山あり谷あり、波乱の人生ドンブラコ!
ようやくたどり着いたあこがれの年金生活‥
夢見た悠々自適の年金生活は、
なぜか幽遊自虐の年金生活にさま変わり‥
だがしか~し転んでもただでは起きないのが団塊育ちのいじましさ!
つかんだ節約テクニックを
余すとこなくご披露いたしましょ~ぅ
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ひさびさに質も量も、読み応えのある書籍でした。
翻訳本の常として、少々曲がりくどい表現ーー英語独特のかっこ書き等ーーや、直訳に近い言いまわしに苦労はしましたがーー英語力さえあれば原書で読めるんですが残念ながら‥‥ーー、全体として著者の学識・知識と丹念な取材活動からつむぎ出されることばの重みが、説得力を持つ内容でした。ーー本書をまねて英語独特のかっこ書きを使ってみましたが少々うっとうしいですよネーー
男らしさ 女らしさ へのこだわりは LGBT の人たち⁈
学校や医師に「トランスジェンダー」であると認められるような応答の仕方から、ホルモン剤の入手方法など、少女が少年に「トランスジェンド」するための情報は、SNSにあふれています。
学校や医療機関も少女たちに、結論を先延ばしにするよう説得することはありません。
むしろ親に対して、「性別違和を否定することは子どもにとって最悪の反応だ。命を絶とうとするかもしれない」といって、おどしをかけます。
これまでも性別違和をおぼえ、実際にトランスジェンダーとして生活している人たちもいますが、彼ら彼女らは幼少期から行動の中にそうした振る舞いが見られ、もちろん親たちもそれに気づいているケースがほとんどでした。
ところが近年起きている現象は、幼少期にはいっさいそうした傾向が見られず、思春期になっていきなり「トランスジェンダー」を宣言するというのです。
幼少期の性別違和は本人は気づかなくても、親は気づきます。
好きな色や、おもちゃ、遊び、洋服‥‥
ほかの女の子とどこも違わない。
自分の子どもが、ある日突然「トランスジェンダー」を名乗っても、そうした事実さえ言えない現状がいまのアメリカです。
学校や医療が親のそうした発言を阻止し、少女たちがもしかしたらトランスジェンダーでもなんでもないかもしれないのに、トランスジェンダーとしてあつかうのです。
そして、ホルモン療法、乳房切除、性転換手術とあと戻りできないところまで足を踏み入れてしまいます。
「自分探しの旅」のこたえを「トランスジェンダー」に見つけ、それを自らのアイデンティティとすることで救われた気になる。
でも、それが思い違いだったとしても後戻りができないとすれば、それは答えではなく、ただの後悔にしかなりません。
ここで私の頭に浮かんだのは、LGBT の人たちがよく口にする「性は男と女のふた通りだけではない」「男らしさ、女らしさでくくらないで」という言葉です。
もし「トランスジェンダーになりたい少女たち」が自分の「性自認」と「生まれながらの性別」に違和感があったとしても、どうしてそのままの自分を受け入れて生きることができないのだろう?
「性は男と女のふた通り」だけではなく、「男らしさ、女らしさ」が必要でないと思うなら、ホルモン治療や乳房切除、性転換手術などする必要はなく「身体は女で心は男」の、そのままの自分で生きればいいんじゃないか?
そして「やっぱり自分は女だった」と思えば、そのように生きればいいだけのことです。
もしかしたら「性は男と女のふた通り」「男らしさ、女らしさ」にこだわっているのは LGBT を自認する人たちの側ではないのか?
それがこの『トランスジェンダーになりたい少女たち』を読んだ私の、思いです。