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織田信長が天下統一の目前で、家臣・明智光秀の謀反で夢を絶たれたあの本能寺の変。
本能寺の変の背後には黒幕がいたという説は、むかしからいわれてきましたが、その黒幕が茶人・千利休だったという説も、その一つです。
今回はその説を、利休と光秀とのつながりをひも解きながら、真偽に迫ります!
光秀の残した謎の句
本能寺の変の直前、明智光秀が残した句「ときは今 あめが下な(し)る五月哉」。
これをどう解釈するかで、事件の背景が見えてくるのです。
明智光秀
「ときは今」は明らかに「土岐は今」、つまり光秀の出自である土岐氏を意味する、と言われています。
そして「雨がしたな(し)る」という表現、実は「天下を取る」という意味にも取れるのです。
五月の出来事であることも合わさり、この句は単なる季節の歌ではなく、信長へのクーデターを示唆していたとも解釈できます。
利休と光秀の関係
それでは、千利休と明智光秀のつながりはどうだったのでしょうか。
光秀が利休の茶の湯に参加していたことは歴史的にも確認されています。
そして、事件の前に光秀と利休が連歌師・里村紹巴(さとむら じょうは)を介して密談していた、という説があるのです。
もしこれが事実だとしたら、光秀の句と利休の茶会が連動した計画だった可能性が浮上します。
利休が茶を通じて光秀に協力し、信長の暗殺を成功させたというこの説、かなり説得力があります。
まとめ
本能寺の変の黒幕については諸説ありますが、千利休がその裏で糸を引いていた可能性はとても可能性のある有力説です。
利休の茶会と光秀の謎の句。
これらが織り成す陰謀説は、今でも多くの人々を惹きつける魅力的な仮説です。
歴史にひそむ謎は、興味が尽きませんね。
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