『イサム・ノグチ物語』(めら・かよこ/著)を読む。

 

 

ふと、イサム・ノグチに興味がわいて手に取った。

幼少期からモエレ沼公園(札幌市)のマスタープランを作成して亡くなるまでが描かれている。

 

自分の居場所を見つけられなかったノグチが終始求めていたのは、自然の一部である自分(人間)が自然の一部であると実感できる場所だったように思う。今の言い方だと「ワンネス」。

 

いじめや親との不和、13歳で単独アメリカに渡り過酷な日々を過ごすなど、幼少期から苦悩が多かった人生だった。想像を絶する孤独感の中で、世界に溶け込んでいるように感じる景色があったのかもしれない。それを作品としてつくり出そうとしたのではないのかと、モエレ沼公園を見て感じた。

 

モエレ沼公園は、楽しいとか、面白いとか、そういった感覚に襲われる場所ではない。緑があって、造形物があって、広い空があって、その中にぽつんと自分がいて、優劣もなく、まさにすべてが自然を構成しているにすぎないとわかる。

 

そんな体験ができる場所が、子どもたちには必要と思ったのかもしれない。

『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(ブレイディみかこ/著)を読了。

 

 

「エンパシー」から始まって、思いもしないところに着地する。

が、既成概念ではまったくつながらなかったものが、きれいにつながっていく。

納得させて読ませていく。そして、新しい見方が自分の中に生まれる。

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」をより深いレベルで思考するような一冊だった。

先日、YouTubeにて知ったことがある。

韓国にはハンカチを使う習慣がないらしく、ハンカチを使っている人を見かけると、ちょっとしたカルチャーショックを受けるそうだ。

 

そこで、数年前のことを思い出した。

 

小樽での仕事の帰り、札幌へ向かう電車の中でのことだった。

電車内は混んでいたので、わたしは吊革につかまって立っていたのだが、左側に韓国人と思しき男性2人が座っていた。

 

その日はとても蒸し暑く、しばらくするとじわじわと汗がにじんできた。

そこでカバンからハンカチを取り出したのだが、その瞬間、くだんの男性2人が「あっ!」というか、「おぉ!」というか、そういう声を発したのだ。

 

最初は、ハンカチを出したのと男性たちが発声したのがたまたま重なっただけと思ったが、ハンカチで汗を抑えながら男性たちをちらっと見てみると、明らかにこちらを見て、何やら小声でささやきながらざわついている。

 

まさか、ハンカチを使うことに驚いているとは露ほども思わず、ハンカチの柄に問題があったのか、柄に使われていた色の組み合わせが韓国ではタブーだったのかと、とても不安になり、しばらくそのハンカチを公の場で使うことを避けていた。

 

が、ただのカルチャーショックだと知り、ほっとした。

 

今後、海外に行く機会はないと思うが、札幌もどんどん国際化が進んでいる。

札幌にいながらにして異国の習慣や文化を目の当たりにすることもあるだろう。

そんなとき、過剰に反応して、不要に相手を不安にさせないこと。

行動で表す配慮がある一方、行動に出さない配慮もあるよな…と思った今日このごろである。