元気になる歌ブログネタ:元気になる歌 参加中


歌の好みを聞くことで、相手のだいたいの年齢が分かることが少なくない。自分と同じ世代だと分かると、お互いの青春時代の思い出が交わったり交差したりしながら話がはずんだりする。自分より年配の人も、自分の好きな歌を、その頃の記憶と共に語る時、いきいきとした表情を見ることがある。感情と絡み合った曲は、その人を悲しみや諦めや絶望といった否定的な気持ちに力を与えてくれることがある。部屋の片付けといった日常の作業の時などの自然に口ずさんでいる曲も、何気なくても自分の気持ちを励ましくれているものだ。
僕は、「涙」という歌詞が入っていても、演歌のようなステレオタイプの曲ではない前向きの曲に心が惹かれる。ケツメイシの「涙」も、岡本真夜の「TOMORRO」も元気の出る曲である。でも、今回は自分の青春時代(といっても、そう呼ばれるのにふさわしい時間であったと言い切れるかというと心もとないのであるが)の元気の出る曲について。僕の休学を挟んだ最初の高校生の時、音楽の世界はフォークソングの時代であった。教室にギターを持ってくる生徒も珍しくはなく、文化祭も生徒会がガリ版刷りのわら半紙を閉じたフォークソングの歌集を配った。どんな内容のお祭りとなったかは、想像できるのではないか。クラスのギター小僧と盛り上がっていたテレビ番組はNHKの「ステージ101」だった。オーディションで選ばれた若者たちの歌とダンスを中心に進行していく。木綿のハンカチーフをはじめ、その番組から色々な歌が生まれた。その中の元気ソングが「涙をこえて」だ。「シング・アウト」という外人さんも含んだ選抜メンバーによって歌われた。ドーナツ版のレコードも買った。曲のイントロから体に染みていく感じであった。歌詞も明日の日が今日より良い日であるに決まっているようだから、涙をこえて進んでいこうという応援歌であった。カラオケの歌集にも載っていた今に続く僕の青春時代の元気ソング。そういえば、2回目のクラスの同窓会のメールが来ていた。そのクラスの時には、ニューミュージックの時代となっていた。

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 毎朝、目覚まし代わりに、携帯電話から立て続けにメールの着信音が時間を教えてくれる。と言っても、大抵はそれ以前に目を覚ましていることのほうが多いのであるが。最初のメールは、電話会社の提供する有料サービスの一つで、今日の運勢である。
 メールを開いて見るのは、着信後しばらく経ってからであるが、占いの内容に関しては、自分に都合の良い部分だけを採用して、残りの運の悪いことが起きるでしょうという部分は完全に無視する。毎朝のちょっとした週間。戦争や大災害のように大量の被害者の不幸な発生は、占いの信用できないことを露呈する。彼らは、それぞれの占いの対象とする要素を全部含んだ集合体なのだから、個人の幸か不幸かの占いは無力である。

 信じなくても気になる占いなら、いい所だけを頭に入れて、その日をスタートする。気分的な問題だ。ネット上のウィジェットの占いは、同じ星座占いなのに、違った内容となっている。

 昨日は、患者団体の事務所の手伝い。僕と同様に応援として、若い人二人も手伝いに来た。年齢から見れば、自分に子どもがいれば、そんな年かなという若者など、世代間ギャップが激しい。でも、会話のやりとりは、一部話が通じない部分もあるが、結構面白いものである。

 そんな時、血液型の話は、話が盛り上がる話題となる。人の性格が血液型で判断できるのは、何故か日本で異常と行ってもいい位普及している疑似科学の概念である。透析クリニックの看護師の中でも真顔で話題に取り上げる人がいるくらいだ。本当は、自分が考える自分や他人の性格を、血液型判断に当てはめているのが実情のようだ。
 正夢、或いは逆夢が当たるとされるのも、たくさんの夢は忘れられているのが原則なのに、たまたま記憶に残った夢だけが特別のものとして拡大解釈され、後付け判断されるからであるが、血液型判断に共通しているようだ。

 さて、昨日の3人は全員B型というだけで、話は大いに盛り上がった。僕は、信じているふりをして、自分の性格を語り、3人の共通性を構築する。B型の判断というのは、結構自分の考え方から見ると、面白くて、都合の良い点を拡大解釈するのは楽しい。若い二人は、すっかり納得している。 
 要は、血液型判断は、自分たちを語る手段となっているのである。ついでに、星座も話題のタネになる。
 おかしかったのは、事務局長が、自分の干支はトリだから、食べ物をこぼしながら食事をする傾向にあるという話をしたことだ。占いは、イメージの展開である。

 とはいえ、僕も理性の部分ではそんなことを言っているが、心情面では宗教に興味があるし、友人に頼んで有名なお不動さんのお守りを送ってもらったりしている。人間だから、相反する綿を持っていても構わないと思っている。先週も、ネットで招運トートバッグを購入している。その日本的な変わったデザインに心が惹かれた一面もあるのだが、招運に期待したのも心情面ではきっかけである。毎日の生活の精神面での潤滑油かな。
 僕は、子供の頃から変わったものが好きでした。
 本も好きでしたが、神話や伝説、民話が大好きでした。

 ユニークな人やものに心が惹かれます。
 植物だったらサキュレント(多肉植物)。

 アートムーチョで、足を止めて見入ってしまった焼き物の人形がありました。
 つぶつぶ亭の鈴木ちささんの作品でした。

 少しずつ、数が増えていきました。それぞれが何かを言いたそうです。
 1体でも、仲間と一緒の時も、こちらの気持ちに合わせて表情を変えていきます。


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 何を考えているのでしょうか。僕と同じことかな。

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疲れたときに食べたくなるもの ブログネタ:疲れたときに食べたくなるもの 参加中
 このところ、色々とやることが増えて、かなり疲れています。

 今朝、目が覚めると、背中の下に何かを感じます。いそいで、体をどかしてそこを見ると、メガネがすごいことになっていました。まずは、レンズを込めているフレームのネジが壊れていて、2つの枠からレンズが外れていました。おまけにメガネのツルも1本とれていました。多少変形しながら。寝る前に、枕元に置いたメガネが、どうした具合か、背中の下に位置していた。その行程は分かりませんが、疲れが出ていることは間違いないようです。昨日も、朝食抜きでエコー検査を受けましたが、横になって検査している間、何度も眠くなりました。

 さて、メガネの方は、工具を出すやら、代わりのネジの調達のために昔使っていたメガネの部品を拝借するのに気が付くまでの時間も含めて、小1時間かかりました。おかげで、朝からすっかり疲れてしまいました。その日の午前中は、地域の腎友会の打ち合わせが午前中にあったので、朝食を食べて急いで出かけました。僕の街は広いので、その場所に行くのはバスを利用しても、前後歩かなければならないので、体が重くなっていきました。でも、1時間に3本のバスに乗って行きました。

 打ち合わせは、思ったより長引き、帰路についたのは、お昼をかなり回った頃でした。帰りは、バスに乗っても中途半端なので、運動の意味も込めて歩くことにしました。悪いのは、街の広さか。

 当初は、家に帰ってから昼食をとる予定でしたが、歩いて帰るのですから、途中のバーミヤンで食べることにしました。

 混んでいる時間帯でしたが、席に着いてから、疲れた体が欲しがるものを注文しました。でも、透析者には、疲れているときは、水が、今頃は冷たい水がごちそうなんです。制限されているから余計にそう思われるのです。疲労時に食べたいものも、患者としての自己管理を徹底すると、その内容は選択肢の少ないものになってしまいます。でも、体が弱った時と、疲労時には体力のためにかなり制限を緩やかにしています。ただし、カリウムだけは、食べ過ぎは心停止につながりますから、気を付けますが。

 ということで、メインは汁なし坦々麺。辛味のあるものは、披露時の食欲減退にも良いです。冬瓜スープも頼みました。スープ類は、飲みやすいし元気が出そうです。特に、冬瓜スープは夏バテにも効く薬膳料理でもあります。デザートは、杏仁豆腐。

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 疲れた時は、やっぱり甘いものです。それに、のどごしさわやかな、ゼリーとか寒天類は好きですし、食べやすい。

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 食後、少し雨が落ちてきましたが、甲州街道から川沿いの遊歩道に移動しました。その時、ちょっと古ぼけた目立たないお店に、制服姿の女子高生が入るのを見かけました。若い人が、オシャレではない店に入るのですから、もしかしたら、おいしい店の可能性大です。足の方向を変えて店の中に僕も入りました。

 パンと、美味しそうなケーキが売られていました。値段も、300円弱と安い。これは早速試さなくてはと思いました。

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 パンは、まずは食パン1斤を求めました。食パンが美味しければ、そこのパンは合格ですから。

 ケーキ類は、オムレツケーキやシュークリームもありましたが、定番のイチゴのショートケーキと、季節のさくらんぼのムース、それと遊び心のたぬきのケーキを試してみることにしました。

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 家まで、結局40分以上歩きましたが、疲れていたからケーキと遭遇できた感じです。
 味はどうかって?一応は、透析患者なので。
 まあ、是非この次もこの店を利用したいというのが結論でした。甘いもの食べて、頑張るぞ。


背って高いほうがいい? ブログネタ:背って高いほうがいい? 参加中

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 最近の若い人は、背の高い人が多くなりました。そうした中にいれば、僕自身はそんなに背が高く見えそうにもありませんが、僕の世代では背の高い方でした。保育園の頃から、整列するときはいつも一番後ろでした。「キリン」と呼ばれていた頃もありました。

 性格的に、自分から積極的に前に出ていくような存在ではありませんでした。気が小さいほうでした。そうした性格を、背が高いことがフォローしてくれました。特に何をすることもなくても、そこそこ体で目立っていました。存在感も、性格的には薄い分、そこでも背が高いことが補ってくれました。人にも、覚えてもらいやすかったかも。その点が、良かった点でしょうか。

 高いところのものを取ったり、作業面でも楽なことがありました。患者会でりんご狩りに行った時などは、木の上のほうにある美味しそうなりんごをとってくれと頼まれました。上に位置するものに関する作業もすぐにできることがあったりすると、背が高くてよかったと思われます。

 手も長いわけですので、透析中にものをベッドから落とした時には、手を伸ばせば意外と拾うことができます。

 イベントの時に、人混みの後ろでも、中心部で何をやっているのか見やすいですね。

 そう、最近は髪の毛が薄くなる傾向にありますが、背が高い分、人からは上から覗かれる心配も少ないです。

 ただし、街などを歩いているときは、目立つらしくて良く知り合いに、どこどこで見かけたと言われることが少なくありません。あまり悪いことができませんね。

 頭髪のボリュウムが少なくなった分、年齢を重ねた分、年1回のクリニックでの身長測定では、年々、少しずつ身長が短くなっていきます。これって、自分で勝手に思い込んでいる「過去の栄光」との決別感を感じてしまい、なにやらさみしくて、寂しい限りです。気にしなくてもいいようなのですが。

 チッチとサリーを思い出しました。みつはしちかこさんの漫画です。高校生の時に、1年位入院していた時の愛読書です。外出が許されていなかった僕は、同室の人の外出時によく買ってきてもらいました。僕には、ノッポのサリーのようには、おちびちゃんのチッチのような恋人はいませんでしたが、病室のベッドの中で、サリーの気持ちで感傷にふけっていました。

 透析患者になってから、自分が入る棺桶はどんなサイズかなんて考えることがあります。背の高い人用ってどんなのかなんて想像して、我ながら変わった性格なのかなんてね。