最後の留学日記から長いこと空けてしまったけどシリーズの続編を再開。


半年間の留学体験は少なくともおれの29年間の人生の中では圧倒的にしっかり刻まれた魔法のようなひと時だった。


2019年4月6日に帰国してから今日2021年8月4日まで既に2年以上もの時が過ぎている。


その後の日本の生活では引き続き人生で初めて経験することだらけの2年間だった。就職活動も就職も会社員として働くことも、その後に始めた一人暮らしもそれとほぼ同時に始まった感染症蔓延社会での社会生活も何もかも


ウイルス社会はもちろん他の全ての人にとっても予期せぬ初めてのことだったけれど。


帰国してからもそれなりに色んなことがあった、にも関わらず特別印象的で心に強く焼き付いている記憶としてはその半年間が圧倒的で、人生全体で見ても片手の指で数え切れるほどの忘れられない最高な瞬間の中には確かにその24週間が丸ごと収まっている。


楽しいだけではなかった、まさに人の人生みたいに起承転結、喜怒哀楽のその全てが半年という短い期間にギュッとまとめて詰め込まれたみたいな、濃縮果汁を30倍くらいに濃くして味わったかのような半年間だった。


だから半年だけなのに他のどの時期よりも色濃く、そしてしっかり長く感じた激動の時間となっているんだと思う。


人と上手く会話できなくなってしまって高校も辞めた、社会復帰できなくなってしまってどんなアルバイトもすぐに辞めてしまった。


目に映るもの全てが敵みたいに感じてしまって、視界に映る視覚情報を正しく処理できなくなってしまった。


だから部屋に置いてあった真っ黄色なエレキギター、高二の時にBUMP OF CHICKENの藤原基央に憧れて通販で買ったやっすいコピーモデル。


視界に映り込むとそっちに意識を取られて何もできなくなってしまった。


目の前のもの以外にも視界に映り込んでしまった目立つ色や人の視線、どれも意識を取られて過ぎてしまって外を歩けば10分足らずで眠気とともにドッと疲れを感じて帰宅してた。


そんな自分がそれほどに充実した海外生活を過ごせたことは一生の宝物で、ずっと残り続けることなんだと思う。


こうつらつらと前置きを書いてしまったけれど少しだけ留学日記本題を。


前回の記事の続きから。


留学も2ヶ月半が過ぎ、本気になっていたその子との毎日のやり取りが終わりを告げまた新たなフェーズに入っていた頃。



その少し前、最初の2ヶ月を終えた頃にはよく一緒に過ごしていた日本人の友達との関係が変な感じで終わってしまった。


精神年齢子供みたいな自分は友達との上手い距離感や節度の調節が出来ず一緒にいた日本人の友達と距離を取るようになった。


ただかなり大規模な学校だったため校内には全く別の繋がりや外国人の友達によく助けられた。


単独で過ごし始めてすぐに韓国のみんなが仲間に入れてくれて短い間にたくさん一緒に過ごした。


学校に出前をとると校内のカフェのテラス席へ誘ってくれて韓国人グループの中に日本人のおれを呼んでくれた







美味しい韓国料理食べながらその説明をしてくれたり、みんなで外へ食事にいったり、ボホールアイランドっていう近くの島には年末に旅行にも行った。


10人くらいの韓国人グループに日本人はおれともう1人だけ女の子。


女の子みんな綺麗だった。


1ヶ月もなかったその期間に過ごした思い出もこれまた強く残っている。


ただやっぱり子供っぽい自分はどこでも関係を長く仲良く続けられなくて結局また一緒にいなくなったり。


そんな風に知り合ったら友達と今もsnsで繋がれるのは現代ならではの醍醐味かもしれない。


時々反応しあったり、他にもよく気にかけてくれた台湾人の優しい兄さん姉さん達、モデルみたいなベトナム人のクラスメイト、オマーンの面白いおじさんとか、現地の先生との一対一の会話のやりとりも全部








どれも貴重だった。



休日に誘われた遊びでは多国籍のグループに日本人俺1人とかさ、そんな体験後にも先にも簡単にできることじゃなかったからほんとに最高の体験になった。


まあしっかり英語だけの1日になるわけだけど。


いくら留学先とはいえ丸一日英語だけってあんまなかった。


なんでかって校内や寮には必ずどこかに日本人の生徒がいるからね、半年間でもほんとその日だけだったんじゃないかな。


どんな国の人も感覚って一緒じゃんって、違くないじゃんって思った。


こっちが一生懸命伝えようとしたり、伝えられたり、


笑ったら向こうも笑うし固くてたら向こうも固くなるし


共通の話題を見つけた時も国の違いならではの面白い文化の違いを話し合っているときも


語学レベルなんて大して高くないのにほんとに楽しく話すことができた。


長々と書いてしまったので年が明けてからの3ヶ月についてはまた次回から、4月6日に帰国するまでのその全てを書き切るまでは続けるので読んでいる人はしぶとく読んで欲しいところだ。


まあ兎に角、最高の経験だったってことだ。


書いてると色々思い出した笑笑


完。


それまでの人生のことやその溢れかえる思いの丈をぶち撒いてそのまま形に残す場が欲しいと留学中に開設したこのブログ。


最初の頃は勢いそのままに感情だけで書き切るような思い切りのいい記事が多く、我ながら一人留学先で楽しんで書いていたなぁと今になってしみじみと感じる。




最近はというとそもそも全然更新していない。Instagramでは依存症のようにバンバン投稿しまくっているけれどそんな自分が正常か異常かさえも未だによくわかってない。


ただデフォルトが異常なだけかもしれないし、それならそもそも異常ではないしな、俺自身は至って正常。


落ち着きはないし、最初は自信の無さからくる承認欲求が暴走してるだけって思ってたけど。


ただその目的をよくよく探っていくとどうやらそんな単一な欲求だけでなく他にも無数の感情が入り混じって一塊になっていることが少し見えてきた。


頻繁にSNSを更新する理由を上記の理由だけにまとめて終わらせてしまうとSNS依存にありがちな自己肯定感の低下が否めない、ただ自分の場合は気分次第ではいきなり自分でも猛省するようなフルスイングな投稿を無性にしたくなる時がある。


投稿のあとでいや流石にやりすぎたかなと反省するなんてのはしょっちゅうなんだけど少し捻くれたタイプの承認欲求かも知らん。


なんなら承認欲求なんて満たすことがなさそうな、同意をあまり得なさそうな投稿を率先して連投するその様は最早ただの変態。


もちろんユーザーそれぞれの思う"いいね👍"を手元のガラス板タップして簡単にシェアしてお披露目する現代的なステータスの場であることに間違いはないし多かれ少なかれ更新する人たちの心理には承認欲求を含んでいるはず。


ただ自分は認めて欲しい以外にも色んな感情で動いていることが多く、明らかに暴走気味な個人的トピックを感情そのままに自信ありげで投下する。


"さあさあ皆様どうぞご覧下さい"と言わんばかりに投下するのは認められたい欲求とはまた少し違う。


こんなこと言ったら何様だよって話だから渡辺の小さな戯言その①として聞いて欲しいんだけど"ついて来れるやつは付いてきてみぃ、道でない場所を俺が切り拓いて道にする"的な。


新しいことは全ておれの後に続けばいい、その後で誰がどうしようが知ったこっちゃないね


自分への自信がまるで0なおれがコンテンツで同じような感性を持つ人たちの感性をどれだけ揺さぶれるかの挑発を含んでいる。恐らく単純な写真の映え度合いではなく全体としてどれだけ振り切れているか、人と被らないかの方が自分とっては重要なようだ。


そういった絶対に数多くない一部の誰か、コアな部分での感性が似たような人に何かを感じさせられるかどうか。


おれの頭はいつもどっかでお花畑。


そういった投稿の目的は映えることではないけどある意味映えることで。



いやいや気づかなかったけどそこから見えてくるのはおれの目的は自分はこのように考えていて、こんなことを訴えかけたくて、こういったことに感動して、こういったことが大好きで、自分という人間の思考や感覚をみかん箱の上に乗って目の前を通る人たちにお披露目したいんだと思う。


いや、でもこれはもう一周回って承認欲求だな。


ストレートな承認欲求ではないけど、こう思われたいに過ぎないか。


人間それぞれ違うステータスを持っていて自分のステータスのお披露目か。


ただわかった、承認欲求ではあるけどいわゆる"映え"ではないのかもしれない俺の場合。



この解釈も実はいま文章書きながら行っていて、理解できていない自分のその行動のわけを、本質的な目的を理解しようとしている。


ただ自分が今どんな気持ちでいるかにはいつも馬鹿正直でいたい。


何かを認めたくない補正は極力混ざらないようにしたい。


感じてるもんは感じてるもん。


例えそれが人に言えないようなキモいことでも自分が感じているのは事実。


脳内の下ネタレベルが中学生なのもそのせいですね、全くもって知性を感じさせない下。


いやそもそも下ネタに知性もクソもあるか!もともとそっち系のネタってIQ下がってる時の人間の思考ですからね。


すいませんSNSから話がぶっ飛びました。


自分が自分という人間を表現する時にコンテンツは別として時々自分自身に少し迷いを持つ理由が探れそうだ。


あ、そうかそうかおれはこんなことを感じて、そして求めているからここは許せるなぁとか、逆にそこに照らし合わせてもどうしてもやっぱり行き過ぎているなぁとか。


楽しけりゃそんなこと考えることないけどおれは何か行動の目的が定まってないと自分自身の思考でさえもよく疑って勘違いしてしまうようだ。


自分をみくびってしまう。


そんなのもったいね。


最近はオーディオbookとかポッドキャストが幸せです。


それをシェアするんです。


完。










ー2021/01/16

祖父、山口豊へ。

昨日1月15日は祖父の一周忌だった

その日は88歳になったまさにその日に息を引き取った祖父の誕生日でもあった

本来であればお墓への納骨なんてとっくに行われているはずのこの時期にまだしっかり手を合わせてない

ただそれが墓の前でなくても故人を偲ぶことに意味があるわけでこのコロナ禍では自宅からでも想いを馳せたりすればそれで十分だと思っている

生きている人に対して何か思いを巡らすときは連絡をする、というわかりやすい最良の方法があるわけで、故人に対しては仏壇であったり墓前、思い出の品や写真見ながら手を合わせたり想いを巡らすことでその代わりとするのが相場である

コロナ時代に墓前も仏壇もないとなれば一人暮らしの部屋ではただ頭の中で思い返すだけとなってしまい偲ぶことがハッキリとした形で行えずその気持ちや思いすら輪郭が曖昧になる

ならばせめて文字に起こしてSNSにでも投稿しようと思った、誰かに対しての気持ちを文字に起こして文章を書くというのはその時点である程度形として成立させる必要があり、そこにはその人のことをしっかり考える作業が自動的に付随する

仏壇や墓、現像した写真や思い出の品がなくても一つの形としてその人に想いを巡らせるまた別の良い方法であると思う、また実際に目には見えない何かに対してその想いを馳せる時はやっぱり何か形のある物や行動を通して行うのが1番行いやすく人間が墓や仏壇、その他お経を唱えたりする理由も単純に可視化するという意味では当然のことだったんだと思う

これはスマホでなくてもただの日記帳や紙にその人について書き綴ってもいいしとにかく文章にすることにその意味の全てが含まれる

祖父はいつも明るく冗談ばかり言っていてそして破天荒、おれの知っている祖父のほとんどは老後であったためそんな破天荒さは実際に目の前にあったわけではないけどそんな人だっだと聞く(実際そんな感じ)

自分はその気質を直径で受け継いだかのようにふざけたことが大好きで何かバカなことやくだらない事を思いつくと我慢できずすぐ共有したくなる

お堅い父にはよくバカみたいなことをするな。と言われてきたけどそんなバカなことを言って笑ってる時っていうのは実はどんな瞬間よりも楽しかったりする

子供の頃はよく姉と自分をしょーもない替え歌で笑わせてくる母親のおバカなネタでケラケラ笑っていて、小さい頃の思い出として脳裏に強く焼き付いている

これはおれが個人的に思ってることなんだけど祖父から受け継いだおふざけ正統系譜がしっかり刻み込まれている

晩年は和菓子を持って行くとよく喜んでお礼を言ってくれた、祖父は貰ったことをしっかり覚えている人でアルバイトだったけどその時の自分の給料で買って持っていってあげたかった

中学一年から精神的な病みに支配され続けてここ数年前まで家にいた俺をずっと心配していた

なくなる前、会いに行った時には初めて就職した自分の話を聞いてもう安心だ、話を聞いてても立派だしあんなことがあって最初は心配していたけれども全然普通じゃないか、と感心していた

その時は亡くなる1ヶ月前か2ヶ月前だったけど一緒に食べたご飯代とカフェ代をまあ当たり前に支払った

おれの人生には当たり前じゃなかったからなんか当たり前のことしただけなのに慣れない感覚だった

ちなみに祖父との最後の会話は電話だった、もう長くないと思ってまた和菓子持って行こうと電話入れたら結局会えなかったしその後そのまま入院して亡くなった

何年か前によく知らずに勝手にスマホ契約しちゃってよく池袋のカフェでスマホのこと全般手伝ってあげてたのが懐かしい

なくなる直前にまあなんとも酷い状況から最低限社会復帰した自分を見せられた気がした

もう電話して体調はどう?とか和菓子買って行くよ、とかまた電話について教えるよ、とか言えないけど亡くなった祖父に対しての一周忌の供養はこの投稿にて変えさせてもらう

後を生きるおれはおじいちゃんが想像もできなかったくらい生き生きと人生を謳歌するから心配いらないよ

そこで和菓子でも食いながらまた冗談でみんなをケラケラ笑わせていてよ

あと45年ぶりのお婆ちゃんには何か謝ることがあるならまずちゃんと謝るんだよ、そしたらその後は色々積もる話でもしていけばいい。

建介より。





 
 
 

2017年9月、始めたバイトがようやく一年経った頃、アルバイトが一年続くなんて俺からしたらもうそれだけで偉業だったね、凄いよね25でバイトが一年続いたら頑張ってきた、いいね!なんて言ってもらえるなんて笑

 
25歳を迎えた自分が人生で初めて就職について真剣に考えられるまでになった
 
高2で迎えた出口のない闇
 
三年寝太郎みたいな生活になってしまって家族と話すのが怖かったあの頃は希望が見出せず何度か死のうと思った。そのだいぶ後に終わったと思っていた人生がまあなんともヌルっと動き出したため特段の喜びがあったわけではなかったけど失うものは何もない、さあ資格でもなんでも取って早く一般社会出て同年代の普通に追いついたる!っていういい感じの意気込みだった
 
これは余談になるけど高2の頃は結構本気で自分が1番苦しんでると思ってた、俺より苦しんでる奴なんていないだろって、ただ今大人になってみて思うのはそれぞれがみんな何かしらの辛い思いも当然してきているし話を聞いただけで俺を遥かに凌ぐ壮絶人生なんていくらでもあるし、自分は不幸だなんて思っていたけどじゃあもし人生における恵まれている部分を聞かれたら即答出来るわけでおれは明らかに恵まれている部分も持ち合わせている、青春時代の悲しい過去があろうとも今こうしてしっかり意欲的にブログをかけている事もそのままその渦中にいたなら隠し続けていた事実だ
 
話を戻して、高校を辞めた後は通信でなんとか卒業はしたものの進学出来ずにNへ
 
学歴も職歴もましてやかなり長い空白期間すらあった自分が就職を見据えるなら資格だろうという意見は父親とぴったり同意だった
 
てかなんか一つでも形になったものを手に入れたかった
 
そんで勧められた簿記検定、経理はどこの会社にも存在するし決算書が読めるってのは就活では広く有効的なんじゃないかと踏んだケンは周りの声もありT◯Cへ入塾、就職に効力を持ち出すと言われる二級までのコースを9ヶ月間かけて通うこととなった
 
うし!資格ダァぁぁぁぁ、いいぞぉぉぉぉぉと意気込んで早速授業開始、日々の勉強は早く社会進出したい!の一心で毎日続いた
 
三級はなんら大したことないので2ヶ月ちょっとで本番を迎えた
 
初球ということもあって模擬テストや過去問の時点で余裕な感じだったのでそのままの勢いで手堅く取得することに成功
 
さあ本番はこっから、リハーサルで準備運動を終えて本腰入れ始める時や
 
勉強範囲が一気に増えたのと一級の範囲の一部がおれの受けようとしてる本番試験の回から適用になるという
 
テストまでは半年、二冊のテキストを工業簿記と商業簿記と分けて進めていくというもの
 
特段ペースを上げることなく前半期間の工業簿記を終えまずまずの手応え、まあ悪くない
 
あとは後半の商業簿記の範囲をこなしてその後まとめ期間へ
 
家で勉強するのが極度に苦手だった自分は地元目白のサンマルクや自販機カフェを有効的に使い基本毎日問題を解いた
 
受験とか高校でしか経験してないけど大学受験を経験した人はこんなレベルじゃなかったんだろうなぁとか思いながらカフェで電卓叩きまくった
 
そんなペースで途中二月に台湾旅行を挟みつつ商業簿記の範囲に突入、しっかり勉強することを忘れずにその範囲を4月末くらいには終えまとめ期間に
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一つのことが何一つ続くことのなかった人生で初めてそんな長いこと集中できたわけはやっぱり就職を見据えていたから
 
ただの憧れだった社会、会社員、給料とかボーナスとかキュウリとか
 
自分で働いて金を貰うってことも全部が夢のような世界だったから
 
そんな夢の世界が少しずつ、しかもそう遠くない未来にチラつき始めたから楽しみで仕方なかった
 
その時期の自分は精神的にも安定していて目をキラキラと輝かせワクワクしていた
 
彼女が一人も出来たことがない童貞兄さんがワクワクしながらカフェで電卓を叩いてる
 
強烈な光景である
 
もう一度言う
 
強烈な光景である。
 
いよいよ範囲の全てを終えいざまとめ期間へ、いざ前半期間の範囲である工業簿記の模試を受けると大変なことに
 
やべえ全然解けねえ…覚えてねぇ…
 
壊滅的だった
 
年に3回の試験まで1ヶ月と少し、果たしてケンの運命はいかに!

さあいよいよ留学最初の4週間が終わる。




4週目は同時入学で一緒に過ごしていた友達がみんな帰ってしまう前の最終週、住んでる地域も全然違うしそもそもおれは次の年の4月までここセブにいるわけだから朝から晩まで毎日同じ時間を過ごしたみんなとはもう簡単には会えない。

学生時代の卒業に近いのかもしれない、ただおれは学生時代にそんなに寂しいと感じるお別れは経験したことなかったしそもそも地元の人たちにはいつでも会えるって意識があったからなんともなかった。

だからもう会えなくなる寂しさが大きかったのかもしれない。

この気持ちについては自分で書いていても少し思う、人への熱が強すぎる、留学行って仲良くなって一緒に楽しく過ごしたとはいえここまで大切な思い出になるのは変だろうか?とか未だにこの留学日記を書き続けるモチベーションが全く揺らぐことがないのはその気持ちが少し強すぎるからだろうか?とか

例えば相手側がどう思っていようともそれが俺にとってちゃんと大切であれば、その人がくれた言葉であったりしてくれたことであったりただ楽しく過ごした時間であったり、自分がその時になんらかの強い気持ちを感じることができたならその気持ちが薄れることはなく当時の気持ちのまま残り続ける(そういったポジティブとは逆の感情も全く消えないから少し生きづらい)

東京都豊島区で生まれて地元の中学を出た、高校は世田谷の方の私立校へ通っていたけど一年ちょっとで通えなくなってしまってそこからはずっと社会へ出ることができなかった、そんな自分にとって北海道から沖縄まで日本全国の色んな土地、年齢、経歴の人たちとなんのしがらみもなく繋がれたことは確かに財産だった

いやいやアジアの国々にも沢山の友達、そんな自分ついこの間まで想像すら出来なかったのに

だから手紙を書いた、ただただ感謝したかったから

そしてもう一つ大きな理由はやっぱり好きだった子ともっと話したかったけどそれが叶わなかったから

何も言えないまま終わりたくなかった

今後も連絡を!とか付き合って欲しい!なんてやつじゃない

むしろその後の可能性を望んでいたら絶対にそこでそんな急いで伝えるわけなかったこと

てかフィリピンより全然遠い国に帰国するその子に対して、お互い英語全然できなくて簡単な会話を頭捻りながらしてたその子に対してそんな気持ち全く起きなかった

ただはっきり言えてなかった自分の気持ちをそこで伝えて区切りをつけたかった

正直本当は寂しかった、けど手紙を書く書かないなんてことは一切迷わなかった

なーんかこう情報だけ並べると出会ってすぐの友達や好きな子にそこまで入れ込むなんて中身のない人間ようにも思えるけど自分でもあの魔法のことは未だによくわかってない

ただ人間が気持ちを感じるのに長い時間は必要としないんだって事は確かだった

関わった中でその想いをどれだけ強く感じたか、そんな感情がただペンを走らせた

最後の週は寂しさを感じながらもみんなでよく出かけた、最後の金曜日には台湾の友達がお別れ会を企画してくれていたからそこでみんなに手紙渡そうって

好きだったクラスメイトの子には確かその前日の木曜の授業終わり、おれが誘って二人で話した校内のカフェの前に来てもらった

これから書くことはまーなんとも恥ずかいというか照れくさいというか、よくぞ26歳男子がそんなことできたなと思うやつですね

渡す時に伝えたのは帰国するまで開けないでねって(ちゃんと伝わって欲しくて何回か言ったかも)

いやーカッコつけたわけではないんですよ?笑
本当にそうして欲しかったから、変に少しでもプレッシャーかけたくなかったんで

表情は固い全然笑わないし最後の挨拶も名残惜しかったのに"あ、ありがと、オケオケ"みたいな感じで少し戸惑って見えたけど貰ってくれた

てか3分くらいだったけどあの子どう思ってるのかなー迷惑にならなかったかなーとか

さー渡した渡した、と少しスッキリしてあとはみんなと楽しむだけ、これにて留学生活第一章終了。って感じでその後みんなに手紙の内容をいじられたりして笑い合っていた

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金曜日のお別れ会は最高だった

控え目に言っても控え目に言えないくらいには最高だった



なんか人生のハイライトあげるなら絶対入ると思うような最高の瞬間だった

子供っぽいおれが何言ってふざけても優しくしてくれた企業組の友達もクラスメイトの日本の子も感謝感謝でしたね

そんな時間を過ごしていたらスマホが鳴った、通知を見るとなんと前日に手紙を渡したあの子からLINEが

OMG絶対そんなすぐくると思ってなかった連絡だったので思わず速攻でその場の友達に共有、やばいやばいなんか来てるよ!って言ってテンション上がってた笑

内容は4週間置きに行われるレベルアップテストでお尻から2番目のレベルから3番目に合格したことについておめでとう🎉というものだった

そこですぐ浮かんだのが"もしかして帰国前に手紙を開けてくれたのかなぁ"だった

まあそんな野暮なことは聞かずに普通にありがとーっていって少しやり取りしてたら以前おれがその子にお勧めしたナイトマーケットに行ってみたとの報告が(おれは好きな子ができるととりあえず知ってる限りでお勧めしまくるんだって思った、自分の好きを猛烈に共有したくなるんだと思う)

卒業してから四日間くらいはセブに滞在して家族で旅行を楽しむとのこと、その内の一つとしてナイトマーケットに行ってその時の屋台の写真を送ってくれた

お勧めした場所にちゃんと行ってくれたなんてそんなこと初めてで嬉しくて露骨に喜んでたと思う(多分尻尾振って喜んでたねあん時はソーリー🙏🏻)

その四日間は お、なんかやりとり続くなあ嬉しいなあと思っていた

当時2018年11月17日、その時はそのメッセージのやり取りが次の年の1月2日まで1ヶ月半以上続くなんて考えもしなかった

その1ヶ月半の間は留学先のセブから終わったと思っていた恋にまたマジになって恋愛レベル小学生が色々考えて今後また会いに行くって本気で思ってた

留学が終わったら旅行でそこへ行くよって

まず向かうよって

最後の方は一度やり取りに不安を感じて自らそのやり取りを終わらせようとした、好きだから僕にとっては辛いとかそんなこと言ってみたもののモールのお土産屋さん入ったらその子の顔が浮かんでしまって何か買いたくなってまた思い出して、みたいなこと繰り返した

いきなりそんなこと言う俺に対して仲良くなることを諦めたいの?って止めてくれた

もう一度頑張ろうって思ったのに最後は同じことをした

小学生だった、まあ正しい言葉なんて考えたくもないからこの言葉でいいおれは小学生みたいだった

はっきり日付まで鮮明に覚えている、しっかり本気になった初恋でしっかり大切な思い出のまま今もしっかり持ってる

1月2日から卒業まであと3.5ヶ月、まだまだ無数のストーリーがある

いつ終わるんだ留学日記!笑笑