川崎市「久地円筒分水」を観た! | とんとん・にっき

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「久地円筒分水」については、僕はずいぶん昔から知っていました。「観たい、観たい」と思いながら、20年、30年と時が過ぎていきました。

 

ところが、つい先日、いつもの仲間から「二ヶ領用水を辿る自転車ハイク」の案内が届きました。到着地点が「久地円筒分水」です。これはチャンスと思いましたが、集合場所が京王線「仙川」に11時に集合、レンタサイクルを借りて下流へと南下するというものでした。しかしその日はどうしても抜けられない用事があり、11時に仙川へは行けない。僕は仲間たちと別行動で、現地で落ち合うという作戦に出ました。

 

東急田園都市線で溝ノ口へ行き、タクシーで「久地円筒分水」まで行きました。田園風景の中にあるものとばかり思っていました。驚いたことに、ほとんど住宅地の真ん中です。住宅地に降り立ったUFO、未確認飛行物体です。それも、大きくもあり、小さくもあり、なんとも判断がつきません。まさに、「なんじゃこれは!」ですよ。

 

着いたのが早すぎたり、連絡がうまくいかず、なんだかんだで落ち合うことができなかったのですが…。まあ、それはそれとして、僕は「久地円筒分水」を独り占めして、十分堪能してきました。

 

「久地円筒分水」

(川崎市のホームページによる)

 

江戸時代、二ヶ領用水は多摩川から上河原堰及び宿河原堰の2箇所で取水されたのち、高津区久地で合流し、久地分量樋へ導かれ、そこで四つの堀(久地堀、六ヶ村堀、川崎堀、根方堀)に分水されていました。
久地分量樋は、樋(水門)によって、決められた水を分ける施設でしたが、正確な分水ができず、水量をめぐる水争いが絶えませんでした。

そこで、昭和16(1941)年に「久地円筒分水」が造られました。二ヶ領用水から取り入れられた水は、平瀬川の下を潜り、再び噴き上がってきた水を円筒の円周比により四つ堀に分水し、各堀へ正確に用水を供給しています。

この円筒分水の技術は、当時としては大変に優れた自然分水方式だったことから、各地で同様のものが築造されました。
「久地円筒分水」は、その歴史的な重要性や、全国に広がる初期の円筒分水の事例であることから、平成10(1998)年に国の登録有形文化財に登録されています。

 

 

 

「ニヶ領用水久地円筒分水」案内板等

 

 

 

 

 

「ニヶ領用水久地円筒分水」

2018年10月13日撮影

 

 

 

 

 

 

 

 

 

関連周辺河川など

 

 

 

 

川崎市による「解説」

慶長2年(1597)、江戸幕府代官の小泉次太夫(こいずみじだゆう)によって稲毛(いなげ)・川崎二ヶ領(にかりょう)用水の測量・工事が開始されました。現在の多摩区中野島地域から多摩川の水を取り入れる用水工事は、約14年の歳月を経て完成しました。その後、中野島の下流、宿河原にも用水取水口を新設し、さらに用水による灌漑(かんがい)面積を増加させました。
中野島・宿河原取水口から引水した二ヶ領用水は、久地(くじ)村で合流し、同村に設けられた分量樋(ぶんりょうひ)によって4つの堀に分けられました。この分量樋は、用水の流れをそれぞれの堀の流域の灌漑面積に比例した木製の樋(水門)によって分ける施設です。
こうして二ヶ領用水は、流域の広大な水田を潤し、近世川崎地域の生産力を高めたのです。しかし、一方では水騒動という用水をめぐる争いも起きています。日照りなどのさい、下流の村々では自らの地域の用水量を増やすため、分量樋の他の地域への流れをふさぎました。当然ふさがれた地域では、これに対し訴訟を行ったり、時には実力行使に及ぶこともありました。このような水騒動は、その後もしばしば発生しました。
明治維新後も、二ヶ領用水は地域の農業用水として活躍し、多くの水田を潤してきました。そして近代技術が発展すると、それまで水騒動の拠点であった久地の分量樋にかわって、昭和16年(1941)にコンクリート製の円筒分水(えんとうぶんすい)が造られました。
この円筒分水は、中央の円筒から用水を湧き上げ、その外側にある直径16mの円筒の円周から、それぞれの灌漑面積に合わせた比率によって4本の水路に流す仕組みになっています。用水の水の増減に関わらず、一定の比率で分水するこの円筒分水のシステムは、当時としては最も理想的かつ正確な自然分水方式の一つであり、その後、近年に至るまで全国にこのシステムが採用されていきました。二ヶ領用水久地円筒分水は、その初期の事例として、平成10年(1998)、川崎市で初めての国登録有形文化財(建造物)に登録されました。工業都市として発展した川崎で、二ヶ領用水は本来の農業用水としての役割をほぼ終えましたが、現在では市民の憩いの散歩道として整備され、環境用水としての新しい姿を見せています。

 

「ニケ領用水久地円筒分水」パンフレット

http://www.city.kawasaki.jp/530/cmsfiles/contents/0000018/18327/2506entou.pdf

 

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