堀江敏幸の「なずな」を読んだ! | とんとん・にっき

堀江敏幸の「なずな」を読んだ!

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読み終わってカバーを外してみて始めて気がつきました。2011年度「本の雑誌」が選ぶ年間ベストテン第1位、と大きく書いてありました。続けて、「イクメンもイクメン妻も読んでいる!子育てがいまより愛おしくなる“保育”小説」ともあります。「本屋大賞」とも違うようだし、「本の雑誌」が選ぶ年間ベストテン、についてはほとんどなにも知りませんでした。が、ついでに、そのベスト10を下に載せておきます。「本の雑誌」2012年1月号にその経緯が載っているようです。


[2011年度ベスト10]
1.なずな 堀江敏幸 集英社
2.マザーズ 金原ひとみ 集英社
3.ジェノサイド 高野和明 角川書店
4.秋葉原事件 中島岳志 朝日新聞出版
5.コンニャク屋漂流記 星野博美 文藝春秋
6.今日もごちそうさまでした 角田光代 アスペクト
7.桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活 奥泉光 文藝春秋
8.舟を編む 三浦しをん 光文社
9.「絵のある」岩波文庫への招待 坂崎重盛 芸術新聞社
10.これが見納め D.アダムスほか みすず書房


脱線ついでに、まったくの偶然でしたが、NHKの「ラジオ深夜便」を聞いていると、誰とは知らない文学者へのインタビューが流れていました。ちょっと聞くと、ああこれは堀江敏幸だと直感しました。いまNHKのホームページで調べてみると、その放送は5月2日(水)午前1時台(1日(火)深夜)のことで、「日常の中にこそ文学がある」と題して作家で早稲田大学教授の堀江敏幸への「列島インタビュー」でした。手間を省くためにNHKのホームページから、少し長いですが、以下に引用しておきます。


このほど「芥川賞」の選考委員に選ばれた作家の堀江敏幸さん(48歳)。辞任した石原慎太郎さんや黒井千次さんにかわって、作家の奥泉光さんとともに新しく選ばれました。これで、芥川賞のすべての選考委員が戦後生まれの顔ぶれとなりました。選考委員として堀江さんがどんな作品を評価し、今後の日本文学の動向にどんな影響を与えるのか、注目されています。堀江さんは1964年、岐阜県多治見市生まれ。早稲田大学文学部卒業後、東京大学大学院やフランスのパリ第3大学への留学を経て、1995年に「郊外へ」で小説家としてデビュー。2001年には「熊の敷石」で芥川賞を受賞しました。・・・堀江さんの作品は「穏やか・・・」と評されることが多いですが、本人は「穏やかなものを書いているつもりはなく、常に怒っており、その怒りを自分の中で一度殺してから書いている・・・」と語っており、日常をはみ出すこと、奇抜なことに新しさを見いだそうとする風潮には強く反発しています。現在、早稲田大学文学学術院で小説の創作の指導も行っている堀江さんに、芥川賞の新選考委員としての抱負や、創作活動において日常性にこだわる思いなどを伺います。


「かずな」に関連するNHKのホームページから抜き出した箇所は以下の通り。「去年発表した長編小説『なずな』は、地方新聞社の記者をしている40代なかばの独身男性が、やむを得ない事情から、弟夫婦の生後間もない女の子の赤ん坊をあずかり、ひとりで育てていく日常を描いた、いわば"イクメン小説"です。期間限定の「父娘」を取り巻く人々の姿などを、魅力的に、かつ繊細に描いており、『本の雑誌』では2011年度のベスト1作品に選ばれました」。


堀江敏幸の作品は、今まで、「めぐらし屋」「雪沼とその周辺」「熊の敷石」「未見坂」を“過去の関連記事”に載せておきましたが、もう一つ、初期の作品「おばらばん」(1998年)を読んだ記憶があるのですが、ブログには書いてないようです。今思うと、僕が堀江敏幸の「なずな」を知ったのは、5月の始め頃、この作品が第23回伊藤整文学賞に選ばれたという朝日新聞の小さな記事だったように思います。


まど・みちおの「ぼくが ここに」と題された詩を、抜き出してその前後の文章と共にここにあげることが、「なずな」を理解する上でもっとも適当だろうと思います。


「なずなは、生後三ヶ月を過ぎた赤ん坊である。女の子である。このふたつの条件を満たす存在は数限りなくあるのに、なずなは、なずなでしかない。せりでもはこべらでもなく、なずなでしかない。『私』とはなにか、『ぼく』とはなにかを考える思春期の悩みは、第三者に向けられることがないから、かけがえのない存在、といった言い方はつねに閉じた響きをともなう。だから、親となった人々はみなどこか悟った顔になり、子のない人々にそれとない圧力をかけているように見えてしまう。しかし、そうではなかったのだ。いまになって、子どもたちと教室で読んださまざまな文章が胸にしみてくる」(P254~P256)。そして、まど・みちおの「ぼくが ここに」が続きます。


ぼくが ここに いるとき

ほかの どんなものも

ぼくに かさなって

ここに いることは できない


もしも ゾウが ここに いるならば

そのゾウだけ

マメが いるならば

その一つぶの マメだけ

しか ここに いることは できない


ああ このちきゅうの うえでは

こんなに だいじに

まもられているのだ

どんなものが どんなところに

いるときにも


その「いること」こそが

なににも まして

すばらしいこと として


「人は、親になると同時に、『ぼく』や『わたし』より先に、子どもが『いること』を基準に世界を眺めるようになるのではないか。この子が、ここにいるとき、ほかのどんな子も、かさなって、いることは、できない。そしてそれは、ほかの子を排除するのではなく、同時にすべての『この子』を受け入れることでもある。マメのような赤ん坊がミルクを飲み、ご飯を食べてどんどん成長し、小さなゾウになっていく。そのとき、それをいとおしく思う自分さえ消えて、世界は世界だけで、たくさんのなずなを抱えたまま大きくなっていくのではないか。」


主人公は、「私」菱山秀一、地方新聞の記者、44歳独身。ある事情で弟夫婦の娘、なずなを育てることになります。街のスナックのママは瑞穂さん、そのスナックで「ジンゴロ先生」と呼ばれる酔っぱらい佐野甚五郎、小児科医、65歳と知り合います。妻は千紗子さん。娘が友栄さん、出戻りの看護婦さん。この家族がいい。なずなを間に、私と友栄さんの距離が次第に近くなっていくのも、この小説の見どころの一つです。


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