チャン・イーモウ監督の「活きる」を(またまた)観た!
チャン・イーモウ監督の「活きる」を(またまた)観ました!
以下、KINENOTEによる。
解説:
激動の中国を舞台に、時代の波に翻弄される家族を描いた大河ドラマ。監督は「初恋のきた道」のチャン・イーモウ。脚本は「さらば、わが愛/覇王別姫」のルー・ウェイと、原作小説の著者であるユイ・ホア。出演は「さらば、わが愛/覇王別姫」のグォ・ヨウ、「始皇帝暗殺」のコン・リーほか。1994年カンヌ国際映画祭審査員特別賞、主演男優賞受賞。
あらすじ:
1940年代。資産家のフークイ(グォ・ヨウ)は、博打に明け暮れる毎日。だが借金のため全財産を失い、妻のチアチェン(コン・リー)は子供たちと家を出てしまう。すべてを失ったフークイだが、唯一の技能である影絵芝居で全国を巡演し生き延びていく。やがて戦火の中をかいくぐり、再びチアチェンや子供たちのもとへと戻った。50年代、時代は共産主義の躍進期。国の推進する集会で、息子のヨウチン(ドン・フェイ)が事故死。60年代。聾唖の娘フォンシア(リウ・ティエンチー)はめでたく結婚し、妊娠。しかし文化大革命により医者はすべて摘発されており、病院は素人の若い女性ばかり。フォンシアは出産は果たすものの、その後、合併症を起こして死んでしまう。数年後、年老いたフークイとチアチェンは、孫息子の面倒を見ながら生活していた。過去の悲しみの上にあるほろ苦い幸せと共に、彼らの人生は続いていく。
以下、過去の記事から…。
チャン・イーモウの「活きる」を観た!
テーマ:映画もいいかも
先日、「サンザシの樹の下」を劇場で観た後に、チャン・イーモウの作品をしっかり観ておきたいと思い、TUTAYAで借りて、「初恋のきた道」、「上海ルージュ」、「活きる」、「至福のとき」と、続けてみることになりました。劇場では、先日「女と銃と荒野の麺屋」(2009年)を観ました。高倉健主演の「単騎、千里を走る」(2006年)も、もちろん観ています。
チャン・イーモウ監督の「活きる」(1994年)をTUTAYAで借りてDVDで観ました。日本での上映は、2001年12月から2002年11月頃だったようです。この映画の原作は、1993年に発表された余華(ユイ・ホア)による小説「活きる」だというので調べてみたら、角川書店で2002年3月に刊行されていました。主演は三枚目俳優の葛優(グォ・ヨウ)、裕福な家庭に育ちながら、サイコロ博打にうつつを抜かし、そのあげくに家屋敷を取られて一文無しになります。その後、影絵芝居をしながら、時代に翻弄されながらも懸命に生きていく主人公・福貴(フークイ)を演じています。その妻役は鞏俐(コン・リー)、夫をささえ、子供を育てながら、強く活きる女主人公・家珍(チァチェン)を演じています。
賭博で負けて家屋敷を取られた龍二(ロンアル)から、影絵芝居の道具一式をもらった福貴は、龍二から「影絵芝居は賤しい仕事だと思われているが、食うには困らない」と言われ、これを自分の天職として懸命に生きていきます。影絵芝居は見事だし、福貴の歌は秀逸です。家珍に愛想を尽かされ、一旦は家珍と別れた福貴、家珍は実家で長男・有慶(ヨウチン)を生みます。福貴が真面目に働いているというので、家珍は福貴のもとへ帰ってきます。息子の名前を聞かれると「不賭(ブドウ)」と冗談で答えたりします。
影絵芝居の巡業中に、突然国民党の部隊に襲われ、福貴たちはその部隊の雑用係として使われるようになります。しかしすぐに、この部隊は共産党軍に攻撃され、今度は共産党軍の兵士たちに影絵芝居を見せるようになります。こうして国共内戦では、影絵芝居が福貴の命を救ってくれたのでした。戦火の中をかいくぐり、福貴はからくも家族の待つ家に帰ってきます。福貴から家屋敷を取り上げた龍二は、地主階級とされて公開処刑されることになります。福貴が博打に負けずにそのまま富裕階級だったらと、運命を感じざるを得ません。
毛沢東の「大躍進運動」で、鍋や釜を供出してしまった結果、食事は共同食堂でするようになります。息子の有慶は、車の事故にまきこまれて亡くなってしまいます。運転していたのは新任の知事、かつての福貴の相棒・春生でした。春生は償いをしようとしますが、福貴夫婦は受け付けません。なすすべもなく、春生は立ち去ります。
1970年代、文化大革命が始まります。影絵人形は反体制的だと町長が言うので、やむなく福貴は大事な商売道具を焼却処分にします。替わりに町長は、娘の鳳霞に縁談を持ってきます。相手は紅衛兵の隊長を務める男・二喜です。話すことができない鳳霞には過ぎた縁談ですが、二喜は片足が不自由でした。質素ながら多くの人に祝福されて、鳳霞と二喜は結婚します。家珍は、子どもが生まれたら毎年一回子供の写真を撮ることを二喜に約束させます。福貴夫婦にいろいろよくしてくれた町長も、走資派として失脚します。ある日、福貴は春生が資本主義者とされて、失脚したことを知ります。
夜、春生がこっそりと福貴の家へやって来ます。春生の妻は自殺、自分も同じ道をと思い詰めています。お金を持参して、受け取ってくれと言いますが、家珍は「生きて私たちに償え」と去っていく春生を励まします。初めての子供を身もごった鳳霞は、いよいよ産気づきます。入院した病院には医者の姿はなく、看護学生の紅衛兵が取り仕切っています。やっと見つけた老医師は饅頭を喉に詰まらせたりして、まったく役に立ちません。子供は無事生まれたが、看護学生らの処置が悪く、鳳霞は亡くなってしまいます。
愛する息子と娘を失いながらも、激動の時代を生き抜いて、娘婿の二喜と成長した孫の「マントウ」と共に、幸せに暮らす年老いた福貴と家珍。家族は連れだって、息子と娘の墓参りに行きます。お墓には有慶の大好きだった餃子と、毎年撮った鳳霞と二喜の息子マントウの写真が飾られていました。孫のマントウは買ってきたばかりのヒヨコに夢中です。ヒヨコの飼育箱に使ってくれるようにと、福貴がかつて影絵人形を入れていた箱を孫に差し出します。
この映画で描かれているのは新中国の激動の時代です。1940年代、中国本土では国民党と共産党との内戦が始まります。共産党は国民党の蒋介石軍を台湾に追いやって勝利し、1949年中華人民共和国が誕生します。1950年代、新国家は誕生したものの、いわゆる「総括」が続きます。上流階級や富裕地主は反革命分子として糾弾され、処刑されます。1957年、毛沢東の「大躍進運動」が始まります。鉄が必要なため、鍋や釜まで供出します。食事は共同食堂でとるようになります。
1960年代、毛沢東は神格化され、1966年から文化大革命が始まります。毛語録を手にした紅衛兵が我が物顔で、町中をのし歩きます。壁新聞が張られて、知識人たちは糾弾されて、自己批判を余儀なくされます。1976年に毛沢東が亡くなり、江青ら4人組が逮捕されたことにより、新中国の革命第一期が終わります。このような新中国の激動の時代を、福貴と家珍の二人は、娘や息子たちとともに懸命に生きていきます。まさに一大叙事詩です。
「活きる」
著者:余華
訳者:飯塚容
発行:2002年3月
出版社:角川書店
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