潰されるわけにはいかないのじゃ!
「ぺっ」
余は、義元の首に唾を吐きかけた。武士の端くれとして、首は手厚く扱うものであろうが、己の弱い部分を払拭したいがために、武士の心得をも捨てて、幼き頃より貫き通してきた、おおうつけの魂をもって、義元の首に唾を吐きつけてやった。
そして、京被れしている己を、周りは嘲り笑っているのであろう、でも、それを口に出したり、態度と行動で、その事に関して嘲り笑う者を打ちのめすと、己の負けを認めているような気がするのが気にくわない、という点が、余にも分かる気がしたのが腹にたった。余も、強い心を持っている振りをしている、と思われるのが嫌であった。実は、この強気は、強がりであって、はったりである、と思われるのが嫌であった。だけど、それを口に出したくない。態度と行動に出したくない。そう思っていた。この、目の前にある、薄気味悪い義元の首と、余は同じ心を持っている。
そこに嫌気がさして、また、
「ぺっ」
と唾を吐きかけてやった。これで、弱かったそれまでの自分、義元と似た境遇、似た心境の自分を捨て切れた気がした。
おまけだ、そう言って、
「ぺっ」
と三度目の唾を吐きかけて、思い切り蹴飛ばしてやった。首はぬかるんだ地面を三、四転して、泥塗れになり、フラフラとした後、止まって、遠くを見る目で、ぼぉ~、としていた。
もう、余には、薄気味悪さを感じる弱い心はなくなっていた。
「行くぞ」
余はそう言って、その場を離れた。
雨はもう止んでいた。
策略通り、行っていたのは、虚勢に過ぎず、この度の戦は、本当のところ、運に助けられた。
正直、もう、こんな危険な戦はしたくない。
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