網野善彦と鶴見俊輔の「歴史の話 日本史を問いなおす」を読んだ! | とんとん・にっき

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網野善彦と鶴見俊輔の「歴史の話 日本史を問いなおす」(朝日文庫:2018年1月30日第1刷発行)を読みました。どうしてこの本を読むことになったのかは記憶がなくて、たぶん、新聞広告に載っていたので、購入したのではないかと思います。「朝日ジャーナル」(1992年5月15日号~5月22日号)に連載されたものです。

本の帯には、以下のようにあります。
型破りな二人の、たった一度の対談。
日本史からこぼれ落ちたものにこそ、
この国の未来を考えるヒントがある。

 
「『日本』という国号が決まる前・・・・・・には『日本』も『日本人』も日本列島には存在していない。日本国は明らかに東北と南九州を侵略・征服して、100年をかけてようやく本州・四国・九州を支配下に入れたわけですね。そこから出発して考えていく必要がある」(網野)
「アイヌと琉球と2つの王朝があって、京都の王朝を入れて3つの王朝が並行して日本列島の中にあった・・・・・・そこを日本の歴史像の中に組み入れていかないと、『君が代』も『日の丸』もとらえ切れないし・・・・・・人類の中の日本人という方向には向かない」(鶴見)

歴史家・網野善彦と哲学者・鶴見俊輔が、それぞれの半生に重ねながら日本の歴史について語り合う。我々はいつから「日本人」なのか。教科書とは異なる視点に立ったとき、新たな「日本」の姿が見えてくる。一度だけの貴重な対談の文庫化!

目次 :
まえがき 網野善彦
1 歴史を多元的にみる
国民の生活から離れる知識人たち/ 「烏合の衆」が秘める思想的な強さ/ わからない問題がたくさんある/ 「お前は何民族だ?」と聞かれたら/ ずっと秀才だった人間の思い込み/いつから「日本人」という意識をもったのか/裏帳簿をつくる戦国時代の村人たち/地球大でみるとさまざまな王がいる/「プラス、プラス、プラス」と「ナイナス、マイナス、マイナス」の歴史観/無所有のものを確かめていく/哲学者としてのマルクス/いま民際学を。国際学ではなくて/新しい時代の力となる「悪党」/統一の方向へ行くだけでいいのだろうか/日本海世界、東シナ海世界への夢

2 歴史を読みなおす
「意味の重層性」を欠く日本の学術語/ 歴史的変化の中で揺れる文字の面白さ/ 山中共古と『東京人類学雑誌』/ いま崩れようとしている「百姓は農民」像/ 襖の下張りに潜んでいる事実 /百歳生きてきて、「うれしいような、悲しいような」/14世紀にあった「手形」システム/「天皇制」という大きな図柄をどう読むか/「内臓の記憶」を失った知識人/今なお「一木一草」に宿る天皇という王/コメ、君が代、そしてジャズ/新しい「鎖国」を崩す歴史感覚を

あとがき 鶴見俊輔
この本を読みなおして 鶴見俊輔

網野善彦 :
1928年山梨県生まれ。歴史家。専門は日本中世史、日本海民史。東京大学文学部卒業。都立高校教諭を経て名古屋大学、神奈川大学で教鞭をとる。89年、『瓜と龍蛇』で毎日出版文化賞受賞。2004年2月逝去

鶴見俊輔 :
1922年東京都生まれ。哲学者。15歳で渡米し、ハーバード大学哲学科卒業。1942年捕虜交換船で帰国。1946年『思想の科学』創刊に参加。京都大学、東京工業大学、同志社大学で教鞭をとる。82年に『戦時期日本の精神史』で大佛次郎賞受賞、94年度朝日賞受賞。2015年7月逝去

過去の関連記事:
網野善彦の「日本の歴史をよみなおす(全)」を読んだ!
網野善彦の「中世的世界とは何だろうか」を読んだ!
鶴見俊輔の「思い出袋」を読んだ!

(前にも書きましたが)鶴見俊輔の「戦時期日本の精神史」と「戦後日本の大衆文化史」の2冊は、いつか読もうと思ってだいぶ前に購入しておいたもの、未だに読んでないのは恥ずかしい。「戦時期日本の精神史」が「第9回大佛次郎賞」を受賞したのを知って、それが購入のきっかけだったように思います。

「戦時期日本の精神史」
1982年5月24日第1刷発行
著者:鶴見俊輔
発行所:岩波書店


「戦後日本の大衆文化史」
1984年2月29日第1刷発行
著者:鶴見俊輔
発行所:岩波書店