超音速機アタッカーが南極点のアムンゼンスコット基地を飛び立ち、アイルランドのスライゴー空港へ到着したのは結局5時間後になった。時差がよく分からず、ロミは夕方かしらと思った。
12月31日カウントダウンの夜、大西洋の北の果ての海は日没が早い。ロミたちが降り立った妖精の国スライゴーは、冬の幻想的な世界を楽しむ観光客でいっぱいだった。
2030年に、世界を恐怖に陥れたTSウイルスの災禍のあと、厳しい戒律に縛られた一神教を守る人々とは別に、世界の復興の拠りどころとなったのは、人間味あふれる古代の神様たちだった。
人々は古代の遺跡・伝承の世界や、忘れられていた深い森の中に隠れていた、それぞれの神さまを探す旅をし、荒れ果てた遺跡や社を修復した。そして自分が発見した特定の神様を崇め信仰するとともに、他人が発掘した各地の神様も尊敬し、信じる対象としていた。
多様な人種・言語・習慣を持つこの世界で、人も・地域も・国家も孤立独走することなく、互いに認め合う古代ローマのスピリット、「寛容の精神」が神々とともに復活したのであった。
空港ではトニー・マックスの相棒、フレッド・ケネディが出迎えてくれた。
ロミたちは3列シートのリムジンに乗り、海岸沿いの広い道をスライゴーへ向かった。
「あら、フィニアンはどうしたの、たしか一緒に来たはずなのに」
ロミの問いに、運転していたフレッドが答えた。
「彼は本物の妖精です、観光に訪れているお客様の夢を壊してはいけませんので、一般の人の前では姿を消します。空港から別の乗り物、見えない馬車でキャロモアに向かいました」
「見えない馬車、素敵ね、それで私たちはどこへ行くの?」
「今夜は市内のクラシックペンションを借り切っております」
リムジンは、スライゴー中心部の、幻想的な光の演出をされた歴史的な建物や、観光客が出入りするおネオンサインのお洒落なパブ、そして地元の落ち着いた照明の伝統的パブなど、大晦日の妖精の街の賑わいを見ながらゆっくりと進んだ。
ロミたちを乗せたリムジンは、市内南部にある大聖堂の前で停車した。
「今夜のカウントダウンは、この大聖堂の前で行われます。観光客向けイベントとして、妖精の国の女王とイングランドの王子の結婚式のお芝居が上演される予定です。皆さんにも招待状が届いております」
「まあ、素敵ね、でもそんな式に出るような衣装は持っていないわ」
「大丈夫ですよロミ、こちらのペンションに全てご用意しておりますので」
大聖堂の広場を挟んだ向かいに、中世風の邸宅があった。
石造りの堅牢な建物は、ゴシック調の重厚な雰囲気に包まれていた。
ロミは、マリアと二人で一室の部屋が用意されていた。
建物の外観とは違い、部屋はモダンなスイートルームだった。ウエルカム紅茶を頂いて、長い旅の緊張をほどき、二人でバスルームを使い、ゆったりとした湯船の中で寛いだ。
「ロミ、私が南極以外で知っている土地は、アフリカとオーストラリア、そして南アメリカだけよ、ヨーロッパは初めて、本やテレビで見た国に来ているなんて、まだ信じられないわ」
5フィート3インチに落ち着いているマリアは、湯船の中でロミの肩に頭を乗せて言った。
ロミは自分より2インチ小さくなっているマリアの身体を、優しく抱いて言った。
「マリア、私はついこの間初めて自分が誰かを知って、自分自身での記憶は日本とニューヨークだけ、世界中を飛び回っていたのは宏美のいないサイボーグ・アンドロメダの間だけだったのよ、私もこれから二つの記憶をひとつにしたいと思っているの、お互い頑張りましょう」
ロミは、マリアの頬に優しいキスをして話を続けた。
「ねえマリア、妖精の女王とイングランドの王子様の結婚式、きっと素敵でしょうね、まるでガートルードとトニーみたい。でも、ひょっとして、ほんとうにあの二人の結婚式だったりして」
「そうだわロミ、トムもここに来ていたら、あなたたちがその役をやったかもしれないわね」
旅の疲れも吹き飛んで、二人は笑顔でバスルームを出た。
きれいさっぱりとして、二人は結婚式に出席する衣装を選んだ。
ロミは、グリーンを基調に百合の花をあしらった落ち着いたドレスを選び。
マリアは明るいピンクの色調で、薔薇の花が描かれている。
それぞれ19世紀風の、花柄をあしらったロングドレスを着て、鏡の前で並んだ。
「マリア、とっても可愛いわ、まるで不思議の国のお姫様みたいね」
「ロミ、あなたの衣装は、おとぎの国の女王様みたい、とってもお似合いよ」
二人はそれぞれの衣装を鏡の中に見ながら、互いの肩を抱いて微笑んだ。
その時だった、二人が見ていた鏡の前に、グリーンのスーツに蝶ネクタイ、整髪料で綺麗に整えた赤い髪、そしてトネリコのステッキを持った小さな男が現れた。
「ロミ様、マリア様、お楽しみ中に申し訳ありません」
「まあフィニアン、突然どうしたの」
フィニアンは肩を震わせて言った。
「現れたんです、キャロモアの妖精の村に」
「現れたって、いったい何が」
「あのスペースドラゴンみたいな化け物が、です」
フィニアンの言葉を聞いて、ロミとマリアは顔を見合わせた。
「マリア、行きましょう」ロミはそう言うと、今着たばかりのドレスを脱ごうとした。
「いや、ロミ様、お召し物はそのままで結構です」
「だって、移動したらまた裸になってしまうんでしょ?残ったドレスが汚れたら、申し訳ないわ」
「いいえ、ここは妖精の国です。お姫様を裸になんかいたしません、わたしにお任せください」
フィニアンがロミとマリアに向かって、トネリコのステッキをくるりと回すと、ステッキの先からキラキラと虹色の光の粒が舞い上がり、上から下までゆっくりと二人の身体を包んでゆくと、二人の身体は一瞬のうちにキャロモアの妖精の村に着いていた、ドレスを身に着けたままで。
超古代から現存しているキャロモアの遺跡、一見無造作に並べたような遺跡は、ある秩序に則って造られていた。ロミたちはその狭い石組の空間から、夜空に浮かぶその怪物を見た。
キャロモアの遺跡群の中央に仁王立ちしている怪物は、上弦の月の光を受けて、銀色に輝いていた。それは、氷の塔で巨人化したときにマリアが着ていた宇宙服のようであり、大きさと姿勢は母ワームのピラミッドで暴れた怪物ディアボロにもよく似ていた。
「あれは何、まさかディアボロが甦ったのかしら・・・フィニアン、彼は何を望んでいるの」
「ロミ様、パンシー(可愛い少女妖精)たちに聞きましたところ。私たちがスライゴー空港に到着した頃に、突然遺跡の中に現れたということです」
「彼はノックナレアと空港の方角に向かって立ち、じっとここに立ち尽くしたままで、特に暴れたりする様子は無いと言っておりました」
「ノックナレアって、たしかメーヴ女王のお墓と言われているところね」
ロミは怪物に向かって思念を使い、愛と癒しのエンパシーをかけてみた。
宇宙人のような姿をした怪物は、ロミのエンパシーを感じると、ロミとマリアとフィニアンのいる石組み、ハロウインに宇宙の光を集めると言われている石組の方に、ゆっくりと顔を向けた。
「どうやらディアボロの仲間らしいわ」
ロミとマリアは石組みから前に出て、ディアボロを正面に見据えた。
ディアボロは暫くロミとマリアを見つめたあと、ゆっくりとロミたちに向かって歩き始めた。
――マリア、彼はあなたを待っていたようね。
――ロミ、私が話を聞いてみるわ、いい?
――もちろんよ、では、私が精霊たちを守るわ、マリア、ディアボロをお願いね。
マリアは先頭にたち、ディアボロを正面から見据えた後、彼女は瞼を閉じて心眼を開いた。
ロミとフィニアンは後方で身構え、ロミも心眼を開き、フィニアンはトネリコの杖をゆっくりと廻し、虹色の光の粒を放射して、マリアを頂点に三角形の魔法陣を描いた。
ロミと遺跡の妖精たちのエンパシーに集まる精霊は、超古代から連綿と続いた歴史の舞台に相応しく、濃く深く高く無数に集まり、ロミもフィニアンもただ彼らを迎え入れるだけでよかった。
そして、薔薇を描いたピンクのロングドレスを身にまとい、いつの間にか彼女本来の7フィートの堂々たる姿となったマリアは、バラ色の光彩に包まれて、愛と癒しのエンパシーの翼を拡げ彼女の倍ほどの背丈を持つ宇宙の怪物、悪鬼ディアボロを待ち受けた。
――私はマリア、あなたはどなた?
ディアボロは立ち止り、頭を下げて片膝をついた。
――さあ、遠慮はいらないわ、私に何をしてほしいの?
マリアは彼に近づき、エンパシーの翼で包もうとした、その時。
ディアボロは面を上げ、遮光メガネの隙間から鋭いビームを発射した。
鋭い閃光が瞬く間に火炎となって、マリアの身体を炎の中に焼き尽くそうとした刹那、精霊たちのエンパシーはそれを跳ね返し、火炎はディアボロの全身に火の粉となって降り注ぎ、怪物は炎に包まれた。怪物ディアボロは立ち上がり、その口から、なおゴーゴーと火炎を噴き出した。
火炎に包まれた巨人はまさに仁王立ちとなり、超古代から続く、怨嗟の塊りとなった火炎を拭き続け、フィニアンの魔法陣をも破壊しようと唸りをあげて襲い掛かってくる。
――マリア、遠慮はいらないわ。
――怒りはディアボロにある、悲しき魂たちは別の領域に在るわ。
ディアボロの無限の怨嗟の炎に包まれたマリアはロミの言葉を受けて、今こそ怒りの神へと変身した。その背丈は倍以上に巨大化し、黄金の髪をなびかせ、美貌は神々しいほどに輝き、その白き腕カイナは神の雷イカヅチを持ち、ディアボロの憎しみと怨嗟が噴き出す火炎に包まれながらも、灼熱に燃え上がる怒りの神の雷イカヅチを、大きく切り裂くように振り下ろした。
眩い閃光が走り、雷鳴は天空に轟き、古代遺跡は白い光に包まれ、爆発的な衝撃で顔を覆っていた遮光メガネが外れると、悪鬼ディアボロの表情は、まるで笑っているように見えた。
彼はマリアの前にゆっくりと崩れ落ち、そして一瞬にして、地上の悪鬼ディアボロは消滅した。
静寂が訪れると、超古代のダーナ神族の遺跡に無数の悲しき魂たちが姿を現した。
ロミは、悪鬼を倒したマリアに近づき、すべてのエンパシーをマリアの身体に注いだ。
遺跡に集まる精霊たちのエンパシーは無限に増幅し、それはロミに送られて行き、そのすべてがマリアの思念の翼に送られて、大地を覆いつくすほどの愛と癒しのエンパシーとなった。
マリアの愛と癒しのエンパシーは、そこに集う悲しき魂たちを包んでゆく。
ダーナ神と呼ばれた超古代の宇宙人、神話が崩壊し、チルナノグー(常若の国)に幽閉されたまま神に見捨てられていた古代人、かつて豊穣の海と呼ばれた北大西洋で遭難した無数の漁師たち、戦争と暴力に苦しめられた古代から近代に至るまでの女たち、子供たち、数万年の時の中で、神様に出会うことが出来なかった悲しき魂たちを、愛の女神マリアは癒した。
地球の文明の歴史ほどの永い時間の牢獄に幽閉されていた悲しき魂たちは、ザ・ワンから来た宇宙人の末裔少女神、愛の女神マリアの白く美しい愛と癒しの翼に包まれて、憎しみを忘れ、怨嗟を忘れ、互いに顔と顔を向けあい笑顔を取り戻し、手に手を取りあい、ようやくそれぞれの天国へと導かれて、光に包まれた階段を上って行った。
――ありがとうロミ、愛と癒しの女神
――ありがとうザ・ワンの王女マリア
次項Ⅱ―32へ続く