高倉健の「単騎、千里を走る。」を観る!
仕事も一段落付いたので、と言うほど大層なことではなく、ただ単に週末ということなので、渋谷に出て夜は映画でも観ようかと思い出かけました。いつもよく行く「渋東シネタワー」へ行ったところ、「Mr&Mrsスミス」「有頂天ホテル」「オリバーツイスト」「単騎、千里を走る。」をやってました。近くでやっている「プライドと偏見」もいいかなと思いましたが、その中で本年度アカデミー賞最有力、ロマン・ポランスキー監督、チャールズ・ディケンズ原作の「オリバーツイスト」を見ようと決めました。
その前に腹ごしらえをと、ロッテリアに入り「チキン&グラタンセット」を食べながら時間を潰しました。さてちょうど時間と思い、チケットを買いに窓口に行ったところ、「オリバーツイスト」は6時30分の始まり、チケットの販売は終了していました。あれれ、もう始まってたよ。映画はみんな7時始まりかと勝手に思いこんでいたのが失敗でした。ということで、仕方がない次善の策として、7時から始まる「単騎、千里を走る。」という映画を観てきました。内容は、高倉健の出る親子の映画だとは聞いていましたが、どんな映画かはまったく判らないままに入ってしまいました。
実は、去年の初め頃から中国語の勉強をしているのですが、年末事情があって2ヶ月程休んでいたので、今年になってまた勉強に行き出したのですが、だいぶ遅れたことを実感していました。であるからして、「単騎、千里を走る。」は、てっきり中国映画だとばかり思いこんでいたので、この際中国語に浸る時間もいいかなという程度の思いでした。
「一年之計 在干春 一日之計 在干晨」
簡体字が出ないので、合っているかどうか判りませんが、おりしも中国では新年、立春を過ぎ、前日に習いたての中国のことわざです。
「単騎、千里を走る。」の物語は、以下の通りです。
高田剛一(高倉健)は、過去のいきさつから息子・健一との間に確執があり、10年もの間断絶が続いていた。息子の妻・理恵(寺島しのぶ)からの連絡で、健一の余命が短いことを知る剛一。いま、自分がしてやれることは、民俗学を研究する健一が1年前に中国で撮影することができなかった、李加民という俳優が踊る「単騎、千里を走る」を撮影するために剛一は一人中国へ旅立ちます。中国で多くの人と出会い、たくさんの想いに触れて剛一は、息子へのわだかまりが溶けていくのを感じます。
映画の題名「単騎、千里を走る」は、三国志の関羽にまつわる仮面劇からきているそうです。そういえばこの映画、「東京国際映画祭」のオープニングを飾っていたことを思い出しました。ほとんど高倉健の映画です。「不器用な男」の世界です。確かに演技もセリフも下手くそです。それが高倉健の持ち味なのでしょう。男の誠実な想いが、中国雲南省の素朴な村の、封建的な考え方を少しずつ動かし、人々の心を動かして行く、ということがじわじわと伝わってきます。
最後に判ったのが、息子健一役が中井貴一だったこと、声だけの出演でした。それにしても、ヤンヤン役の子役が素晴らしい。つまり、この映画、二重の意味の親と子と物語です。ひとつは剛一と健一、もうひとつは李加民とヤンヤンという男親と息子です。そこには女親の入り込む余地はまったくありません。寺島しのぶ、脇役でしたが、辛い思いがよく伝わってきました。そうか、剛一と健一の通訳の役割も担っていたんですね。中国のガイドと通訳、歯がゆい思いがしましたが、今考えるとこれもなるほどと思い至りました。
惜しむらくは、「携帯電話」や「デジカメ」の多用は、中国の素朴な村には、かつ、高倉健が操作するには、不釣り合いな小道具のような気がしました。