『W・Yさん』に送った手紙・・・。 | fadoおじさんのblog~明日の君に~

fadoおじさんのblog~明日の君に~

子ども達の未来を共に考える、小さな個別指導の学習塾の先生fadoおじさんのblogです。

 今年、大学を卒業して一人の女性が「看護師」として、社会へと旅立った。

その女性は、W・Yさんという卒業生です。彼女は中学校から高校へと進学するとき、卒業生の中心になり、色紙に私の似顔絵と「○○先生ありがとうございました」というメッセージと卒業生全員の寄せ書きを書いて私に贈ってくれました。

 その色紙は「私の宝物」として私の部屋の壁に飾られています。

 

 誰もが長い人生の中で、何度かは「心の中に悔い」を残すような苦い経験があることと思います。7年前から私の心の中に瘡蓋(かさぶた)のようにこびりついていた「悔い」が、この春、漸く剥がれたような気がします。

 

 5年前の10月のこと、私は、その日の授業を終えて自宅に帰った。いつものように服を着替えていたとき、妻が「誰かわからないけど、さっき○○先生いますか?という電話が来ていたよ。生徒さんだと思うけど・・・」と言った。その時、ちょうどタイミングよく電話が鳴った。夜も11時になろうとする時間であった。「こんな遅くに誰かな?」と思いながら「はい○○です」と電話に出ると、「○○先生、Wです・・・」・・その後、電話の向こうから泣き声が聞こえてきた。そして私はその泣き声を聞いた瞬間に、彼女の気持ちを理解した。私は「明日から、こちらの教室に勉強しに来なさい」と言って電話を切った。大学受験も迫り、彼女は受験勉強に不安を抱え、誰か「後ろを強く押してくれる人」が欲しかったのだ。

 

 私が、W・Yさんと出会ったのは、今から9年前のことである。その年の4月、私の塾は新しい教室を立ち上げた。当初は他の先生が担当することになっていたが、その先生の事情により私が担当することになった。私は、その時すでに2つの教室で指導していたので、その年の春からは3教室の責任者を引き受けざるを得なくなったのである。私は、体力的なきつさ以上に精神的な不安を感じていた。

 

 W・Yさんは、その時入会してきた生徒である。新学期から中学2年生になるという彼女は、目鼻立ちのハッキリとした涼しい顔に、少し、今どきの女の子のような派手な感じがした。しかし内面的には、大変にまじめで努力家であった。入会してすぐに私とW・Yさんは、目標とする高校をH高校に定め、車の両輪のように素晴らしいコンビネーションで学習を進めて行った。

 

 しかし、私は、週4回主力とする教室で指導し、残りの2教室は1回ずつ指導するという、若い人であれば未だしも、年齢的に大変過酷な状況であった。また、私が指導できない日は、私の教え子が指導にあたってくれた。そして彼女が中学校3年生の1月、私は2年間にわたる過酷な指導で体調に異変を来していた。3教室を責任者として担当するという無理が祟ったのである。定期試験の迫った日曜日などの補習は、午前・午後・夜と、朝の9時から夜の9時かで3教室の指導を行った。また、講習会の時は、午前9時から午後4時までは主力の教室で指導し、その後9時まで1日おきに2教室の指導・・・こんな状況で長続きするはずはなかった。体には疲労が蓄積され「疲れが取れない」「ストレスがたまる」という状況が続いた。私のそんな状況を見て、はじめにその教室を担当するはずだった先生が「私がその教室の指導をします。任せておいてください」と言ってくれた。

 

 体力と精神的に追い込まれていた私は、素直に彼の申し出を受け入れた。そのことは結果的に、W・Yさんをはじめとする、その教室の中学3年生を遠くから眺めるだけになることを意味した。「志半ば」、しかも受験直前で教室を離れることは大変につらい決断であった。私は、彼らや彼女たちの顔を思い浮かべながら、心は重く沈んでいった。特にW・Yさんとは、約束を果たすことなく・・・。そして私は自責の念に駆られ彼女に一通の手紙を送った。

 

 次回は、私がW・Sさんに送った手紙を紹介させていただきます。

 

 Blueさんのために。 「トゥクマンの月」(Luna Tucumana)

 作詞・作曲・歌とギター アタウラアルパ・ユパンキ(Atahualpa Yupanqui)

 

 You Tube https://www.youtube.com/watch?v=70WmQk96Btc  

 

 私が月に歌うのは

 月が美しく輝いているからではない。

 月は私の人生を共に歩いてくれた友達だから歌うのさ。

 ツクマンに照る月よ

 ガウチョの道づれよ!

 お前は雲にかくれて私を道に迷わせるときもある。

 だが雲から顔を出してくれたときは歌おう。

 わが愛するトゥクマンの月に。

 孤独の月よ

 お前と私は似た身の上じゃないか・・・

 

 『1948年発表の曲、アルゼンチンのフォルクローレの第一人者、アタウアルパ・ユパンキの有名な曲。「トゥクマン」はアルゼンチンの有名な都市、サン・ミゲル・デ・トゥクマンのことです。』

 

 トップゼミナールのホームページはこちらから http://www.topzemi.co.jp/