1時間半使って書きかけていた留学日記の記事を全てオジャンにした。

 

カフェのWiFiが一度切断されていたタイミングで思わぬところをクリックしてしまい文章が消滅、復旧のキーも虚しく復活する事がなかった。

 

結構気合い入れてガッツリ書いてたからこういう事あってももう今日はいいや、とか思えなくて往生際悪くまた自宅で文章を打ち始めたところ、帰り道ではさっきと同じものを記憶辿って復活させようかと思っていたけどいざ打ち始めるとそんな気が一ミリも起きない。あーどーしよどーしよ留学日記その14を全く違うものとして丸っと視点をずらしてまた書き始める方が濃厚だ。

 

俺はこういう時道半ばでそのまま床に着くことができないという、まあ自分では課題と思っている性格なんだけど今日はそんなこと考えててもどーしようもないので記事しっかり終わらせてから寝てやるコンチクショこんにちわこんばんわ。

 

と、いうことでさっきは結構真面目に留学日記のその続きをペチペチと打っていたんだけどもう吹っ切れた、全く角度から別物で再開してやる。

 

そんで今14個目の記事の現状はというと半年間の留学のちょうどその半分、ちょうど三ヶ月が過ぎたあたりからまた始まる。

 

えっとね、えーっとね、うーっん、そっか、なんか馬鹿っぽく書いたら気分転換になりそうだから今回の文章テーマバカで。

 

それでね、ぼくね、あのね、えいごがすこしづつできるようになってきてね、そのときいろんなおべんきょうのほうほうをすきかってためしていたんだよ

 

ダメだめっちゃ読みずらいし文章消したショックで現実逃避してる一旦普通に戻そう

 

時を戻そう。

 

 

入国から三ヶ月過ぎた頃、当時の自分の視点から話すからあくまで元々話せない人前提なんだけど、当時の自分がまあちょっとは普通に会話できるようになってきた頃、留学先はフィリピンで現地の人たちも話せるとはいえ先生以外はネイティブレベルではないし英語を学びにくる学校なんだから当然生徒はみんなほとんどが話せないアジア人、みんながみんな話せない中で少しでも話せるようになるとこれまた自分が結構早く習得してもう話せてる気になってしまうんですよ驚いたことに笑

 

そりゃ昔の自分からしたらできるようになってるのは間違いないんだけど、ただ日本帰ってきてから偶然話せる人だらけの環境に度々いることがありましてね、あ、俺は喋れないんだって思ったよね普通にね、あーしっかり勉強しなおさんと

 

日本韓国中国台湾タイベトナム時々中東オマーンとか、あと時期によってはロシアの生徒なんかもいたりしてなんか毎日バカみたいに楽しかった

 

まあ何が言いたかったかというと授業とか自分で色々アレンジし始めてたんよ、個別の授業とか基本教科書に沿って行うんだけど入国して二ヶ月、月一でレベルアップテストってのがあったんだけど既に2回レベルアップしてたから教科書が日常会話より少し複雑になり出してた、そんな頻出しない教科書ライクな英語よりもっと会話スラスラできるようになりたい!!!って最初から思ってたから個別授業の4コマは全てフリートークでお願いしてた

 

フリートーク中自分が言いたいことをどう言うか分からない時とか先生が発した表現や単語でわからない事がある度に会話ストップしてその場で意味聞いたり調べたりしてノートに記入、会話特化型の授業にアレンジして完全オーダーメイド授業にしてた

 

そっちの方が全然有効的に学べているように感じれたし、それとは別に何より現地の先生との好き放題なフリートークがめっちゃ楽しかった

 

文化も感覚もいい具合に離れてる国だから話聞いてても、逆に自分達のこと話しててもずっと楽しい、お互いずっとへぇーボタン押してるみたいに会話盛り上がっていつも授業が楽しかった

 

最初の一ヶ月はわかんな過ぎてなんも楽しくなかったからその頃はウキウキだったね、ウキウキ過ぎて地面から少し浮いてたもん

 

あー書いてるうちに思い出してきた思い出してきた、特におもろかったのは当時外国人の生徒で好きな子いて年上女子の先生にラインのやり取りとかめっちゃ相談してたわ、立ち位置的に生徒に話すよりなんか全然話せたよなあ、ほんで恋愛トークでめっちゃ盛り上がってるのに時々わからない英語出てくるといきなり今の単語の意味は?って会話ストップして単語とか表現メモしてたの今思うとまじカオス

 

そんな感じで英語力もついてきたもんだから勉強に関してはそこから少し中だるみ、成長率が緩やかになり始めた。

 

話せるようになってくると現地でどこ行ったって店員さんとかタクシーの運ちゃんと会話するのが楽しかったし外国人の友達ともこっちからは気後れせずに話せた

 

何度も言うけどさ、あくまで話せないコミュニティの中ではそうやってもう俺はできる!って思ってたよね

 

とにかく色んな人に出逢いまくった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

滞在期間半年って結構マックスで、あとは人それぞれバラバラだったから毎週末必ず新しい生徒の入学あってそして毎週誰かしら卒業して帰るって環境だった

 

しかも何百人もいるデカい学校だったからもちろん知らない人の方が多い、生徒はみんな同じ寮に住んでいるんだけど毎回すれ違うだけで知らない人とか多かった

 

仲良くなるきっかけっていくらでもあったから毎週のように新しい知り合いに出会ってしかも多くが友達になるっていう日本での日常生活ではまず考えられない、普通に生きてたら10年くらいかかるんじゃ無いかって人数に半年で出会えた、その度にインスタとか繋がってたからフォロワー18人で入国したのに帰ってっきた時は175人に激増してて留学先の人だらけになってた

 

そんなデカい学校の中でたまたまグループクラスが同じクラスメイトだったり後はルームメイト、みんな週末は多国籍で遊びに行くからその遊びグループで仲良くなったり、あと普通に校内のロビーで深夜になんかのきっかけで話し始めたりとかもうきっかけだらけだった

 

そんで三ヶ月もいるもんだから仲良い人帰ってたり仲良くても他にきた人たちと連み出してたり、年明けて以降少しの間は固定で連む人もなくその時その時で誘ってくれる人が居ればご飯行ったり、こっちから誘うこともあったけど基本予定ないから週末は一人行動多くなってて適当にぷらぷらと出かけては一人でカフェ入って勉強したり、その後モールで買い物したり、気になってたけど行ったことないとことか一人で言ってみたりなんかまるで日本の自分の日常かのようにそれなりに楽しく過ごしてた

 

校内の食堂で一人でご飯食べてる時クラスメイトの台湾の子に誘ってもらってみんなで一緒にご飯食べに行ったらメンツに日本人いなかったり、そういう記憶も鮮明に残ってる

 

そんな感じで俺の留学生活は英語も話せるようになって、日本にもアジア中にも友達ができて、一人の時間もそれなりに楽しんでそのまま平和に終わっていく。

 

はずだった

 

その後2月上旬に一人の韓国人青年に出会うまではそのまま緩やかに終わっていくもんだと。

 

 

これからの出来事はまるでそれまでの留学生活を全てひっくり返すかのような、昔対人恐怖症とか統合失調症でずっとニートで楽しめなかった日々をひっくり返して青春を取り戻すかのような、それで追い越してしまうかのような色んな意味で怒涛の最後数ヶ月を迎えるわけだけどそれについてはまた次の記事から、さあやっと書き直した記事を完成させたのであっしは漫才でもみたらシャワー浴びて寝るっす。

 

続く



10月に入国して4月に帰国することになっていた、いく前には親に"24週間長いから年末年始のタイミングで一回帰国したら?親戚の集まりもあるんだし"なんて言われたんだけど自分は”帰国?めんどくさいめんどくさい”と思っていたから出来ることならそのままセブで過ごしてたかった

 

実際留学生活が始まってみると現地生活はゲキ楽しい、わざわざ時間もお金も労力も使って帰国した挙句もう一度留学先に再入国するなんてもってのほか、そんな効率の悪いことはせん。そう言わんばかりに当たり前にセブで過ごすことに

 

年末年始はみんなそれぞれが仲良くなった友達グループでセブ島内で旅行に出掛けたり一時帰国したり校内でゆっくり過ごしたり、学校の授業もその数日間は日本のお正月休み同様オフになっていたのでそれぞれがその休暇を楽しんでいた

 

自分は当時仲良くしてくれてた韓国のみんなと年末の二日間でボホールアイランドというセブ島すぐ隣にある小さな島に旅行に行っていて、それもあってか大晦日から年始の休暇は大きく旅行に行くこともなく校内でゆっくりしたりぷらぷらと街に繰り出しては一人でカフェ勉したりモールで好き勝手安めな日用品買ったりしてた

 




そんで適当な時間に学校に帰ってくると学校寮の入り口の広い階段には大体誰か友達が座って電話してたりゆっくり過ごしていたりして、日本人の友達とかだとそのままの流れで会話し始めたら平気で1時間とか2時間会話しちゃって実はそんな時間が最高に充実していたのを覚えている

 






わざわざ予定して遊んだり誘ってご飯行ったりとかも良いんだけどさ、なんか行き当たりばったりでそこにいた人と会話が盛り上がってずっと話し続けちゃうって凄くいい日々だった

 

友達がみんな同じ場所に住んでるみたいな笑、誘う友達いないなー最近とか思って一人で過ごしててもなんだかんだ帰ってくると予定してない誰かに会えるしさ、そんなチルタイムが今思うと大切な思い出になってる

 

留学スタートしてから最初の2ヶ月はなんじゃこりゃ、ってくらい毎日が最高に楽しくて、それまで楽しめなかった人生のその鬱憤を晴らすかのように、社会に出れなかった26歳が人生で初めての青春を取り戻すかのように勉強に遊びに恋愛にと毎日をひたすら楽しんでいた

 

そんな馬鹿みたいに楽しいノンストップな日々もその年末年始の時期からは一旦小休憩、人生ってやつはよくできてる、神様はどうやらそんなピークタイムをずっとは続けさせてくれないようだ

 

仲良くなった友達が帰国したり、調子乗りすぎちゃって人と対立しちゃったり、初めての本格的な恋が自分の中学生みたいな経験値で終わりを迎えてしまったりまあつまらなくなったわけじゃなくて本当に一旦少し落ち着いたって感じだった

 

だからちょうどいい感じのテンションになってくれて少しよかったかもしらん

 

全然関係ないけど当時伸びてきた髪の横と後ろを刈り上げて被せるオシャンな感じの髪型目指して床屋行ったら俺の英語のためかそもそも向こうの理解力欠如のためか文化の違いのためか盛大に失敗し上の方まで刈り上げすぎてしまった

 

もー洒落にならん!とか思いながらその足でもう少し話の通じそうな別のバーバー行って追加の刈り上げ、通称追い刈りを実施しとりあえずなんとかバランスを整えた

 

予定していた長さからはほど遠い柔道部ヘアーが出来上がってすぐ帽子買った、だって恥ずかしいじゃんか大人がそこまで盛大に髪型ミスるって



ただ少し伸びてくるとなんかちょうどいい感じのバランスになってきて髪をジェルで立ち上げてガッチリ固めるとなんかこっちもアリなバーバーヘアが誕生した、そこから数年間の私渡邊建介の定番スタイルである刈り上げスタイルが予期せぬ形で確立されたわけである



しっくりきた定番を偶然見つけ出すというなんとも棚からぼたもち

 

そんな2018〜2019の年末年始でした




セブ島留学で経験したその全てについて書き続ける留学日記と完全なる素人のヘンテコ人生を世界の片隅のどこかに書き留めるためシリーズ化したそれまで、そしてこれからについて

 

この二つのシリーズ以外の記事は特にテーマを設けずただただその時の自分の心情や意見、分析や考察、思いついたことをそのまま言語化する

 

有名な言葉に言い換えると徒然なるままに、動く気持ちそのままにその思いの丈をフィルター介さずただ放つ

 

書き始めは自分でもどんな言葉が出てくるか、どんな流れで記事を完結させるかは知らない、完全にノープランのまま書き進めてその場その場で思いついた物だけでその全てを構成する


何か完成された資料を作成するわけではないし、元々一人でな始めたものだし


ただそんな土壇場の生中継のような生々しい個人ブログがおれ個人には確かに何かをもたらしている


何も計算されていないはずのその記事の一つ一つは実は記事を書く時に必ず自己開示と自己探求、あとは言葉探しを繰り返すこととなる


それはこのブログのような自伝的なトピックで文章作成をするとその時点で自動的に付随するものであり、記事を書くたびに自分の脳内に潜り込んでああでもないこうでもないと一番現実に近い記憶と一番本音に近い感情を探り当てることとなる


すると日常生活の中で主観的には認識できない自分の本音や感情、隠れていた夢や人には言えやしない嫌悪感などがボロボロと出てくる


大袈裟に言うと自分が気づいていなかった自分が炙り出される


おれは文章を書くことが大好きで、いつもバカみたいに妄想や想像で思考を巡らすけれどもじゃあなんで文章を書き出すとおれはスッキリして、そしてそれとは別に何で人にはスラスラと自分のやりたいことだったり想いや気持ち、意見を即答できるのかが紐づいていなかった


ただ少し体感としては人より自分を分析しまくっている


それは時々文章を書くことによって明確に炙り出され、そして自分の本音から何に喜んでそして何に悩んでいるかがわかってきて、そして次に似たような状況になった時にはああおれ今これ嫌がってんなーうわーおれガキ!とか思えたりするのである


逆もまた然り、おれ今回はやっぱり流石とかそんなことも思ってしまうわけで


悩みを相談してくれる人たちに共通しているのは自分が何を引き金にその感情を感じているのかをうまく認識できていない人が多い



逆にこれが認識できているとうわー感じてる感じてる、みたいな感じで自分の少し上空から客観視することに繋がる


書こうと思えばいくらでも書けるからなんとか纏めて行きたいけど、おれはなんで文章を書くとスッキリ気分がよくて、そしていくらでも長文になるかと言うとこんなにもハッキリと明確な、そして自分にとって大事な理由が書かれているからである


こんだけ書いといてちょっと信じてもらえるか分からないけどこの記事でさえ自分でもあーなるほどなるほど!そー言うことか!と記事を書き進めながらまるでパズルが綺麗に組み合わさるかのように、伏線が全て回収されるかのように進行しながら認識が始まり自分がまるで読者の感覚で納得させられるわけである


おれがブログを書き続けるのは他の誰のためでもない、そう渡邊建介自身のためである


完。






 

 

検定の本番まではただひたすら問題を解いた

 

 

忘れてしまっていた前半部分の工業簿記のテキスト2巡目もギアを上げた状態で1ヶ月と少し、試験直前の仕上げをゆっくりしてるような余裕はなかった

 

ただむしろその2巡目さえクリアすれば合格は十分あり得る

 

その後の進路のことは試験の合否によって大きく真っ二つにぶった斬られる、受かればまるで夢のような半年間の語学留学、落ちれば次回の試験まで同じ勉強を繰り返してその後はすぐにでも就職活動を始める

 

元々の強いモチベーションに加えてご褒美には海外留学なんてそんな、受かりたい欲が更に増幅され最後の期間に関してはギアをグッと上げて机に向かっていた

 

てかその後のことなんて考えてる余裕なんてまるでなかったから全てのことは結果が出てから考えようと思っていたし

 

人間モチベーションがそこまで上がると無敵状態と化し何時間机に向かおうが苦を感じない、なんかランナーズハイの境地に達したかのようで辛さなんて覚えた記憶がなくただ受かりてぇーの一心でやべやべ、やらんと。って感じだった

 

前半に勉強した内容とまるっきり同じ内容の工業簿記問題集を自分で割り振った期間内には完了させ、本当の意味での仕上げとして問題を解き始めた

 

最後の方に解いた過去問や模擬でも合格ラインである70点以上は解く年によって2回に一回はクリアしていた

 

心境としては、"うーんこれはわからんくなってきた、頑張っても2回に一回は落ちてるのか、まあ考えてもしゃーないしとりあえずラストスパートかけて頑張ったら受けるのみ"って割り切ってた

 

できる限りのことはしたつもりで試験当日を迎えあとは神のみぞ知る、通っていた池袋の塾が試験会場となっていたのでいつも勉強していた環境で本試験って少し良かった

 

ただやっぱり当日は緊張してた、誰しも一度は経験あると思うけどやっぱり受験ってのは緊張する、やるだけのことをやったとはいえ当日はソワソワしていた

 

てか早く終わってほしかった、そんな心理状態を早く抜け出したくて気持ちとしては早いとこ終わらせてサクッと帰りたいだった

 

試験中はひたすら急いでペンを走らす

 

塾の講師の人のモチベーションの上げ方が上手かった、本試験をどのように効率よく解き合格に近づけるかの具体的な策が明確で本当にその通りしっかり言うことを聞いた

 

試験直前の授業で生徒全体に向けて話してくれた言葉が強く残っている

 

こう言った社会人の資格受験のコースは途中離脱者が頻出する、ただ今ここに残っている時点で諦めずにやってきた人たちであり、その時点で受かる可能性を持っている。試験途中でも諦めなければ挽回できる可能性もあり、試験途中で諦めるか諦めないかで合否が分かれることもある、もし止まってしまったらペンを止めて時間を待つのではなくなんとか解決の糸口を探る

 

こういう事だけでなくハッキリと否定するところは強く否定する人だった

 

今の時点でこういう人はハッキリ言って落ちます、こんなことは正直言いたくないんです。ただその気にさせて受かるわけではないしなるべく多くの皆さんに受かってほしいからこう言っています。褒めて受かるならいくらでも褒めます。と

 

だから信頼できた。言っていることがいつも納得できたから、この人の言うことをしっかり聞いておけばいいと、そう迷いなく思えた。

 

社会人が資格取得のために通う塾なんてみんな知らない人たちが授業だけ受けて帰るから英会話教室みたいに知り合いっぽくなることはないし、講師とも個人的にやりとりするようなことは授業後の勉強に関する質問の時くらいだった

 

言ったらほぼ一方的なやり取りのその講義の何ヶ月間でもとても信頼できる人で担当の講師がその人に当たってほんと良かったと思えた

 

当日は予想していた範囲を裏切るかのように重点的に対策していたところが出なかった

 

簿記の検定は満点など取れないようにできている

 

一定数必ず落ちる計算で極めて難しい難題としっかり勉強していれば必ず解けるようにできている問題が入り混じっている

 

かなり優秀な方でも80点がいいところだ

 

合格ラインは70点以上

 

試験中には案の定ペンが止まった。

 

難題部分は仕方ないとして、本試験に焦っていたせいか普段はやらないようなボタンのかけ違いのように一つずつズレて問題を解いていたというミスをしていたセクションがあった

 

制限時間終わりまで十分な時間がない

 

一瞬留学に行けない未来がよぎった

 

終わったと、ハッキリ一回思った

 

諦めそうになった

 

続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年6月の簿記検定二級本試験に向けて勉強を進めていた中、いつだったかハッキリとは記憶してないけど試験の数ヶ月前に家族で外食をしていた時のこと

 

四人でいたから休日だったんだと思う、場所は今でもはっきりと覚えている、日比谷のミッドタウン内のレストランで食事をしていた

 

今思うとそれがその後の自分の道を大きく作ってくれたきっかけであり、今の自分にはっきりと繋がる出来事となった日である

 

対人恐怖症や誇大妄想をきっかけに高校を辞めてから精神科に通い続け、24まで何もできず毎日音楽聴きながら散歩と睡眠を繰り返した、そんなニートだった自分がその時には既に就職に向けて素直に簿記の勉強に励んでいた、その時期は家族みんなが応援してくれていてしかも優しい、おれに強く高圧的な態度になる人なんてその時は一人もいなかった

 

だから家族関係はとても良好、食事へ行っても"けんすけ、簿記受かると良いね、早く就職できると良いね"ってよく褒めながらそんな労いの言葉をくれたのを覚えている

 

散々な青春時代を送った挙句の社会復帰であったから姉は応援しつつも楽しんで欲しいと思ってくれたんだと思う

 

食事中にいきなり思いついたかのように"そうだけんすけ簿記に受かったら就職前に半年くらいワーホリでも行ってきなよ!学生時代楽しめてないんだしさ!"

 

かなり前の話だから一語一句この文と同じなわけではないけどこんな雰囲気でワクワクしながら言ってくれたのはハッキリと覚えている

 

すぐに母親がナイスアイデア!言わんばかりに乗っかって"それいい!"と盛り上がってくれた

 

姉は自分が高校3年間でアメリカの高校に留学をし英語を習得して帰ってきた、学校すらまともに通えない俺が遥か遠い夢としてずっと胸の奥にしまっていた語学留学への憧れ

 

そんな考えもしなかった話、無数の考えが一気に頭を駆け巡った

 

最初の正直な感想は、え、いや就職だってしなきゃいけないしお金だってかかるし、お父さんが出すんだろうけどそんな大金…おれはこんな歳でフリーターしかしてきてないから就職だってこれがラストチャンスかもしれない、でもそんな夢見たいな話、行けるならそりゃ喉から手が出るほど行きたいよだって英語とか留学とか憧れてたしなぁ

 

父親は仕事に就くことを最優先していたため一言目にはハッキリとNOのスタンスであった

 

そもそもおれはまだ試験に受かっていない、しかもお堅い父は年のことと就職のことを強く心配していてくれたため一刻も早い就職を、とのことだった

 

それでも姉が"26でのフリーターの就活が半年遅れたところでそんな変わらない、青春時代を一切楽しく過ごしてきてないんだから楽しんできなよ!お父さん受かったら出してあげな"って、そう言ってくれた

 

母親も"そうそう勉強だって今頑張っているんだから!"と強く推してくれてそれでも首を縦に振ることはなかったんだけど

 

 

いやーでも夢あるなぁとか少し妄想が捗りそれでも現実的に行かせて欲しい!なんてまだその時は思えなかった

 

その時は毎日のよう電卓で問題解いていて簿記の試験に受かることで一生懸命であったしそんな夢の海外の話をして計画をしている余裕はなかった

 

おれも父親もまずは試験に受かること

 

どんな未来であれそれだけは絶対条件であった

 

逆に言うと一発合格ができたならそれは父親にとっては最も求めていたことであり、それを盾にして受かったなら留学にいかせてくほしい、はまだ話を聞いてくれる余地があった

 

姉や母親の後押し、簿記の検定に一発合格することを条件に検討してくれることとなり、もし6月の本試験に合格したら留学に行って憧れであっ英語の勉強をすることが現実としてチラつき始めたのだった

 

ただもしその試験に落ちたのなら必ずその次の試験までまた勉強を続け、数ヶ月後の同じ試験を受け直しその後留学なしで就職活動開始が絶対条件となった

 

かたや半年間の語学留学、かたや勉強の継続と受験、そのあとすぐの就職活動

 

雲泥の差であった

 

その後の半年の運命を大きく変えるのは検定の合否次第で、それは自分への大きなモチベーションとなり、それと同時に緊張や少しの不安にも繋がったのだった。

 

 

 

 

続く。