【サイレント・マジョリティ】と【ノイジー・マイノリティー】 | 人生100年まだまだこれから! 年金じぃさんの節金スペシャル‼

人生100年まだまだこれから! 年金じぃさんの節金スペシャル‼

1950年(昭和25年・五黄の寅)生まれの年金生活者寅(とら)じぃです。
お国から頂戴いたしております、過分な年金の使い道に困りはて、節金の日々を過ごしておりまする。(過分なら節金は、いらんやろ!)
そんな寅(とら)じぃの節金術、とくとご覧あれ‥‥。

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山あり谷あり、波乱の人生ドンブラコ!

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余すとこなくご披露いたしましょ~ぅ 

 

 

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ネットを見ていたら、

こんな記事に出会いました。

「新幹線で『席、倒していいですか?』

の一言は不要」

無意味なマナーと日本の閉塞感の関係とは

 

 

自己中はどっち?

記事の要約は、以下の通りです。

堀江貴文氏は、新幹線で座席を倒す際に「席、倒していいですか?」と確認するマナーを批判する。彼はこの行為を自己中心的なリスク回避とみなし、不必要なマナーが日本社会に閉塞感をもたらしていると主張する。特に、他人に声をかけることで時間を奪う行為は一種の暴力であると強調。さらに、SNSの影響で広まった非効率なマナーが、ノイジー・マイノリティの声に過度に反応する結果、社会を生きづらくしていると指摘する。(要約=ChatGPT)

堀江氏の、

「ノイジー・マイノリティ(声高な少数派)の声に過度に反応する結果、社会を生きづらくしている」という主張には、大いに賛同します。

 

ただ、堀江氏の定義する「ノイジー・マイノリティ(声高な少数派)」と、「サイレント・マジョリティ(静かなる多数派)」には、少々首を傾けざるを得ません。

 

「座席を後ろに倒すくらいのことで、いちいち見知らぬ人間に話しかけるのが『礼儀』だと信じこむ人たち。そんなの礼儀でも何でもなく、『自己中』人間のリスクヘッジにすぎない」

 

「僕みたいに『座席を倒そうが倒すまいが個人の自由だ』と思っている人間がサイレント・マジョリティなのに、一部のノイジー・マイノリティが『黙って座席を倒してくる失礼な奴がいた』などと怒って文句を書く」

と、文中にありますが、「公共の場所で、座席を倒すのは個人の自由」と考えるのがいまの日本の多数派だとするなら、私の価値観とはずいぶん違って見えます。

 

過度な言葉かけはかえって迷惑な行為かもしれませんが、いちおう相手にことわりを入れるのは、リスク回避というより、人としてのマナーだと思います。

 

堀江氏は記事で、

「意味のないマナーのためならジェントルマンぶって他人に話しかけるくせに、そういう奴に限って電車内で松葉杖をついた人に座席も譲らずタヌキ寝入りし、ベビーカーを押しているお母さんにはスペースを空けてあげるどころか舌打ちしたりする」

と断じています。

 

前段の「ジェントルマンぶって他人に話しかける奴」と、「タヌキ寝入り」「舌打ち」する人間を、同一人にして批判していますが、同一人である根拠はまったく不明

 

また「意味のないマナー」と表記して、「意味のあるマナー」の存在もにおわせていますが、 その境界も示されていません。

 

記事では、終始「自己中」な考え方を断罪していますが、記事を読んだ私は「堀江氏こそ自己中そのもの」という感想を持ちました。  

 

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