見逃していたマイク・リー監督の「ターナー 光に愛を求めて」を、TSUTAYAで借りて観ることができました。ターナーを演じたのは、ティモシー・スポール。チラシには、不器用だったターナーが苦難を乗り越え、遂には人生の喜びを知る姿を繊細にかつリアルに演じた、とあります。
ターナーについては過去に以下のように書きました。
ターナーにとっては、自然とは平和な静けさに満ちたものではなく、人間の存在をはるかに超えた強大な力、それもしばしば悪意に満ちた力のみを見ていました。代表作「難破船」を挙げるまでもなく、ターナーの風景画においては、主役は山や湖ではなく、嵐や吹雪、風雨や雪崩、波浪、洪水など、自然の威力そのものが主役となっています。そして稀有の色彩画家であったターナーは、ほんのわずかの色調の変化で驚くべき多様な効果を、画面上に生み出しました。例えば今回の海と空だけを描いた「赤と青、海の入り日」を観ると、ただ絵の具を垂れ流しただけ(朦朧体?)のように見えますが、気象上の現象と大気や光の状態を見事に描き出しています。
ということで、ターナーの代表作(僕の知る範囲で)、以下の2点を参照してみましょう。
ターナーの「チャイルド・ハロルドの巡礼―イタリア」は、バイロンの同名の詩に想を得て描いたものだが、画面の中心にローマの松がそびえたっている。夏目漱石は英国留学中にこの作品を見て感銘を受け、後に小説「坊ちゃん」の中に登場させた。
「あの松を見たまえ、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの雅にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲がり具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。
この一節によって、日本でターナーという画家の名が有名になったといってよい。(宮下規矩朗:モチーフで読む美術史2)
川にかかる鉄橋を、蒸気機関車が猛スピードで走ってくる。しかしその車両ははっきりせず、全体に横殴りの雨や霧のような曖昧模糊とした渦巻く光に包まれている。吹雪や蒸気、汽笛や車輪の轟音なども聞こえてきそうである。イギリス最大の風景画家ターナーの代表作「雨・蒸気・速度―グレート・ウェスタン鉄道」である。(宮下規矩朗:モチーフで読む美術史)
今回の映画に即していえば、晩年のターナー、それも女性関係が詳細に綴られています。とは、僕の観かたですが。
「ターナー、光に愛を求めて」のオフィシャルウェブサイトには、以下のようにあります。
ターナーは生涯結婚することはなかった。精神を病んだ母親(1804年に入院先の病院で死去)に家族が翻弄されてきたことが、彼に家庭をもつことをためらわせたとも考えられている(その分、父親との絆はきわめて深く、彼の死〔1829年〕はターナーに大きな喪失感をもたらした)。若いころは、音楽家の未亡人であった年上のサラ・ダンビーと愛人関係にあり、おおやけに認めることはなかったものの女の子を二人もうけた。サラの姪にあたるハンナ・ダンビーが、家政婦として40年以上ものあいだクィーン・アン街のターナーの家を切り盛りし、遺言によって彼の作品の管理も託された。とはいえターナー自身は、海辺の町マーゲイトで知り合ったソフィア・ブースに慰安を見いだし、70歳を越えるころからは、彼女がテムズ川沿いのチェルシーに借りた家で夫婦同然の生活を送り、そこで最期を迎えた。
僕の興味は、ターナーと家政婦であるハンナ・ダンビーとの関係です。時には立ったまま後ろから性交渉を行ったりもします。40年以上も関係があり、遺言によって彼の作品の管理も託された女性です。しかし、ターナー自身は別の女性と夫婦同然の生活を送り、そこで最期を迎えた、とあります。
同じく、オフィシャルウェブサイトには、以下のようにあります。
遺言で、専用のギャラリーを設けることを条件に自分の全作品を国家に寄贈するとともに、自らの作品2点を尊敬するクロード・ロランの作品と並べて掛けることを望んだ。現在、テート・ブリテン美術館の一角にターナー専用の展示室が増設され、ナショナル・ギャラリーには《カルタゴを建設するディド》と《霧のなかを昇る太陽》が、クロードの作品と並べて展示されている。
以下、とりあえずシネマトゥデイより引用しておきます。
チェック:18世紀末から19世紀にかけて活躍したイギリスの風景画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの謎に満ちた人生に迫る伝記ドラマ。『秘密と嘘』『ヴェラ・ドレイク』などの巨匠マイク・リー監督が構想に10年を費やし、愛と光を求め旅を愛した天才画家の創作への情熱や人物像を描く。主演は、リー監督の『人生は、時々晴れ』にも出演したティモシー・スポールが務め、第67回カンヌ国際映画祭男優賞などを受賞した。
ストーリー:18世紀末イギリス、若かりしころからロイヤル・アカデミーで評判だった自由な芸術家のターナー(ティモシー・スポール)は、インスピレーションを得るために旅に出ることが多かった。また異色の作風から、画壇や観る者に理解されないこともあった。そんなある日、助手を務めていた父親が突然他界してしまい衝撃を受ける。
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