■肝臓

【ALP 胆汁の流れが悪くなると上昇。基準値は38~113】

<2022年>

12月13日 116

<2023年>

1月17日 160

12月19日 151

<2024年>

1月16日 160

2月20日 157

3月19日 152

4月16日 138

5月20日 151

6月18日 148▼

 

【AST(GOT) 肝細胞が壊れると上昇。基準値は8~38】

<2022年>

12月13日 18

<2023年>

1月17日 19

12月19日 18

<2024年>

1月16日 23

2月20日 21

3月19日 19

4月16日 20

5月20日 18

6月18日 19▲

 

【ALT(GPT) 肝細胞が壊れると上昇。基準値は4~44】

<2022年>

12月13日 18

<2023年>

1月17日 16

12月19日 15

<2024年>

1月16日 17

2月20日 17

3月19日 14

4月16日 15

5月20日 13

6月18日 13

 

【γ-GTP 肝障害で上昇。女性の基準値は30以下】

<2022年>

12月13日 32

<2023年>

1月17日 28

12月19日 23

<2024年>

1月16日 24

2月20日 31

3月19日 28

4月16日 27

5月20日 27

6月18日 25▼

 

■糖尿病

【グルコース(血糖値)基準値は70~109】

<2021年>

12月 412

<2022年>

1月 107

12月 109

<2023年>

1月 114

12月 120

<2024年>

1月 115

2月 129

3月 129

4月 126

5月 120

6月 108▼

 

【HbA1c(直近2カ月の血糖値の平均)基準値は4.6~6.2%】

<2022年>

1月 11.8%

12月 6.3%

<2023年>

1月 6.2%

12月 5.9%

<2024年>

1月 6.1%

2月 6.4%

3月 6.9%

4月 6.7%

5月 6.5%

6月 6.6%▲

 

■コレステロール

【総コレステロール 基準値は130~220】

<2021年>

12月 310

<2022年>

1月 268

12月 171

<2023年>

1月 165

12月 193

<2024年>

1月 215

2月 203

3月 174

4月 179

5月 163

6月 174▲

 

【中性脂肪 基準値は30~149】

<2022年>

1月 79

12月 54

<2023年>

1月 63

12月 92

<2024年>

1月 69

2月 71

3月 76

4月 57

5月 75

6月 56▼

 

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肝臓は良好。

HbA1cは6%後半と、微妙なラインを維持している。

 

5%台だった年末との違いは、明らかに「食」だ。

ここのところ、やけに食欲がある。

運動しているせいもあるのだろうけど、数値が改善されて元気になっているのだろう。

それを実感するのは、仕事をしているときと睡眠時だ。

元気になると集中力が高まるので、どちらも長時間持続できる。

特に眠りについては、以前は夜中に何度も目が覚めていたのが、今ではアラームが鳴る30分前に目覚めるだけになっている。

 

とはいえ、今のうちに改善しておかないと薬を出されてしまうので何とかしよう。

 

あと、今も週1、2回ペースで走っている。

 

 

先日、走り疲れてトボトボと歩いていたら、すれ違いざまに見知らぬ人から「歩き姿がきれいですね」と褒められた。びっくりしたが、やはり褒められると嬉しい。その後は心なしかシャキッと背筋を伸ばして歩いたりして。

『神』(フェルディナント・フォン・シーラッハ/著、酒寄進一/訳)を読了。

 

 

妻を亡くした78歳の男性が、生きる気力をなくしたと医師に「自死のほう助」を求めた。この男性に致死薬を与えるべきか、法学、医学、神学の参考人などが同席のもと、公開討論会が行なわれる。

 

わたしの結論は「反対」。理由は以下のとおり。

 

実在する自死ほう助団体が受け入れているのは、「治る見込みがない病気」「耐え難い苦痛や障害がある」「健全な判断能力を有する」という条件を満たしている人。作中に登場する男性は、これらを一切満たしていない。

 

命を絶つ(致死薬を投与する)タイミングは、自死する人に委ねられているとはいえ、自ら命を絶つ行為に他者を巻き込んではいけない。(他者=おもに致死薬を処方する医師など)。未来は誰にもわからないのだから。

 

自死のほう助を認めろという一方で、死刑は廃止しろという、命を取り扱うその他との矛盾。

 

命を取り扱うことに対しての自由度を広げてはいけない。自死のほう助を認めたら、生きている人間の証言しか得られない嘱託殺人を裁けなくなる。

 

作中で、「死に寛容になれ」といったことが書かれていたが、死に対して寛容になるには、「自分や他者が生きることに寛容になる」ことが避けられないような気がする。それがどのような状態になったとしてもだ。

今は、生きることや存在することに不寛容な世界だ。こんな世の中で、自死のほう助を認めていいものなのか疑問。

 

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これだけ理由を並べたが、心の奥では認めていいのではないかと考えている気配もある。国が正式に自死のほう助を認め、自分と周囲の人たちが納得できるならば、それでいいのではないかと。たぶん、ここに着地する話。

 

だけど、でもなあ…となる。

 

とても怖い。自死を選択できるようになったら、それこそ治る見込みがない病気や耐え難い苦痛や障害があっても生きたいと思う人がどう扱われるのか。

わたしも、治る見込みがない病気を抱えているので、どうしても他人事ではない。

『どら猫観察記』(柳田国男/著)を読む。

 

 

猫にまつわる不思議(不気味?)話を集めたもの。

その中に、“猫がいなくなる”話があるのだが、これ似た話を身近で聞いたことがある。

 

わたしの母は嫁入り前に猫を飼っていたのだが、嫁いだ後、母親(わたしの祖母)が猫に向かって「おまえの飼い主は嫁に行ったのだから、おまえもどこかへ行け」と、冗談で言ったらしい。すると、翌日、本当にいなくなったとか。

祖母は、ときどきそのときのことを思い出していたようで、折に触れては「猫に冗談でも『出て行け』なんて言っちゃダメだよ」とよく言われたものだ。

 

そんな昔話を思い出した一冊。