山あり谷あり、波乱の人生ドンブラコ!
ようやくたどり着いたあこがれの年金生活‥
夢見た悠々自適の年金生活は、
なぜか幽遊自虐の年金生活にさま変わり‥
だがしか~し転んでもただでは起きないのが団塊育ちのいじましさ!
つかんだ節金テクニックを
余すとこなくご披露いたしましょ~ぅ
今月12日、静岡家裁は
「性別変更の『生殖不能』手術要件は違憲」
だとする判断を下しました。
同様の裁判が行われている
最高裁大法廷(裁判長・戸倉三郎長官)は、
決定を25日に出すと決めたそうです。
それに対し、女性有志の市民団体
「女性の定義を守る会」は
19日、最高裁判所に
要件の堅持を求める要請書を提出しました。
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法律でひとつに規程するのは無理!
ここ数年「LGBT」問題にからめて、性別に関する軋轢がここかしこで起こっています。
約700万年前に発祥したといわれる人類も、近年までは雌雄、あるいは男女の2種のみに区分けされ、それで何ごとも良しとされてきました。
それがここ数年人権意識の高まりからか、そのふた通りの区分けの中に「LGBT」が加わり、そのLGBTもそれぞれが複雑にからみ合うという、混沌とした状況を呈しています。
出典=朝日新聞
そもそもそんな複雑なものを、法律でひとつに規程しようとするから無理や破綻が生じるのです。
法律的にはこれまで通り「生まれたときの身体的特徴」で男女の区分をけし、それ以外の権利(婚姻・性自認)等は、すべての人が同じように享受できれば、いいんじゃないでしょうか。
トイレ、風呂、スポーツ等は「生まれたときの身体的特徴」が基準、婚姻や身なりは個人の権利で自由。
だれが誰とどうしようが他人がとやかく言うことなく、それができれば8~9割方は問題解決になるように思います。
昨今の日本は、LGBT問題にかぎらず「少数の大きな声」が「大多数の小さな声」を圧し潰している、そんな気がします。
スポーツ界でも日本でも、ようやく「大多数の小さな声」も聞こえ始めましたが、まだまだ遠慮がちな印象です。
数字の上では「男女の枠内に入っても抵抗のない」人のほうが「LGBT」の人たちより圧倒的に多いのは事実です。
LGBTの人たちの人権と同じように、それ以外の人たちの人権も守られてしかるべきです。
LGBT側の人権を重要視するあまり、とくに「女性」の人権や不安、不満が遠ざけられている現状は、やはり「異常なまでの気配り」がそうさせている気がしてなりません。
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