ロミと妖精たちの物語235 Ⅴ-33 死と乙女㉓ | 「ロミと妖精たちの物語」

「ロミと妖精たちの物語」

17才の誕生日の朝、事故で瀕死の重傷を負いサイボーグとなってし
まったロミ、妖精と共にさ迷える魂を救済し活動した40年の時を経て
聖少女ロミは人間としてよみがえり、砂漠の海からアンドロメダ銀河
まで、ロミと妖精たちは時空をも超えてゆく。

 

 

 

モンマルトルの長い石段を上り、天辺に聳えるサクレクール寺院の正面から、パリの街を見おろす広い階段を下りて踊り場のような小さな広場の片隅へ。

 

そこに置かれていたキャンバスの前で、少年は描かれている碧い光の海を泳ぐ、クジラの背中に乗っている少女に見つめられ、まるで金縛りにあった野兎のように、目も耳も、そして心までも、少女の視線に捕らえられて、少年ケージは絵の前で固まっていた。

 

そして少女の碧い瞳が、キャンバスの中から次第にクローズアップするように近づいてくるとともに、ケージの周囲は碧い海に囲まれてゆき、絵の中から少女の腕が伸びてその手を掴むと、あっという間にクジラの上に引き寄せられてしまった。

 

彼女の白く柔らかな腕に包まれて、彼は静かにそっと目を閉じた。そしてモンマルトルの丘の上から、架台の上にあったはずのキャンバスと共に、幼い少年ケージの姿は消えてしまった。

 

殉教者の丘の上、信仰厚き人々の生きる街、パリの奥の院とも云うべき、サクレクール寺院のファサードから、少年の行方を探していた妖精の母シモーヌは、パリを見おろす長い階段の途中の広場からたった今、少年が絵の中に吸い込まれてしまったことを知ると、彼女は傍らにいるマドレーヌの身体をしっかりと抱きしめた。

 

遠い異国から来た妖精ナツミの子供たちを失った今、たった一人の我が娘、愛しのマドレーヌまで、海の向こうの異世界に行ってしまわぬようにと、母シモーヌは聖母マリアに祈りながら。

 

 

秋の夕暮れだとゆうのに、冬のように冷たい風が吹く中で、若い娘マドレーヌが聞いた。

「ママ、ケージはどこへ行ったの?」

 

娘と同じように、事態を受け止めきれてない母シモーヌは、目を閉じて応えた。

「マドレーヌ、昔ここにいた聖イグナチオは、確かこう言ったのよ」

 

 

――主よ、わたくしはどこへ行くのでしょうか。

――主よ、たとえいずこへと向かおうとしても。

――おお、わが主よ、あなたに従っていれば、

――もう迷うことはありません。

 

 

「そう言って、あの人たちはこの丘にあった修道院教会から出発して、イタリアへ行き、そこから世界の果てを目指して、神の道を求めて、若い僧たちはそれぞれに旅立ったのよ」

 

「それに、イグナチオと共にイエズス会を創設した修行者の一人、サビエルはアフリカ、インド、中国を経て東の果ての日本にも行ったのよ、あの子たちの母親ナツミの育った国へ」

 

「マドレーヌ、この丘はね、ある意味で、神の道の修道者たちの旅立ちの港でもあるの」

「ケージもそうだと言うの?まだ子供なのに」

 

「そうね、あの時代から500年もの時を経て、あの子はきっと、まだ子供だから選ばれたのかもしれないわね、あの大きなクジラに」

 

日が暮れて、鐘はなり、暗い空が落ちてくる丘の上で、母子は小さな光たちの瞬きを見出し、その星々の瞬きに、世界はこの壮大な銀河の一瞬の瞬きに過ぎないことを知り、パリの夜景の向こうから訪れる神の足音と、唱和する精霊たちの囁きに、二人は静かに耳を澄ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

少年はクジラの背中に乗り、幾つもの海を越えて、世界を見渡す高い雲の上にいる妹の手に導かれて、この殉教者の丘から遠く離れた辺境の地へと誘(いざな)われた。

 

それは海底深い海溝のケルプの流れの陰であり、それは天空に聳える大山脈の雪渓の暗い洞窟でもあった。

 

それは一夜の出来事であり、少年にとっては長いながい旅路の始まりでもあった。

 

父だと名乗る男性に言われるまま、彼は宗教系の病院で少女の付き添いをした。

白い部屋の白いベッドで眠る少女の前で、少年は跪き、大聖堂の聖書を読み聞かせた。

 

それから長い月日が流れ、春の柔らかな風が樹木の爽やかな香りを運んでくると、病室の窓から明かりを灯す、朝の陽ざしとともに永い眠りから目覚めた少女は言った。

 

「ケージ、あなたはずっと私の傍にいるのよ、いいわね」

 

眠り姫と思われた少女は、美しく育ち、その細い体で立ち上がり、まるで奇跡のように、およそ十年の月日が何事も無かったかのように、17才の健康な身体で歩き始めた。

 

ケージは彼女の従者のように付き従い、大学で机を並べ、僧院で修行をした。

パリの市民病院で生まれたケージとメグミの兄妹は、双子でも、その容姿と同じく似ても似つかぬ二人だったが、いつも二人は一緒だった。

 

そして、学業を終え、修行を終えると、ある日メグミは言った。

「ケージ、今日までありがとう。あなたはお父さんの所へお行きなさい」

そう言って、彼女はケージの元を離れ、祖母が暮らす信州の山深い庵へと行ってしまった。

 

それから一人ぼっちになってしまった彼は、東京の下町のアパートに暮らし、青山にある父ケーイチローの事務所で仕事を始めた。

 

言葉少ない父親とも距離を置き、孤独なAIオペレーションの作業に没頭する毎日の慰めは、外苑のイチョウ並木で出会った不思議な少女、異次元から送られるロミとの交信だけが彼の暮らしに、柔らかな日差しを与えてくれたのだった。

 

 

――淋しいくせに、淋しいと言えない、淋しい奴

――愛しているくせに、好きと言えない、悲しい奴

 

――それでも、僕には笑顔のきれいなひと、未来から言葉をくれるロミがいた

――愛と癒しのエンパシーで悲しき魂を導き、神の国への扉を開いてくれるひと、ロミ

 

――秋の別れの時に、初めて頬にキスをくれた美しい人、ロミ

――僕が心を通わせることができた、ただ一人の人、ロミ

 

――だけど僕はいつも探していた、叶う筈の無い少女のことを、

 

ケージは仕事に疲れてアパートの部屋に帰ると、ヘッドフォンをあたまに載せて、大音量でヒット曲を楽しんだ。

 

目を閉じてその中に入り、至福のときに包まれることができた、世界のヒット曲を、あのロミにそっくりなヴォーカルの少女、世界に鳴り響くその声を聴きながら。

 

――今頃僕の妹メグミは、神州にあると言う祖母の庵で、いったい何をしているのだろう。

 

 

 

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