「桶狭間の合戦まで」 第十三部
第一話から ←クリック
前回へ戻る
←クリック
「桶狭間の合戦まで」 第十三部
そこだ! 義元に弱点があるとすれば、そこだ。京で中国兵法を学んだ事に自惚れている義元は自身の練った策に酔い、自身を褒め称え、その事を家臣に強要さているのだ。そして、策士が策に溺れることが多々あるのだ。というよりも、義元の場合は策士とは程遠い、自惚れ屋に過ぎず、太原崇孚という優秀な軍師に常々厄介なっていた、との事ではあるが、その太原崇孚は、もう、いない。これからは情報戦の世の中になる事を義元はまだ分かっていない。義元は時代遅れなのだ。
義元は悪戯に兵を持ちすぎている。兵の操り方も知らぬくせに、自分は分かっていると、大群の大将軍だ、と勘ぐって、闇雲に駒を振り分け、もて余している。今の、今川からすれば小さな織田を、取り囲み、逃げ場を失わせ、追い詰めて、徹底的に殲滅せんとしている。だから、真正直に正面突破を狙わずに、元康や井伊直盛を先に行かせ、織田方の背後を突くような手を打ってくるのであろう。
(うむ、…、…。しかし、それは、べつに、義元としては悪い策ではないのかもしれない!? こちらが鷲津、丸根に砦を作り、もともと、今川の物であった大高への経路を塞いだのだから、今川としてはそれを取り返さんがためであるのだし、鳴海城もまた然り。それに、もしかしたら、義元としては上洛を目論んでいて、余がたまたまその通り道にいるだけの事であって、余は松平や井伊の様に靡かんもんだから、少々、手を焼く、そんなところではないか?)
余は、自問自答をした。
(いやいや、もし、義元が上洛を考えているのであれば、浅井氏や六角氏、更には北畠氏にも手を廻しているだろう…、…、しかし、それはしていないようである。織田家に攻め入るのは、織田家が、これまでの対今川の歴史を振り返って、「はい、そうですか」と手を組んでくれるような事はない、と義元が承知しているからであって、それ以外の浅井や六角や北畠には、甲斐の信玄や相模の後北条と同盟を結んだように、義元は西にも形上の仲間を作るはずだ。義元は己が戦を下手だと本当は知っていて、戦が嫌いであり、それよりも、好きで、得意な、政治力で登り詰めようとするはずだ。…、しかし、西には同盟国を作らない。やはり、義元は上洛が目的ではないと見える)
義元の兵が、当初の三万や四万というのは改竄であろう。それは、義元の策かもしれない。実質は二万五千くらいであろう。石高からするとそれ位であろう。虚勢を張って、四万とさばをよんでいるのであろう。そうすることで余を帰順させようとしているのだろう。余の家臣は恐れをなして、籠城だの、服従だの、と唱えておるが、余は交戦する気が満々としている。
義元は各地に兵を分散した事で、二万五千あった勢力が、尾張に踏み入る頃には、一万五千程に減っている、と考えられる。足止めをした要所で兵を置いていくであろう。
「しかし、一万五千か…、…。それでも、こちらの三倍から四倍の兵力であるなぁ」
頭数では三倍だ。
だが、ここで、気持ちの切り替えようだ。たったの三倍しかいない、ととらえてみよう。もともと、十倍と思い込んでいたのが実際は三倍しかないのだ。わずかに三倍だけなのだ。家臣たちも、十倍の力の差があると思って挑んでいたのが、試してみたら、それほどに差がない事に気付くと、自分たちの力が意外にあるのではないか、と思い、勢いがつく。
(これはいけるぞ! ひょっとしたら勝てるぞ!)
つづく ←クリック