山あり谷あり、波乱の人生ドンブラコ!
ようやくたどり着いたあこがれの年金生活
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世界から一流のアスリートたちが集った、世界陸上東京大会も終了しました。
ところで、私は常々「どうして?」と、疑問を抱いていた競技種目があります。
それはフィールド種目の「三段跳び」です。
走る・跳ぶ・投げるという陸上競技の基本動作は、もともと戦士の技能や軍事訓練が起源という説には納得なのですが、この三段跳びだけは「なぜ3回も跳ぶのか?」「なぜ足が交互ではないのか?」という素朴な疑問が頭から離れませんでした。
そこで今回は、このユニークな競技の起源と、驚きのルールの秘密に迫ってみました。
陸上競技の起源は戦士の訓練!三段跳びだけ異質な誕生秘話
陸上競技の種目の多くは、古代より人類が生きるために行ってきた「走」「跳」「投」の三つの動作が起源になっているといいます。
たとえば、早く走ることは敵から逃れたり獲物を追ったりするのにたいせつで、槍投げや円盤投げは、戦場で敵を倒すための軍事訓練と深く関わっていたという説が有力です。
これらの種目は、「より速く、より高く、より遠くへ」というシンプルな目標のもとで発展してきたそうです。
しかし、三段跳びの起源は、古代オリンピックの五種競技として生まれた走幅跳とはすこし毛色が違っているといいます。
三段跳びは、古代アイルランドで行われていた「水たまりをいかに少ない歩数で渡りきるか」という遊びが競技になったという説が有力になっているそうです。
古代オリンピックの記録にも、走幅跳としては長すぎる15メートル以上の跳躍記録が残っており、これは複数回の連続跳躍、つまり三段跳びに似た競技だったにちがいない、と研究家たちは考えているそうです。
もともとは遊びや試行錯誤の中から、「連続で跳ぶなら3回が一番効率がよい」という知恵として生まれたのが三段跳びだというわけです。
「ホップとステップは同じ足」秘密はスピードの維持!
三段跳びのルールで一番不思議なのが、「ホップ(1段目)とステップ(2段目)は同じ足で踏み切り、ジャンプ(3段目)は反対の足で踏み切る」というきまりになっていることです。
ふつう、人間が前へ進もうとするときは、歩くにせよ走るにせよ、右、左、右、左と足を交互に出すのが自然で、他の走る競技や跳躍競技もみなそうです。
引用元=スポズバ
それでは、なぜ三段跳びだけ、この不自然に見える動作がルールになっているのでしょうか。
それは、「助走で得たスピードを最大限に生かし、飛距離につなげるため」だと考えられているからです。
もし1段目のホップから、すぐに反対の足でステップに入ると、地面を踏みしめる際に大きなブレーキがかかってしまい、せっかくの助走の勢いがなくなってしまうそうです。
「同じ足で連続して踏み切ることで、体の軸を安定させ、地面からの反発を効率よく受け取り、水平方向へのスピードの減速を最小限におさえられる」と、いうことのようです。
そして、最後のジャンプで初めて反対の足を使うのは、「ホップとステップで疲労していないフレッシュな足の筋力を使って、最後のひと伸びで最大の高さを出すため」だといいます。
この「右・右・左」または「左・左・右」という独特のリズムこそが、三段跳びの飛距離を伸ばすための、最も効率的で理にかなった黄金パターンとして確立されたんですね。
男女の記録差から考える競技の公平性!
今大会、男子三段跳びではポルトガルのペドロ・ピチャルド選手が17.91メートルという記録で金メダルに輝きました。
かたや女子ではキューバのペレス・エルナンデス選手が14.94メートルで金メダルを獲得しました。
この男女の記録をくらべると、その差は約3メートルもあることがわかります。
三段跳びは「ホップ」「ステップ」「ジャンプ」の三段階の合計距離で争われるため、単純計算で各段階につき約1メートルずつ、男子の方が遠くまで跳んでいる計算になります。
これは、男性と女性の骨格、筋肉量、腱の強さといった生物学的な違いが、如実に記録に反映された結果だといえます。
余談ではあるのですが、最近問題になっている「トランス女子」が女子競技に出場し、不公平な結果を生んでいるという議論を考えるとき、この男女の記録の差3メートルは、無視できない理不尽さの証拠だと私は思います。
三段跳びだけでなく、陸上競技はもともと「生まれ持った身体能力の限界を追求する」というシンプルな競技だからこそ、男女の区別は公平性を守るうえで、たいせつなラインだと改めて考えさせられた次第です。
まとめ
三段跳びの起源やルールについて知ることで、この競技が持つ一味違う魅力が伝わったらうれしいです。
今大会、日本勢の活躍にはすこし物足りなさを感じましたが、個人的には、長年にわたりメインキャスターを務めてきた織田某氏が今大会をもって「卒業」してくれることが、何よりの朗報でした。
彼の熱意は認めつつも、あの通ぶった独善的な語りには、しょうじき辟易(へきえき)していました。
WBC(ワールドベースボールクラシック)からの中居某氏撤退と同様、「スポーツ中継にタレント個人の思い入れは不要!」と思っている私にとって、新たな時代を迎えるはずのスポーツ中継の未来に、期待します(自民党と同じように顔が変わるだけかも…)。




