数日間の自宅を満喫して、病室に帰ってきました。

当時飼っていたネコも僕をおぼえていたようです。


その後数日経って朝起きると枕もとに何百本もの抜け毛がありました。

主治医に問いただす?と「え?言ってなかったっけ」

しらばっくれてました。「この薬は分裂の早い細胞を殺す薬なんだ人間の細胞で分裂が一番早いのは髪の毛!だから髪が抜けるんだよ・・・」


ハアダウンその日以来毎朝起きると、無数の髪の毛を枕から拾ってゴミ箱にすてる日々。

とうとう我慢できなくなって看護婦さんにシャンプーしてもらいに行きました。


鏡をみるとTVでよくみる白血病患者の頭になってました。


大部屋に戻ると、みんなかける声もなかったようで黙ってました。


その日以来、食堂に行ってみんなと食事をする事はなくなりました。

そしてこう思いました

「この世の中に神様なんていない」






5日間の化学療法から開放され、僕はまた大部屋に戻った。

熱で苦しむ事も、点滴のダルさもなくなり、さらに酷い咳も出なくなりこれで退院かと思っていた・・・


しかし、何だかおかしい、ご飯が食べられないのだ。今まで感じた事のない米の異臭や

病院食も口にすると吐きそうになる。抗癌剤が効いている為の副作用だった。

体から薬が抜けるまでの2週間ほとんど普通に食事ができず、マックなどのジャンクフードや中華のデリカなどの味のやたら濃いものを母に買ってきてもらいしのいだ。


癌細胞と一緒に白血球の数も極端に下がり、注射によって増やすという日々で正常値になるまで外出も禁止。増殖が激しい細胞を死滅させるのが抗癌剤なのだ、癌細胞だけを狙い撃ちする薬は当時なかった。


外出禁止令がとけて、一時帰宅が許された。池袋の西武デパートで食べた銀座アスターのラーメンの味

(今食べれば特においしくないと思う)が今でも忘れられない。


体重も極端に減り50㌔近辺を行き来するほど痩せてしまったが


自宅に戻って鏡で見た顔は何故か生涯で一番美しいと感じた、蝋燭の火が消える前が一番輝くように・・・・・


病院に戻ると恐ろしい惨劇が待っているとも知らずに


(外出が許されたのは僕の生存確率が極端に低かった事が関係していたと知ったのは数年後の話)


ついにその日はやってきた・・・・


「今日から肺の中に出来た真菌の病巣を薬で小さくしていく治療を行いますので、午後から個室に移って下さい」


「はい・・・」とにかく大病院に入ると医者の言うことに従うしかないのだ。


個室に入ってみると無知な自分はプライベートを手に入れた気分になっていたが、個室=重病人が入るという事なのだ・・・その時はまったく気がつかずエロ本でも買ってこようかと思ってた位であった


しばらくするとD先生がやってきて今日から約1週間程化学療法で様子をみます、等々説明をしながら

私の左腕の動脈?に針を差し込んで抗癌剤をつるして行った・・・

薬の副作用があまりにきつく睡眠薬で眠らされたようで次に目がさめたのは2日後だった


おきたはいいが高熱はでる体はだるいは、1日一回夕方に投与される利尿剤点滴で強制的に抗癌剤を体から排除するので2m先のトイレに点滴ごと歩いていくのも至難の技だった。

もちろん食事なんかできませんし食欲もありません


なんなんだ、この地獄のような感覚は叫び


しかしそれは抗癌剤治療の序章に過ぎないのであった、点滴はあと3日続けるという・・・

く、苦しい。睡眠薬なんぞ効かなくなり苦しみのあまり朝まで眠れずに点滴がしたたるのをただ見ていた

ずっとぶら下がったままの生理食塩水?ソリタTが憎らしい、抗癌剤は多分1日2か3袋位しか投与してなかったと思う。病名も知られないように、薬品名のラベルも取られてあったと思う・・・・

とにかく、それ以外の時間も「ソリタT」がずっとずっと点滴されてるのだ、24時間注射されてる感覚って分かりますか?


23歳童貞の冬、12月で24歳だよトホホ。


オマケ

ソリタT成分表

http://www.e-pharma.jp/dirbook/contents/data/prt/3319510A1033.html