パナソニックモバイルの新旧幹部と久しぶりに交流 | 留守宅は大丈夫?

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「セキュリティ工房TOP5」ブログ。 セキュリティは、ネットワークカメラによる遠隔モニタリングの時代。
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■今日は、パナソニックモバイルのK元副社長に親しい仲間の
ゴルフコンペがあり、昨年に続き参加した。
場所は、千葉県房総カントリークラブ、
私にとっては半年振りのゴルフ。
雨は降らず、かといって直射日光もなく、
絶好のゴルフ日和だった。
土曜日は営業日なので、
今やゴルフといっても日曜日しか出来ない。

前回参加した脇氏は、
今春、パナソニックモバイルの社長に就任したので
参加を楽しみにしていたが、残念なことに欠席だった。
しかし我が組には、基地局事業のI事業部長、
元W-CDMAの開発責任者で
現東海大学教授のH氏がメンバーだった。
いずれも仕事上のの悩みは何処へやら、
和気合い合いの一日だった。

H氏は、かって松下通信の取締役で、
横須賀リサーチパーク開発センター所長として
初代FOMA端末の開発に全精力を注いだ。
船出した初代端末は、
大きい、重い、繋がりにくいと散々な評判だったが、
間違いなく世界最初のW-CDMA携帯電話だった。

H氏は、端末だけではなく基地局の開発も責任者だった。
現事業責任者のI氏は当時開発部門の若手リーダー、
NTTドコモから松下に基地局の開発はできるのかと
揶揄されながら、必死に努力し開発に成功した。
キャリアは、ややもすると基地局の設備投資競争になりがちなので
基地局事業は、今や端末事業以上に
利益獲得の源泉になっているという。

FOMA初代端末開発当時、
私は、松下通信の経営企画部長だった。
事業部門重視の中で、
スタッフとして大きな権限をもてたわけではないが、
それでも会社としての中期方針を策定し、その実現に向けて努力した。
今やパナソニックモバイルは、松下電器の100%子会社だが、
前進である当時の松下通信は、
一部上場企業として主体的な経営戦略を進めた。

特にW-CDMA開発では2000億円を越える投資に踏み切り、
実に刺激的な毎日だった。
今ではとても不可能なことではある。

ゴルフの成績の方は、
半年振りにやったこともありやはり散々な結果だった。
何とかなると甘い考えでいたが、
とても何とかなる状況ではなった。

パナソニックモバイルの幹部は、
今なお、NTTドコモ一辺倒と想像していたが、
怪気炎の中には、そうでないところもあり、
結構楽しい一日を過ごさせていただいた。

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