去る11月25日金曜日、久し振りに写真展を見てきた。
大阪・北新地の方にある、ビジュアルアーツ専門学校に併設のギャラリー。
ビジュアルアーツ専門学校の頁
http://www.visual-arts-osaka.ac.jp/event/vag.html
友人、シノの頁
http://resist-action.blogspot.com/2011/11/45.html
東京での次の展覧会の頁
http://placem.com/schedule/2011/20111219/111219.html
吉永さんが、45歳までに撮った写真を5つの作品群に分けて展示してある。
写真を言葉にしたり、カテゴライズするのは あまり好きでは無いけれど、
彼の作品は分かり易い言葉でくくると、<ドキュメンタリー・ポートレイト>の分野に入ると思う。
写真が、一番写真らしく居られる分野だけれど。。。
そのまんまの被写体を写しているようでいて。。。
実は、 一番根性がすわってないといけないのが
写真家 本人でなければならないーーーーーー分野だ。
それを撮る時、 写真家は、その対象物と同じ時間を生きている。
写真を見る人は、写っている対象物にばかりに目を奪われる。
自分とは異なる者達。。。
はたまた、同じに思える者達。。。
また、それが 今、生きている自分とは全く違う人物像・物象であればあるほど
異形・奇形なものを見る好奇の心が勝ってくる。
そこで、考えて見て欲しい。
なぜ、写真家が、この写真を撮っているのか。
この写真を撮る為に彼らと行動を共にした その写真家の事を。
そこには、好奇の眼差しを持つのではなく、紛れも無く彼自身の生きざま、眼差しが強く反映されているのだと。
もしも、この写真を単純にドキュメンタリーと言うならば、
それはイコール、写真家の生々しい生き様そのものなんだ。
消えて無くなりそうなモノを、瞬間を
壊れそうなモノを、大切に大切に、
すくっているような気がした。。。
夜の闇を疾走する少年たち。
まだ声変わりが始まったちょうどその頃のようなあどけない顔に、刃のするどい眼差し。
ここじゃないどこかに暮らしているような、遠くの宇宙からやって来たような、西国洋服の極東の異人たち。
異人でありながらも、終の住処やお金や幸せを求め日本に来た人たち。
すぐに所在は分からなくなり、いつの間にか消えていってしまうような 不確かな存在。。。
同じ団体・グループに所属する人達の肖像。 そのグループは皆 不思議と同じ顔に見えてくる。
同じ方向を向いている彼らの肖像が、私にはある意味、異形に見えた。
少し昔のお風呂屋さんの写真。
おっちゃん達が裸でぶらぶらとしている懐かしい風景。
これは、机に平置きしている[SENTO] という写真集の方も見て欲しい。 海外出版。
ぼんやり、やわやわ、ふわふわと揺れるモノが、まるで太古の海に揺れる原子生物のようで、面白かった(^^)
とても、濃いい時間を過ごせて、
楽しかった(#^.^#)♪