つい3週間前にこの地に降り立って、その時初めて出会った日本人の友達とまるでもうずっと昔から大親友だったかのように爆笑しあえたり自分をさらけ出せたのは不思議だった

最初の四日間くらいは敬語使ってたのにその時にはもう呼び捨て、バカみたいな話で笑って本当に心から楽しい時間だった

高2で社会から脱落して、24までは地元の友達が数人、精神薬を毎晩必ず服用、なんかわからないけど人が怖かった

誰だから、じゃない

それが誰でも、目を見ることが苦痛だった

そんなおれが同じ歳ぐらいの人も、年上のお世話になった人も、国内でも全く違う地域の人たちと出会って、他にも人生で初めてまともにできた女子の友達とか、北海道から沖縄まで、

大貧民の手札に2が4枚、エース4枚、ジョーカーも全て揃ったみたいな、最弱だと思ってた人生の手札に突然確変が起きたかのような状況だった(当時はそんなこと意識してなくてただただ楽しかっただけ)

おれの過去を知らなくても、例えその話を聞いても、ただふざけて笑ってるだけのこの俺をしっかり認めてくれた気がした




有名な企業の新入社員として会社の英語研修の一環として来ていた友達はみんな大人だったから優しかった

一緒に過ごした時間が宝物過ぎて友達に手紙を書こうなんて気持ちになれたのは初めてだったかもしれない

小学校の頃の年賀状は習慣でみんなやってるからやってただけだったかも

この人たちに感謝を伝えたい!って考えるまでもなくもう決まってた

手紙を書きたいって、おれは授業の後門限の10時までの間で外に手紙を買いに行くんだって

入学時期が同じで仲良くしてた日本人はみんな4週間滞在だった

これはたまたまだけど毎日一緒にいたみんなが一気にごそっと帰るなんて結構寂しかった

24週間滞在、最初のみんなが帰ってからまだ俺だけ20週間もあんのかって、その時だけはおもったね

しっかり英語勉強するためにきたんだから、当たり前のことだしまだまだ全然喋れないからこれからもっと頑張るんだってわかってたけどね

それ以外にもおれが留学して早々いきなり外人の女の子に恋して悩んでたら学校寮の入り口の階段で深夜2時まで気さくにアドバイスし続けてくれた台湾人の友達、当時俺なんかよりも全然話せて全部は理解できなかったけど沢山励ましてくれた

ただ一番伝えたかった手紙は一番最初に書いた

まず好きだった子、当時あんま話してなかったけど

直後は流石に寂しい気持ちがほんとに紛れるのか試したくて酒飲めないのにみんなを誘って飲みに行ってみたり、なんかハイになってその時だけ楽になった気がしたけど酒のおかげじゃなかった

つい3週間前に出会った子に真剣に恋して真剣に落ち込むなんてバカバカしいなよく考えたら、意外と平気じゃんって

思った次の日にはすでに全然そんなことなかったけどさ

手紙を書いてる頃は少し落ち着いててうし!もう最後渡すだけ!って思って書いてた

あんなどストレートなラブレターはもう書けない

ハズがかし過ぎる

要するに恥ずかし過ぎる

4周目だけ突如俺の部屋にやってきたベトナム人のイケメンルームメイト、それまで全然必要最低限の会話しかしなかったのに一晩だけしっかり話したことがあって

おれがその手紙を書いてる時にした会話

話しかけられたのかな?ハッキリ覚えてないけどおれが手紙を書いてるんだ、日本人のみんなと好きな子にって言ったら可愛いやつだなお前…って言われた笑

その人も俺より話せた人だったけど、そこからまた全然違う話題になったり結構真面目に話した話題があって

拙い英語で何かに対しての熱い思いを落ち着いた感じで話したらそれを真剣に聞いてくれた

なんだ、チャラいやつかと思ったけど意外といい奴じゃんかって思ったね

まあそのベトナム人との会話の話は完全に余談なんだけどね

あと数日残ってるってタイミングで書き終えて後は渡すだけ、ありがとう最初の4週間

好きだった子には校内でカフェにでもきてもらって渡すだけ渡してこようって決めてた

その他のみんなは日本人と台湾人のみんなでお別れ会するからその時に。

続く。



その気持ちのわけは。




今感じている気持ちの根っこは何か

 

その正体を私情を抜きに考えることをよく意識している

 

感じている気持ちの原因を探っているってことはその時点で喜怒哀楽の"喜"や"楽"ではない

 

でもだからと言って怒りや悲しみではないな、なんだ、寂しさともまた違う

 

この気持ちはどこに対しての感情か、周りの環境は充分すぎるくらい間に合っていて普段の生活をする上では申し分ない、遊べる友達がいて都内には実家があって仕事をしたら25日には給料が振り込まれて時々カラオケ行って家賃は払うけど叶うはずなかった一人暮らし、お金全然たまんないけど快適、音楽もワンタップで全部聴けるなんて


関わる人はとても多く刺激的であったり俺と言う人間からしたら上出来な方かもしれないね

 

ではどこがカラなのか

 

そこを辿っていくとやっぱり何かを作り上げること、仲間と何かを創造したい、作り上げたい、時間を削ってでも自分たちの作品と呼べるものを作り上げたいという欲が随分と長い間満たされずに放置されていたことに気づく

 

ちなみにどうやら自分は同時進行で2つ以上のことをこなすことが苦手らしい、ここ一年くらいで初めて自覚した

 

発達障害の思考が当てはまることが多く自分はそういう脳の作りかもしれないと思う

 



自覚し始めてすぐはその足りない部分を認める前になんとか改善を試みる

 

計画的に頑張ってみると少なくとも少しは改善がみられた、そのままってことはない少なくとも今までは一度も

 

ただ例えば自分的には100%のつもりで挑んんでもその向上が15%ほどで留まる、もしくはいつか必ずその熱がしぼみ続かない

 

向上できない、ではなく自分のスペックに対して割に合わない、が正しい

 

人間には100やって100返ってくることと100やって15返ってくる事、はたまた150の精度で返ってくることがあるということを認識した

 

どんなこともしっかり打ち込めば必ず向上すると思う、ただそれに支払う労力や時間、受け取る成果は人それぞれ違うようで

 

どうやら関わってくるのはそのプレイヤーと勝負内容(取り組み内容)、それに取り組む環境の三つであると思う

 

そのプレイヤーが力を注ぐことのできる事、もしくはどんな壁もプレイヤー本人がある程度は無意識にしろ意識的にしろ成果や勝機、向上の見通しを感じていることが力の注げる事であると思うし、時間を注ぐべき事であると思う

 

そうでないことは機械的になることが多く苦手をなんらかの理由で続けていることがほとんど

 

俺は今のところ自分をしっかり信じている人間ではないし振り切れてやりたいことだけやります!って人間じゃない

 

そんな人周りにいたりするけどすごいと思う

 

ただ自分の人生のルールを決めるのは自分でリスクを取るも取らないも自分が決めるべきことであると思い出す

 

年齢と時間を意識すると自分が楽しく打ち込める物事、環境にいち早く進むことがとても大切で最後まで人生を共に過ごす時間がこの世で一番長いのもまた自分である

 

他人の目を気にして生きてきたビビリがどこをどうブチ壊すかは今後次第だけど本を読んだり好きな音楽を聴いたりリスペクト出来る人物と話すと一瞬で自分に立ち返ってやりたいことってやっていいんだって思う

 

よく連絡を取る友達、よく本を読む彼がいう"自分の人生の責任は自分しか取れない"はその通り

 

失敗した時に他人のせいにしてもその人は俺の人生の責任は負わないし他人は簡単に会わなくなるもの

 

もっと本を読もう




ブログ更新がノロノロと進んでいる

もう既におれのことをパーソナルに知ってる人以外はついて来れない領域に達していて、その時その時に感じた感情の一つ一つを細かく書き綴っているため物語の進行速度が手を繋いで歩いている老人夫婦くらい遅いのである

今日は思いついたことバンバン書いてく日


自分の人生に起こった出来事は忘れない、良いことも悪いことも

良く言うと記憶力がいい、感動した気持ちや誰かがくれた嬉しかった言葉、楽しかった記憶やお世話になった人への恩を忘れることはない、大切なものはずっと大切なまま

悪く言うと全部が全部こべりつき過ぎて感覚の大部分を過去が占める、今まさにこの瞬間も過去の感情ありきで生きていて未練や執着が留まる、言われたりやられたネガティブが精算されづらい、軽くあしらわれた後で掌を返されると受け入れることができない

切り替え、リセットがとても苦手だ

マイナスな感情に対しては何か具体的な区切りがつかない限りなんとなくしれっと戻ることはしない、したくない

そんなおれでも流石に経過時間が年単位になってくると少しずつではあるけど薄れてくる

その時の感覚、文章に残しておかないと薄れた後ではもう思い出せなくなる

あんなにまっすぐ感じた喜怒哀楽の感情の全てが少しずつ薄れて事実だけになっていくなんてもったいない、もったいなさすぎる

今の日々が何に繋がるのか

これまでの日々は実際何に繋がったのか

今日のおれをどう動かしたのか

とても大切なこと

みんなにもあるでしょ、人生の中でも語り外せないほどの大切な時期

これは日記みたいなもんだから書いた当時どんな心境だったのかこと細かくはっきり残っている

文章の日記は写真や音楽よりもより詳細な情報で当時を振り返ってどういう経緯で過ごしてきたのかが明示されている

だから自分がただ悩んで過ごしてきたわけじゃないことが自分に証明できる

そして発言や思いに対してやってこなかったこともはっきり露呈される

最初の記事から今日まで

うねりうねってきた感じ

相変わらず脳内妄想はゴリゴリやってきたんだなーと。






実体のない事象についてぼーっと考えることがある

例えば宇宙空間のこととか、神様がいるとかいないとか

思考が停止するかしないかくらいのレベルで日常を忘れてぼーっとしてるような帰り道にはそんな風に脳内を回遊していることがある


おれが今電車に揺られているまさにこの瞬間にも世界では色んな場所で色んな出来事が無数に起こっていて、おれが今足をつけて立っているこの大地の正体は実は真っ暗な空間にポツンと浮かぶ青い球体で、それを考えているおれの体内では今も変わらず赤血球が全身を駆けめぐりおれを生かそうとしている

地球からしたらおれらのような生命体はおれらにとっての細胞みたいなもんか?

人間が地球の寿命を縮めているとしたら悪さする細胞か

そんな回遊は時間にしたらほんの数分、スマホがラインの通知を受け取ったらそこでピタッと終わりを迎える、もしくは何か思い出した時"洗濯今日やるかー明日の朝やるかー"とか。あとは"あ、綺麗な人おる"とか、欲しかったスニーカー買っちゃうかーとか思った時も

マジで気分が普通の時、特別良くもなければ悪くもない精神状態の時にそのモードに入る

そうすると決まってたどり着くのは生きてる不思議

結局子供の童謡みたいな疑問にたどり着く

純粋な子供の疑問なのに人類の誰もがまだ解明できてないのはなかなか面白い

例えばそれぞれの個体にその意識はないけれどみんながみんな本能に従ってその命を精一杯生きることによって宇宙を動かしていたりして、体の細胞一つ一つはおれという人間を動かしている意識はなくとも結果おれを形成している

そんな思考を回遊しているとその流れから神様がいるとかいないとか、それ以外にも霊的な存在だとか生まれ変わりだとか前世とか来世とか天国とか地獄とか目には見えないその他諸々のことにたどり着く

人間の脳ってのはその脳を自分自身で騙し込んでしまうことが可能で

ぼくらは自分自身を守るために生存本能が働いてキャパオーバーの辛い出来事には逃げ道を作ろうとする

何か意思を持った自分たちを司る霊的存在を信じることがその辛さを緩和させていることは間違いなくて、思考が発達した人類が苦悩を抱えながら宗教という文化を発生させたことはごく自然のことかもしれない

神様っていう考え方はそこから来ている可能性もあったり

科学では立証できない何かを対象にすれば調べないで済むし理由を作り上げることもできる、そのモチベーションが実際に起こす奇跡があったりもするし

自然の摂理で起こっている出来事をぼくらがそう捉えてるだけか?

いやいやでもおれがここ数年で経験してきた出来事の連続は必然を感じざる得ないほど全部繋がってみえた

あそこでほんの数日でも、数時間でも、数分でも時間が違っていたら、あの人でなければ、あの場所を選んでなければなんてことは誰にでもあると思う

その出来事の数々が流石に認めざるをえないくらいに繋がっていた時には少しそういった教えにも興味が湧いたり


母親は小学五年生の時から毎朝必ず仏壇やそれに見立てた場所に手を合わせてきたという

毎朝必ず

それが自分の先祖であっても神様であっても

だからよく小さい頃から"神様は必ずみてるよ"、
"頑張ったら絶対に救ってくれるんだよ"って言われてきた

別にうちの家庭はなんも信仰してない

母親も例に漏れずなんの宗教も持たない

ただ何かの教えを学んだわけではなくて母親が一個人として見えない大切な存在とコンタクトを取ろうとしていた

子供は純粋だからそれで会いたい人と繋がれた気がしたのかもしれない

見えないし聞こえないけど、見守ってくれてるって思うこと

ただ思うだけでは思考が確立されないから手を合わせるっていう行動にでたことは至って自然なことかもしれない

教えがなく自然発生的に行っていたなら自分の身近な先祖であったことは納得

おれも墓参りに行った時は真剣に語りかける

心の中でどうです最近?おれは頑張ってますよって

また来ますね、花置いておきますんで見といてくださいって





それが例え真実でもただの人間の思い込みでも

その真実がどうか。よりもぼくらがそれによって救われたりやる気になったり生きる理由になればそれだけでもう十分だと思える

感謝する気持ちが、誇る気持ちが、会いたい気持ちが、寂しい気持ちが、誰かを強く思う気持ちが奇跡を起こすのは願ったからじゃなくて実際に気づきすらしない行動の端々に現れてるからかもしれない

さ、現実に戻るために狩野英孝の演奏ネタでもみて笑お

最高だあれ

笑笑

ワラワラ

わらわら

完。

24にして実に数年ぶりにアルバイトの面接、デパートの中をうろうろして時間を調節し面接5分前の時にレジの人に声をかけた、事務所に入ると少し大型の優しそうな店長だった

色々言うこと準備してバイトの面接なのに大袈裟なくらい気を張って臨んだけれどサクッと5分くらいで終わって少し拍子抜けだった

簡単なやり取りのあと採用については後日連絡ということに

なんか全然突っ込まれなかったなー、まーいいかなんか困ったこともなかったし

1週間しないうちに採用の連絡が来て晴れて数年ぶりにアルバイトに挑戦することに

続くかわかんないけどやってみるかーって感じだった

自分ではあまり認識してなかったその時のイメージは寡黙で大人しい暗いバイト少年といったところ


ビビってた笑

まあ対人恐怖症の人間が接客の仕事始めたんだから妥当だったと思うけど当の本人はマジで必死だった

最初の3ヶ月はなんで続いたんだろうって思う、今までのコンビニならすぐにでも辞めているレベルで心が折れそうになったことが何度もあった

でも首の皮一枚でなんとか続いてくれたわけは恐らくそんなきつい中でもスタッフやお客さんとのコミュニケーションであれ?なんか平気だって思える日が少しはあったから

調子いい日はなんか少し楽、もしかして続けられるのかな?とか思えた日が4割くらいあったのかな

働いてみないとわからないことだった

あとは言うまでもないんだけどその環境、紹介してくれた親戚の人、職場の社員の人たちもそう、みんな優しい人たちだったのでわけわかんない24歳の根暗が訳ありで入ってきても色々多めにみてくれた(その人たちにその自覚があったかどうかはわからないけどあんなポンコツに対してとても優しかってのは大マジ)

帰れば毎回"今日はどうだった?"って心配してくれる家族がいたんだから"今日はなんか楽だったよ!"とか"やっぱりダメかもしれない"って言えた

報告できる家族がいた

家事は母親が完璧にやってくれた、皿洗いはよく手伝っていてそれ以外は小言だらけ

いつも食事はいらないくらいには用意されてていらないって言うとよくキレられた

お金の心配をしたことがなかった、自分の人生のことだけを悩めたのはおれの人生では当たり前となっているけど親がしっかりしてる人だったから

酔うと手がつけられない恐ろしい父親が友達と会うって言えばじゃあ遊んでこいって、アルバイト続くといいなって言っておれが病まないように小遣いくれた

大人しかったおれに優しかった姉は当時は親と全く同じようにおれを気にかけてくれていて、バイト先でレジ打ってるおれを友達とみに来てくれたり、帰り道の時職場の人に話しかけたけど相手にされてない感じだったって話したら"そんなやつはなぁー"ってガチギレしてたり笑

この上ないサポートがあったかもしれない


最初の辛い3ヶ月を超えると徐々に自然に話せる日が増え始めた

それでも症状に波はあってまだまだ引き戻される日もあったけど本当に少しずつ少しずつ

実はリアルタイムでは決して気付かない、少し経った後に あれ?おれなんか最近平気だなぁって思えたり

それまで誰かに何をしてるかを聞かれたら"今ちょっと調子悪くて、働けてないんですけど…"って言う以外になかったけど

役割がついた

これからは何をしてるか聞かれてもふりーたーです!アルバイトしてます!って言える、24だけどさ、おれからしたら0から1になったんだからそれは嬉しかった

友達と会った時に職場の話ができるってのは当時の自分は無意識に気持ちよく感じてたと思う

半年を過ぎた頃には徐々に最初は絡んでなかった売り場の人たちとも打ち解け始めてバカな冗談を言い合えるようになっていた

いじられてノリでツッコんでいくとよく面白がってくれた

バイト始めて10ヶ月くらいの2017年夏頃には仲良くなった年上の人と富士山登ったり



今思うと楽しかった笑

その頃になってくるともう対人恐怖症の症状なんてどこかへ行ってしまってバランスが崩れる日もなくなっていた

ただ当時はまだ精神薬を飲んでいたけれど

一年が経つ少し前に改善してきてる自分と父親は就職を見据えた話をしてたり

"調子がいいならお前もいつかは就職しないといけないな"

"なんか資格とれ、整体の資格とか、あとは簿記の資格とか"

そうだなおれもなんか資格取るかー、簿記かー

続く。