昨日の将棋、小学生 (および未就学児) が結構来てくれました。

開始して2人目、(恐らく未就学の) 女児と対局しました。駒の動かし方も何度も間違えていましたが、何とか勝たせてあげることができました。

それを見ていた男児 (恐らく小学校低学年) が「次は僕」と言ってきたので対局しました。

その子は一応矢倉が囲えるのですが、さっきの女児との対局を見ていたので「さっきは手を抜いていたでしょう」と言ってきたのです。

こういう時って、どう回答したらいいのでしょうね。私の棋力では、偽装は難しいです (傍観者に気づかれないように冒頭の女児に負けてあげることが難しいです)。

表題の記事を読みました。いくつか抜粋します。

日本がデジタル化で他国に大きく遅れを取り、いつまでもアナログ国家をやっている。

この点について自覚がない日本人が未だに多いと感じています。

発展途上国と比較したらまあそれなりには進んでいますが、先進国の中では本当に、本当に遅れています。

一般の人に広くPCが普及したWindows95は今から30年前のこと、現在のお年寄りも当時は40代くらいだった。現在、「自分は一切、PCを触れない」といっている人は30年間もの期間、「これからITが中心の世界になる」とメディアや周囲の盛り上がりに包まれながら、それでも頑なに何も理解するための行動をしなかったというだけである。

この線引きは妥当ですかね。そこはよく分かりません。

会社でも役所でも、一人でもITが苦手な人間が入るとそこにあわせた設計になりがちだ。本来はデジタルで効率的に処理をしたいのに、紙の運用になったりして全員が非効率性を我慢することになる。

ホント、この傾向は今までの職場でも見てきました。

詳しい話をここに書きたい気持ちになります…が、残念ながら書けません。ただ、「ちゃんと電子化すれば効率は数十倍~数専売くらいになるのに」と思いながらも、IT 化を受け付けようとしない人の説得が大変で見送った経験は、数えられません。

デジタルデバイド、という言葉が2000年代に流行ったが本来の意味は「ITインフラが整備されていないことで生じる格差」というものだったはずだ。日本におけるデジタルデバイドは「やりたくない」と駄々をこねて周囲にアナログ対応をさせているだけである。もうできない人に合わせて非効率な社会設計を維持する余裕はないはずだ。

今の将棋界もこの状態だと思います。

幸いなことに、私の支部はそれなりに効率化が進んでいて勤労世代でも無理なく支部役員ができる体制になっています。

駄々をこねる人 (IT に適応しようとしない人) に対応し始めると、その作業が莫大になります。

例えば事前申し込みをしないで当日例会会場にやってきて参加しようとする人が増えると、前日準備が意味をなさなくなり、当日負担が激増します。「非効率な負担が激増しても、オレは将棋普及のために尽力するんだ」みたいな覚悟がある人が何人もいるならいいのですが、私のようにそんな覚悟がない人間は非効率な場から去っていくでしょう。

まあ、実際には非効率な方式になっても2年間くらいはもつでしょう。もちますというか、運営担当者が「ああ、オレはなぜこんな非効率な方法で無駄に労力を投入しているんだろう」という無力感を蓄積していって、それが許容量を超えて将棋界がイヤになるまでの期間が2年間くらいだろう、という予測です。


ただ、将棋大会についてはちょっと悩みます。特に、全国大会に繋がる県大会の類は、申し込み方法をどこまで IT 機器に限定していいのか、という問題意識があります。

先ほどの話にある通り、Windows 95 がこの世に出てきてから約30年経つわけですから、現在75歳くらいの方が「IT 機器は苦手」と主張してもその8~9割くらい (恐らくはもっと多く) は怠慢だと思います。でも、ずっと生活が苦しくて5万円程度の PC を買う余裕が30年間に1度もなかったとか、PC に取り組む前に片腕に障害を負ってしまってうまく操作できないとか、そういう本人の責に帰さない理由による人もいると思います。

多くの大会は、理想としてはそういう方々にも開かれている状態でありたいでしょう。ただ、それをやると運営側の負担増になります。(特に当日受付はものすごい負担増です。) 運営が過剰負担になると、今度は運営を担える人が減り、運営員1人あたりの負担は更に増します。そして後継者が見つからなくなるのです。(邪推ですが、大会運営員がある種の人身御供になっている組織も少なくないのではないかと思います。)

結局、「大会申し込みがどれくらいの人にまで開かれているか」と「運営負担の軽重」とで天秤にかけて決めるしかないような気がします。

仕事から属人性を排除すべきか。かつて職場の同僚と議論したことがあります。

業界によっては属人性をなるべく排除するほうが望ましいところもあります。McDonald's はまさにそうですし、恐らく多くの小売店もそうです。

でもこの主張はかなり危険です。特に「誰でもできる方法で」を主張する人が出てきたら、物事は停滞します。


属人性排除を主張する人は「その担当者がいなくなったらどうするのか」なんてことを根拠にしているのだと思います。

でもそこで考えるべきは truck number (一部の担当者が truck に轢かれても運営が進められる最小限の担当人数) であって、「誰でもできる方法」は必要ないのです。

もっと言うと、「A さんが担当している間は A さんができる方法で、A さんがいなくなったら fall-back して別の方法で」でもいいのです。


この「誰でもできる方法で」という主張、「オレは情報機器は苦手だから触らない」という主張と組み合わさるとかなり凶悪になります。

例えば X さんという人がいて、この人が「誰でもできる方法で」と「オレは情報機器は苦手だから触らない」の両方を主張すると、X さんが使わない方法は「誰でもできる方法」に該当しませんから、どんどん組織の足を引っ張ることができるのです。


将棋界はそんなにひどい状況ではないと思いますが、各地の町内会はこういう状況に陥っているところも少なくないのではないかと思います。

恐らく殆どの町内会は高齢者が中心で、前例主義に則ってとても非効率な方法のままだと思います (でもここ数年でちょっとだけ変化を感じてはいます)。

非効率なままですから、業務量が大変多いのです。そのために勤労世代は町内会を敬遠し、また改革も進まないので役員が当たった時はその1年間を乗り切ることだけを考えて活動します (改革するために必要な労力が莫大なので誰にも改革できないのです)。

私が町内会の会長を担当していた時に感じたことですが、町内会の改革は時代の変化に全く追いつけていません。自分たちが本当に必要だと思う活動だけをやるなら (自分たちの力量に見合う活動量にするなら) まだ存続の可能性もあると思いますが、誰か1人が「あれも必要、これも必要」と言って多くの業務を残そうとする発言をすると改革できません。そういう発言をする人を説得するだけでものすごく負担になるので (私が会長職を終えた後ですが、実際そういう人がいました)、誰も改革しなくなり、ある日突然破綻します。


「誰でもできる方法で」という主張をする人がいたら、その内容を疑う方がよいと思います。そういう主張が必要な業界もありますが、殆どの場合は truck number だけを気にすればよいです。

例えば Swiss 式ってかなり良い方式だと思うのですが、「オレは Swiss 式は計算できない」って人も少なくないと思います。でも、Swiss 式が計算できる人は最小限いればいいのです。殆どの場合、2人いればまず大丈夫です。1人が truck に轢かれてももう1人で運営できます。(さらには、Swiss 式を計算できる人が来れなくなったらそれ以外の簡易な方式に fall-back すればいいのです。この場合、Swiss 式の計算ができる人は1人でよいです。)

でも「誰でもできる方法で」という主張をする人がいたら、その支部は永久に Swiss 式の大会を運営できないでしょう。


あ、書き忘れていました。大会運営で重要な立ち位置にある人 (恐らく2~3人) は、同じ列車に乗ることも、同じ食事を食べることも、どちらも避ける方がよいです。会社の社長と副社長が同じ飛行機で出張したりしないことと同じ理由です。

数日前、blog を書きながら「運営人員指数」なる指標を思いつきました。具体的には以下の3つの要素です。

  • 運営人員指数 (平日昼) : 市町村にもよりますが、ここの数値が高いほど平日昼間に公民館の部屋の確保に動きやすくなります。また、将棋大会で模造紙を使ったりする場合でも買い出しがしやすくなります。公民館から「今日 (週末) は館長が不在だから平日昼間に出頭せよ」(ほぼ実話) みたいなことを言われても対応が容易です。
  • 運営人員指数 (平日夜) : ここの数値が高いほど事前申込方式の将棋大会の準備がはかどります。事前に申し込みを締め切ることができれば、参加人数も確定し、対局表の作成も容易になります。PC で対局表を組んでしまえば A3 や A4 の大きさに分割することも容易ですし、大会前夜までにその文書 data を netprint あたりに放り込んでおけば、大会当日に自分の体調が悪くても他の運営員に印刷を依頼することができます。
  • 運営人員指数 (週末) : ここの数値が高いほど当日の運営 (特に受付開始から第1局開始まで) が短時間で済むようになると思います (効率的かどうかは別の話です)。例えば、優秀な運営人員が10人~20人くらいいたら、50人規模の子ども大会で受付開始から30分以内に第1局を開始することもできるのではないかと思います。

うーん、あまり美しくない定義ですね。

私の支部は、「運営人員指数 (平日昼)」が0人程度、「運営人員指数 (平日夜)」が5人程度、「運営人員指数 (週末)」が2~4人程度、という感じです。当日受付方式を採用していたらまともに運営することができない人数です。(受付開始から第1局開始まで90分くらい子どもたちを待たせていいのなら当日受付方式でも運営できますけどね。)

高齢者が中心の支部だと、恐らく3要素ともかなりの人数がいるのではないかと思います。しかし、運営の後継者を探すには効率化を進める必要があるだろう、というのが私の意見です。

fulltime 勤労者の場合、最も運営に貢献できる要素は「運営人員指数 (平日夜)」です。大会運営業務をなるべくここに押し込むことができれば、勤労世代ばかり少人数でも将棋大会が運営できるようになるだろうと思います。だからこそ事前申込方式が必須であり、当日受付方式に後戻りしてはいけない、という強い思いを持っています。

誤解される可能性があるので、私の考えを補足しておきます。

Q 当日受付方式では将棋界の未来はない、と考えていることは本当ですか?

A はい、本当です。将棋普及の主戦場は子ども (特に幼稚園児~小学校低学年児童) であり、引率する保護者はほぼ 100% smartphone を持っています。事前申込方式にすると運営側の負担が激減します。

Q 私の地域では当日受付方式でうまく運営できていますが、それでも事前申込方式に変更する必要はありますか?

A いいえ、運営人員の後継者が充分にいるのであれば、急いで変更する必要はないと思います。私見ですが、勤労世代の中から「今の方式でも今後ずっと将棋大会の運営を手伝いますよ」という人が4人いれば、時間に猶予があると思います。

Q 私は当日受付方式なら運営を手伝えますが、事前申込方式になると今から情報機器操作を覚えなければならず、大きな負担です。それでも情報機器操作を覚えなければなりませんか?

A いいえ、「〇〇方式なら運営を手伝う」は個人が自由に決めてよいことです。負担の大きさと将棋界の未来とを天秤にかけて、自分の感覚で判断するのがよいと思います。

Q では現時点で運営員全員が「当日受付方式なら運営を手伝う、事前申込方式なら手伝わない」と考えている場合、そのままでもよいということですか?

A 「そのままでもよい」とは思いませんが、そういう方々に情報機器操作の学習を強制することもよいとは思いません。ただ単に、そのままだと将棋界の未来はない、と予測しているだけです。

Q 将棋界が衰退するとしたら緩やかに進行しますか?

A 日本全国で見れば緩やかだと思いますが、地域ごとに見ればある日突然破綻するように見えるのではないかと思います。勤労世代を中心に、表面化しない不満が少しずつたまっていき、体力面などの理由で高齢の運営員が抜けていくと、1人あたりの負担がどんどん大きくなっていき、その負担量が限界を超えたときに「〇〇地区ではもう〇〇将棋大会は開催しません」と表面化するのだと考えています。

Q 事前申込方式にすれば全ての問題が解決しますか?

A いいえ、全ての問題が解決するほどではありません。(私の主観ですが) 当日受付方式と比較して運営側の負担が 5%~30% くらいに減る (95%~70% くらい削減できる)、という程度です。

Q 運営側の負担が 5% まで減る見込みがあるのですか?

A SaaS として大会運営 server が運用されれば、運営側の負担は体感で 5% くらいまで減るだろうと考えています。ただ、development の問題、hosting の問題、API 整備の問題があるので、すぐ実現することは難しそうです。

Q 事前申込方式では高齢者切り捨てになりませんか?

A そこは天秤の問題だと思います。「高齢者のためなら、運営員がどれだけ負担で苦しんでも構わない」という意見には賛同しませんが、「運営員の負担減のためなら高齢者を躊躇せず切り捨てても構わない」という意見にも賛同しません。過大な負担を押し付けることなく運営員の後継者が見つかる運営方法を採用することの優先度は高い、と考えています。

Q あなたの主張に従ったら将棋界の未来は安泰ですか?

A いいえ、そこは分かりません。個人的には、将棋界の衰退速度と運営効率化速度 (≒普及効率化速度) との争いになると考えています。現時点で私が考える閾値は、県代表を決める小学生大会の参加人数が8人以下になるかどうかです。そこに達するまでにどれだけ運営を効率化して将棋普及に力を入れることができるか、が重要だと考えています。

Q なぜ強い主張をするのですか?

A すでに事前申込方式が実現できているところでも当日受付方式へ逆戻りさせようとする意見があるからです。運営人員が豊富なら (例えば子ども大会で受付開始から20分以内、30分以内に第1局を開始できるほど運営人員がいるなら) 当日受付方式にしてもよいと思いますが、根本的に当日受付方式は事前申込方式と比べて何倍も負担が大きいものですから、多くの地域で事前申込方式が採用されていく流れは止められないと思います (また、そうしないと将棋界の未来はないと思います)。

私見ですが、McDonald's での注文・決済は合理的でとても便利だと感じています。

最近 McDonald's に行っていない方向けに説明すると、私の場合は以下の順序です。

  1. 店に入店する何分も前から McDonald's の application を起動して、入店予定の店舗と注文したい品を事前に選んでおく
  2. 好きな空席に座る
  3. 座席番号を入力する
  4. 決済方法を選んで決済する (私は PayPay)
  5. 店員が座席に運んできてくれる

counter に並んで注文する人なんて、かなり見かけなくなりました。counter 近くに立っている人の大部分は注文済みで take out 品待ちの人です。

あのごちゃごちゃした列が殆ど解消されているだけでもありがたいですし、重たい荷物があっても並ばなくてよい点もありがたいです。入店したら満席であることが分かってもすぐに別の店へ行けます。立って待つことがないのです。


2012年には「マクドナルド、カウンターのメニューが消えた理由」なんていう記事も出てきましたが、そもそも counter まできてやっと menu がみられるという状態がおかしいのです。menu は情報に過ぎないのですから入店前から menu を見られるなら (さらには注文できるなら) その方がよいのです。

counter 前のごちゃごちゃした列を解消するための取り組みとして、今の私はこの取り組みを評価しています。

McDonald's は今も私の有力な昼食選択肢の1つです。価格は安いし、味は悪くないし、そしてやはり数秒たりとも時間を無駄にしない点に好感が持てます。「今、〇〇駅で乗り換えるところだけど、次の列車は〇分後、その次は更に10分後、移動のどこかで昼食を食べないといけないけど、この〇〇駅の McDonald's で食べていくかどうか」みたいな判断を迫られることが多いので、時間を無駄にせず、また店舗での自分の滞留時間を予測しやすい点で本当に McDonald's は便利です。

言い換えると、合理的 system であるからこそ私は McDonald's を選んでいるわけです。将棋大会の参加受付から第1局開始まで長時間待てない子どもと同じようなものだと考えて下さい。


ここをお読みの方に考えていただきたいです。

大都市圏の乗換駅で飲食店を運営しているとして、私のような乗り換え客を相手にする場合、人件費・賃料・販売価格・客にとっての待ち時間の面からこの McDonald's と同等の運営ができますか? 電子化・効率化しないと無理だと思いませんか?

もちろん、「今、40分間も余裕がある」みたいな人が相手なら別の携帯の飲食店もありえます。ですがここでは客の待ち時間を最重要項目として考えていただきたいです。


ここで将棋の話に戻ります。

初心者の子どももやってくる将棋大会で、受付開始から30分後に第1局を開始するとしたら、どのような運営になりますか? (本当は20分後がいいですが、とりあえず「30分後」で考えてみて下さい。)

人件費→運営人員、賃料→会場費、販売価格→参加費、と考えると McDonald's と同じような要素が含まれるといえると思います。

当日受付、その場で子どもに参加申込書を書かせて参加費を受け取って、申し込みを締め切ってから人数を数えて対局表を作って、なんていう方法で待ち時間を30分以下にできますか?

厳しい書き方をしてしまいますが、当日受付方式には将棋界の未来はないと思います。(ものすごい合理化を進めれば不可能ではないとも思いますが、現時点では私でも実現できません。)

今の将棋界は悪い意味で選抜方式です。ワクワクしながら初めて将棋大会に来た子どもに対して「〇分間待てないなら将棋大会に来るな」と宣言しているに等しいと思います。

だからこそ、私は「当日受付方式にしよう」という主張に強く反対しています。人員が豊富な地域であれば当日受付でも待ち時間をそれなりに減らすことができると思いますが、日本のほとんどの地域では当日受付方式はなりゆかなくなる (現在運営を担当して下さっている方々が体力面や健康面の理由で引退したら破綻する) と考えています。


今日の blog 記事を書いていて、「運営人員指数」なる指標を思いつきました。後日書きます。

前回、運営の合理化全般の話をしました。今回は子ども大会の話をします。

私の県より恵まれている地域も厳しい地域もあると思いますが、私の県のような状況を前提に考えていただけると幸いです。

  • 県内では、小学生名人戦と倉敷王将戦以外の小学生将棋大会は2つくらいしかなく、どちらも県外の子が優勝することが多い。
  • 県内で小学生が日常的に将棋を指せる場は殆どなく、最大規模の場は月1回の頻度で参加者15名程度である。
  • 将棋教室は、プロ棋士によるところが1か所、普及指導員などによるところが数か所あるだけである。
  • 県内の支部例会の参加者の大部分は高齢者である。

で、将棋を指し始めて「色々な子と指してみたい」と考えている子とか、「級友と将棋を指したらいつもオレが勝つ、だから大会で腕試しをしてみたい」という子とかが、前出の県大会に来るわけです (1年間で4つくらいしか大会がないので、他に選択肢がありません)。

そういう子が将棋大会に来たら、1局3分とか5分とかで終わってしまいます。(なぜか) 将棋界で普及している「午前は2勝通過、2敗失格」方式だとしたら0勝2敗で、しかも総対局時間10分弱とかで終わりです。


プロ棋士を呼んで指導対局を実施する、というような話はとりあえず脇に置いておくとして、上記のような子が参加する将棋大会で、その子の受付から第1局開始まで何分間待たされるのが許容上限でしょうか。(将棋大会慣れしていない子とその保護者ほど受付開始時刻前に会場に到着するので、受付開始時刻を起点に考えることとします。)

皆さんが将棋大会に行くことがあれば、受付開始時刻から第1局開始時刻まで何分間待たされるか計測してみていただきたいです。より正確には大会チラシに掲載されている開始時刻から第1局開始時刻までです。

前出のような子は「オレの最大の趣味は将棋だ」なんて確定していないのです。色々な遊戯が存在するこの時代、たまたま興味を持って将棋大会に来たに過ぎないのです。その子が「待ち時間長すぎて将棋がいやになった」と感じない程度の待ち時間の上限って何分間くらいですかね。


私の息子が小学生の頃、だいたい70分間くらい待たされることが多かったです。初めて連れて行った県将棋大会なんて、開始時刻が9時と表記されていたから「第1局が9時に開始する可能性がある→受付は8時40分くらいに締め切られる可能性があるだろう→余裕をもってかなり早く会場に行こう」と考えて、結局2時間近く待たされたような記憶があります (少なくとも1時間半以上は待ちました)。

途中からは息子は午前は確実に勝ち上がれるようになってきたので、対局数も対局時間も増えて大会への満足度は上がってきました。大会への満足度が上がれば、待ち時間が長くてもあまり気にならなくなります。


でも、前出の2局10分間弱のような子が70分間とか待たされたら、どう感じるでしょうね。

言い換えると、受付から70分間またされてやっと第1局始まったら3分間くらいでコテンパンにやられて、2局目はちょっと手ごたえを感じたけど5分間程度で負けた、みたいな子が「また将棋大会に来たい」と思うかどうか、ということです。

会場に着くまで交通機関に乗っている間はワクワクしているからいいんですよ。問題は、大会参加の受付をしてから1局目開始までのイヤな時間です。

傲慢な書き方をしてしまいますが、有段者の方とか、将棋大会に参加したことがある方とか、お子さんがいない方とかにはこの感覚はなかなか分かってもらえないと思います。自分自身が将棋を指さない保護者のみが分かる感覚ではないかと思います。

で、この時間の短縮は運営の効率化と強い結びつきがあります。


受付開始から10分後に第1局を開始できたら、子どもの感覚としては「待たされた」感がないと思います。ただ、参加費決済などを考えると実現は結構厳しいです。

受付開始から20分後に第1局を開始できたら、子どもの感覚としては「少々待たされた」程度だと思います。従来の方法の延長上の運営効率化はこのあたりが限度な気がします。

受付開始から30分後に第1局を開始できても、子どもの感覚としては「かなり待たされて飽きた」と感じると思います。将棋界に新規加入してくれた子どもが将棋界に残ってくれる許容範囲 (大会が嫌になりにくい許容範囲) もこのあたりでしょう。

将棋ではないのですが、以下の呟きを引用します。

いまだにカン違いしてる経営者や職人さんが多いんですが、「厳しく突き放しても、根性で食らいついてくるヤツを引き上げる」とか「背中を見て覚えさせる」というのは「育成」ではなく、単なる「選抜」です。
人が大量に採れる時代はなんとかなってましたが、若者が希少価値の今それをやると破綻します

真似して書きます。未だに勘違いしている大会運営者が多いんですが、「第1局開始まで〇分間待たされても平気な子になってもらう」というのは「育成」ではなく、単なる「選抜」です。子どもが大量に将棋界に流入してくれる時代はなんとかなってましたが、子どもが希少価値の今、それをやると破綻します。

まあ、将棋大会が嫌いになるかどうかは全敗するかどうかの要因の方が大きいんですけどね。こういう待ち時間のような要素も侮れないのです。そして保護者から「将棋界ってのはダメですね」みたいな批判が寄せられて、子どもは将棋界を離れて他の遊戯に行ってしまうわけです。


で、この「30分」を実現するのって、当日受付だと不可能だと思いませんか?

私が事前申し込みに拘る理由はここにあります。また、もっと多くの子ども達に将棋を楽しんでもらいたいという思いから運営を改善したいと思っている点の1つでもあります。

強い書き方をしてしまいますが、運営の効率化を進めなければ将棋界は生き残れないと思います。

…すみません、ちょっと言いすぎました。大都市圏の中心駅から500円圏内や、特に将棋が盛んな地域であれば、多分まだ猶予があります。効率化しなくてもあと10年か15年くらいは子どもが流入してくると思います。それ以外の地域 (恐らく日本の大部分) は現時点の効率化が今後を強く左右するでしょう。


囲碁界の方には申し訳ないのですが、今の囲碁界の姿が将来の将棋界の姿だと感じています。県代表を決める大会なのに参加者が1人、なんて段階まで進んでしまうと打てる手がかなり限られてしまいます。

ここ1年間くらい、私事で忙しくなったことも原因なのですが、例会への出席率が落ちてきました。

自分の中の将棋熱が少し冷めてきているような気がしています。


振り返ると、私が将棋界に関わり始めてから今までの間に私の将棋熱が萎えるような出来事がいくつかありました。

  • 例会は当日参加 OK にしよう、という提案
  • とある将棋大会 (の運営) でちょっと理不尽な制約が上から降ってきたこと (事情は分からなくはないのですが…)
  • 私が住む市の公民館制度が県内 (の市の中で) 最悪であると判明したこと
  • 私が住む市のとある制度の改悪で小学校区内の将棋の場が1つ潰れたこと (恐らく市の担当者は「改善した」と思い込んでいるので、救いようがない事態です)

10年以上将棋界に関わっている方は、恐らくどなたも色々な出来事に遭遇しているんじゃないかと思うのですが、そういう出来事を乗り越える原動力はどういうものなのかな、なんて考えたりもします。


現時点の私は「将棋という文化を子ども達に伝えたい」と思っていますが、その根源のところには「別に将棋じゃなくてもいい」という思いがあります。

完全情報遊戯で、基本的に体力や腕力が不要で (純粋に頭脳力だけで勝負できて)、子どもでも強くなれば大人を打ち負かすことができて、戦法なり囲いなり学習に適する題材が揃っていて、PC による解析や評価値という楽しみ方もできて、…などなど将棋の魅力は列挙しきれません。ただ、これらは将棋だけの特性ではなくて、恐らく囲碁も似たような特性を持っていると思います。囲碁人口が多かったら、私は囲碁を選んでいたかも知れません。

棋力が近い相手がそれなりにいないと将棋の楽しさは極端に変わります。なので、将棋界はある程度の規模を維持したままでいないと、将棋の魅力は激減します。

で、まあ、少子化・人口減のこの時代、将棋界は各種の運営をかなり合理化しないと生き残れない、という強い思いを持っています。なので、前出のように時代に逆行するようなことがあると気持ちが萎えてしまうのです。


勝手な予想ですが、大都市圏の中心駅から500円圏内の将棋の場は、とりあえず今後15年間くらいは新規の子どもがそれなりに流入してくると思います。それ以外の地域は、将棋が盛んないくつかの地域を除いてもう危機的な状況だと感じています。

私の県で言えば、今ならまだ新規の子どもが将棋界へ少しだけ流入してきています。少人数の fulltime 勤労者だけで将棋大会が運営できるくらいの合理化を推し進めることができる機会も今だけだと感じています。

感覚的には、fulltime 勤労者 (毎日午前7時に自宅を出て20時に帰宅して22時~23時に就寝し、月に2~3回の土日出勤や出張がある人) 2~3人で50人~64人規模の将棋大会が運営できる程度の合理化を想定しています。

大会運営も、大会参加者を極力待たせずに運営できるようになる必要があると考えています。

今回はこの呟き

友人が子どもの習い事の月謝を先生に渡したら、
「今後あなたが恥をかかないように言っておきますが、こういう場合は新札(ピン札)がマナーですよ」
て注意されたらしい

で、これについて解説した呟きもありました。

プロになるとプロフィールに「〇〇氏に師事」と書いたり、「月謝」って言葉を使うことからもわかるように、考え方が現代の「サービスへの対価・料金」というより「師匠へのお礼金」って文化なのよな。そういうのが嫌なら、個人の先生じゃなく大手グループの教室とかにすると良い。

「師匠へのお礼金」は「サービスへの対価」そのものだろ、というツッコミ(*)は脇に置いておいて、何というか、すごい業界もあるものなんですね。

もちろん、その業界がどういう慣習を採択するのかはその業界の自由ですし、そこに口をはさむつもりはありません。

問題は、「新札がマナー」などという慣習によって、生徒さんが「大手グループの教室」とかに行くのではなくそもそもその習い事を辞めてしまう可能性がどれくらいあるか、です。

「新札も用意できない生徒はこの習い事を辞めてもらって構わない」と言えるくらい人気がある業界ならこういう慣習もアリですし、たとえそうでなくても「我々の業界は先細りしても構わない」というのであればそれもいいと思います。

ついでにこの呟きを取り上げます。

これ今どき古いとかキャッシュレスでいいじゃんとか慣習怖っとか前もって言っとけみたいな拒否反応示すリプ多いけど、ピン札もらったら自分でもちょっと得した気分になると思うのにそういうちょっとした相手への気遣いを惜しむのはもう文化が違うからお互い関わらない方が良いよね…って思ってしまう。

私にとってピン札用意は半日分の年次有給休暇の消費と引き換えなので、それを「ちょっとした相手への気遣い」などと表現する人とは相容れなさそうです。「お互い関わらない方が良いよね」ってのは 100% 同意します。自分の子どもがその道で食っていこうとしているなら私も年次有給休暇を消費してピン札を用意しますが、それは「ちょっとした相手への気遣い」ではありません。単なる習い事であれば、その業界を避けるだけです。


何というか、習い事間での子ども争奪の時代に於いて、こういうすごい業界もあるんだな、と認識しました。

将棋界にはそんな余裕はないので、なおさらすごいことのように感じます。


(*) 対価というものは「モノ (有形) への対価」「service (無形) への対価」の2種類です。師匠は、何かを教えるという service をしてくれて、その対価を払うのですから、これは典型的な「service への対価」です。