ケンさんのブログ最近はなんかすらすら読めなくなった。

 

これは初期の頃からこのブログを読んでくれて"文章面白い、更新待ってる!"と言ってくれていた友達の一言
 
Oh my God!!!!!!
 
オーマイガッ!!!
 
王米が!
 
お前が!
 
お前が、お前が悪いんだからな!俺じゃないんだから!
 
オマイガー
 
例えばなんか工場とかでさ、
 
普段はオマイガーを使うんだけど今は時期的にあんま数値上げなくてもいいからレンチで済ましちゃっていいよ、みたいな会話が繰り広げられていても誰もなんも疑わないと思うんですよ
 
オマイガーなんて工具存在しないのに
 
凄いよね
 
はいすいませんこのくらいです辞めますこれ以上広げたらみんなここで読むの辞めちゃう
 
言われるまで気がつかなかったけど最近は記事の内容がパーソナルになり過ぎていてしかも長い、そんな超個人的なクソ長い内容の続編シリーズ確かに誰が読むんだ、と全力で思った
 
ので今回はシリーズから離れます
 
ここからはおれの脳内世界って感じです、渡邊の脳内でのみ繰り広げられる思考をそのまま文章化したのでちょっとくどいです。
 
もう一度言いますちょっとくどいです
 
ではまず記事がわかりやすくなるようにおれの例えを
 
いきなりですけどおれって抜けてるんですよ
 
しかもガッツリ
 
自分でもハッキリ自覚できるレベルで、そんなこと普通に生きてて起こる?ってこと起こすんですよね
 
そんで起こした後に、あーっべ恥ずかし恥ずかしどーするよこれ。ってなるんですけどもうこれは人間の気質の領域です(だからって成長諦めてるわけじゃないですよ)
 
んでだ、よく円グラフだったり何かのスコアや能力、結果を数値化して表すものがあるじゃないですか
 
もしおれをグラフで数値化したならマルチタスクの項目は0で出るはず(なんならマイナス)
 
そして妄想力の項目はグラフを突き抜けるはずです(あくまで自己解釈)
 
おれの性格診断がまさにそうである(こういうのやると壊滅的な部分が必ず存在する)
 
 
 
例えば自己申告30%くらいは社会不適合者な渡辺でも得意とすることやグラフで高い数値を叩き出しているものもあったりするんですよ何かしら
 
それはみんなも同じだと思います
 
何かしらが得意で何かしらが不得意
 
ぼくたちが生まれながらにして持ってる性格や人間性など気質的な部分も含め
 
なのでこれがない人はいないはずです
 
例えば多くの項目が平均的に高水準の人は突き抜けている項目がないとか、恐ろしく低い水準を持ち合わせている人はどこかが突き抜けていたり
 
じゃ世界的な成功者や一見欠点がないと言われる人気の芸能人、アスリートなんかはどうだろ
 
じゃあまずここでおれが考える最終的な答えを先に言ってしまいます
 
もし70億人全ての人間みんながその得意不得意や人間的能力、魅力、幸福度合いや人生トータルでの喜怒哀楽、やってきたことやそれに対しての事象を全て数値化したとしたら
 
最終的な合計点は揃うと思うんですよ、結局同じような点数になる。
 
天は人の上には人を作らず、二物を与えず、とはよく言ったもので神様はやっぱり平等ですね、てか神様って友達からはねぇ神〜とか呼ばれてんのかな?
 
上記で述べた数値化の話、これは一人も漏れることなく全人類に当てはまると思ってます(本人がどう認識するかは別)
 
マイケルジャクソンはみんなの人気者だった
 
CD売上枚数のギネス記録やカリスマ性、影響力、そして何よりその音楽が凄まじい
 
世界中の人々が彼の音楽に酔いしれて誰よりCDが売れて金も稼いだ
 
ただそれほどの才能があっても世界一の幸せ者かどうかは別。
 
何も成し遂げてない人がどこか南国の島国で大好きな家族と一緒にのんびり幸せに暮らしているかもしれない
 
結果を出すことイコール幸せ、ではないか
 
高すぎる才能や能力には責任やリクスが伴う
 
音楽の天才に生まれてしまったばかりに子供の頃から周りには常に金の話が付きまとっていたマイケルにはどこか精神的な寂しさや心の影の部分が垣間見えた
 
彼のようなカリスマになりたいと憧れてステージを目指した人がどれほどいようとも、その憧れの対象であった彼がその生涯を通して憧れ続けたものはなんだったんだろうか、どれだけ収入があろうともそのお金では買えない何かに憧れていたのかも
 
ただ彼の音楽が人を感動させるのは事実だしそんなのはミュージシャン冥利に尽きると思う
 
なのに表裏一体
 
これはルックスにも言えることで、アイドルとかモデルみたいに生まれながらに恵まれ過ぎたそれを持ち合わせてしまうとそっちが先行して内面のパーソナルな部分へ到達されづらい
 
見た目で取っついてくる人はいくらでもいるけどじゃあ自分の本質に魅力を感じてくれている人はそのうちの何割くらいなんだろう、とか
 
逆に今まで簡単に手にしてきたものがあったとして持っているそれでは手に入らないなにかにぶち当たった時にはそれでは満たされないと気付いたり(あ、おれは綺麗な人大好きですからね)
 
まさに今世のおれには無縁の悩みだ…(やかましいわ!)
 
ジャニーズの30代イケメンおじさんたちが女子高生とお酒飲むなんておれが自分のスマホロック解除するくらい簡単なんですよ、相手知らないくても一瞬で何人でも召喚できるし、それで楽しい人は何も問題はないですね、けどもし表面的なトピック以外の部分、人気な芸能人であることやイケメンであること以外の部分の繋がりを求める人なら可愛い女子高生を酒の席に召喚することはちょっとチープに見えてしまう
 
そういう人気の芸能人がそれを行使せずに繋がれた時は嬉しいんじゃないかな、芸能に憧れてる子供なんていつでも来るよ誘ったら
 
幸せとか満足って生まれながらにして持っているものだけでは実はその範囲が限られていると思う
 
その能力が高ければ高いほどそこには必ず光の分だけの闇が付き纏う
 
もともと特に秀でたものがなければリスクも責任も自動的には付随しない
 
となれば自分をその成長過程と一緒に責任やリスクの部分に適合させていけるかもしれない
 
例えば幸せ度合いが低い人は能力はあって金には困らなかったり、逆も然り、どっちもある人は例えば若い頃に血の滲むような苦労や日々の努力を払ってきた人かも(払うってのは返ってくるものに対しての投資ですね、時間や労力、お金や経験)
 
不特定多数の人々に徳を積むように返ってこない愛を与え続ける人はその場では与えるだけになってしまうかもしれない
 
でもそれはいつか必ず自分に返ってくるもので実は自分が一番得をすることにいつか気付けたり
 
成功や幸せの裏にある頑張りや努力、失敗や不幸の裏にも何かがあって、ただの怠けや楽かもしれない、行動の結果としての不幸や失敗もあればそうではない不可抗力的な不幸や失敗もある、怠けや楽に起因するものではなく頑張りや努力の途中で起きているだけってことも、乗り越えたら次は何がみえるかな
 
その頑張りが完結する頃には更なる成功や高みがあるのかもしれない
 
長いので一旦終了したい、続きは次の記事で
 
 
 
 
 
甥っ子と
 
 
 
日比谷ミッドタウンにて

ほいじゃ次の記事は近日中に公開しますわ、実はもうメモアプリからコピペするだけ。
 
コピペ。
 
パピコみたい。
 
またね👋🏻
いきなり誘ったデートを断られてしまって意気消沈ゴリラになっていたとはいえ逆によく考えればそりゃそうかと思っていた節があった


いつも姉妹でぴったりくっついて行動していて夕食以降の時間帯になると寮内の共有スペースで見かけることなんてまずなかったし友達みんなでわちゃっと連んでるイメージも皆無だった

しかも彼氏を作ったことがなかったらしくもうなんだろ、ピュアで真面目なイメージで固まっていたから2週間前にいきなり出会ったたどたどしいコミュニケーションしか取れない外人にディナーに誘われても断るのが妥当、そりゃそだよなって思った

それもあってかめげずに"いやでも校内で話せるだけでも充分だよ" "ただぼくはもっと話したいよ"とか言えたのかも

今考えるとよくぞまぁあんなどストレートな直球をバンバンと投げれたもんだと、まだ女子を意識する前の小学1〜2年生が好きな子に好きだよ好きだよって言う感覚のような、世間知らずの小さい子供が好きな子に気持ちだけで話しかけに行くあの怖いもの知らずな感覚しかし当時26歳頑張れお前はまだ22週間そこに滞在するぞ?おい

あの、あれかも、雰囲気でなんかこの子は嫌がってないなって感じてたからかも

最後のグループクラスが被っていたから"僕たちの授業の後にまたカフェで話さない?"って送ったら"いいよ、じゃ明日ね"みたいに返してくれた

なんでそんなに畳みかけたのかというとやっぱりあと2週間も経たないうちに卒業してしまう、帰国して会えなくなってしまうっていうのが全てだった

もっと仲良くなりたいって気持ちがあって、でももうすぐ帰っちゃうっていう意識

今考えるとどんな子かなんて全然知らなかった、小さい子供が何も考えずにもうじき転校する子を好きになった的な笑えるよね渡辺建介髭とか濃いのにさ




論理的思考とか脳内でのやり取りが一切なされないままほぼ感覚だけでその子に惹かれていった

まぁでも一つ言えることはおれは基本がそう言う人間なんで最初の恋に限らず友達であっても恋人であってもその人に興味を持つきっかけは必ず自分が感じとる感覚に起因する。逆に情報とか条件とかその人の人格に関与しない部分に関してはどうやら読み取り機能がないようでそもそもどこの国の人だとか言語の壁あるとかもう帰国して会えなくなるとかそういうの全部どうでもよくなる

情報的な部分って言うんですか?そういう普通は意図も簡単に考えられるような倫理的思考の部分が恋をすると一瞬で思考の外側へ

誰に何言われようと好きなものは好き!はい!以上!みたいな

だから幼稚園児のような"好き"だけで突っ走ってしまったんだと思いますはい当時26歳重ねてお詫び申し上げます


8コマ目のクラスが終わると教室をでて廊下へ(事前に誘っていた割に授業中はどう接していいか分からず全く話せてなかったような気が…意識すると話せなくなるタイプのポケモン)

カフェで話すよね?の確認の意味も込めて小さく声をかけた、その子の名前を"えっとー、〇〇?"

すると小さく頷いた。

まるで"うん、わかってる、いこうか"って言ってくれたみたいだった

英語しか使えないから一生懸命なんか話してたかな

でもやっぱり圧倒的に無言の時間ができてしまっていたかも

カフェに着くまでは校内をトボトボ2分かからないくらいゆっくり

外に出るとちょうど夕焼けで空が綺麗に染まっていた


フィリピン人の先生たちの帰宅ラッシュとも重なっていたので多くの先生がオレンジ色で綺麗に染まった夕焼けの下の出口の方へと高校生の帰宅時間みたいに友達との帰宅時間を楽しんでいる

その光景を見てたらその子がいきなり"わーTeacher〜(帰っていくー😆)みたいな感じで無邪気に手を振り出したもんだから可愛すぎてつい笑ってしまった

ほんっとにこの子は子供みたいに真っ白だなって、自分はのんびりマイペース、いつもしっかり者の妹にぴったりくっついて甘えるように話しかけて嬉しそうにしてる姿とか全部

カフェではなんとか色々話そうとして全然盛り上がってないのにノート使ったりして伝えてた笑

会話レベルはそれこそまさに小学1〜2年生レベルとか

そんな感じで、でもスローな感じでのんびり過ごしていた

おれも配慮が足りなかった

いつも一緒に過ごしている妹さんがいつもは部屋にいる姉が帰ってこないのを不思議に思ったのかもしれない

しばらくして妹がカフェに入ってきた(雰囲気的には迎えにきた)それに気付いてその子がいつもみたいに"妹よー"みたいな感じで手を振って、おれも次いでおー、きたーみたいな感じで手をあげた

ガン無視だった。

ん?

え?うそ?

目がっつりあってたよね?

あの、おれに対してね

露骨すぎたからあれーみたいな感じで振り返ってお姉さんをみながら怒ってる?的な感じで首を傾げた

案の定よくわかってない感じだった

一言二言姉妹で何か話してそのままレジに何か飲み物を買いに行った

確実にわかったことはなんか怒ってた

おい外人うちの姉に近づくな、なのか普通に姉だけ誘うか?私は姉をいつも守ってるんだよ!なのか未だによく分からないけどそんな感じだったからいてもたってもいられず妹が何かを買っている間にまた話そうねって言ってその場を後に

わかりやすくキレ気味だったのでこりゃ無理だと退散

推測はここまでにしてあとはお察しの通り卒業のその日までもうそれ以上誘うことができなかった

怒っているのがただの友達ならまだしもいつも一緒にいる大の仲良しな妹ならそれ以上近づきようがなかった

もちろん話したかった、でもその状況ではもうお手上げ

なんか変な雰囲気になってしまってすれ違う時も気まづかったな

それでもその2週間の間に外のテラスで勉強してる俺に妹がいない時に"Kenペンを貸して"って言ってわざわざ話しかけてくれたりなんか自分は怒ってないよっていう雰囲気は伝わってきてた

もうあんま話せないと思ってたから話しかけてくれた時はすんごい喜んでしまったんだけど(犬みたいな笑)

もちろんだよって言ってペンを借りたその子が何かを記入しに行った後戻ってきて少し話した後に
Ah〜by the way,って言ったら少し笑ってくれた

ところで、と話題を切り変えた後、ぼくは君ともっと話したいんだってハッキリ伝えた

あの頃の真っ直ぐな感じが羨ましくなるくらい真っ直ぐ伝えてた

日本の社会ではもう無理かも笑

また小さくうんって頷いてくれたけどいつもそうなんだけどそういう時の反応マジで薄いんだよな、どう感じてるのかわかりずらかった、リアクションが極力小さな子だったから

全然露骨にわかったありがと!みたいなのとは真逆だったけどその静かな反応も含めて好きだったんだと思う

その会話以外はほとんど話せずに2週間過ごした(妹の方とは一言も会話しなくなった)

それ以上近づけないのは知っていたから最後にはせめて気持ちをはっきり伝えたいなぁと思って英語の手紙を書くことにした

付き合ってってやつじゃないよ

ありがとね好きだったよってやつ

あとは初めての留学を4週間めちゃくちゃ楽しく笑って一緒に過ごしてくれた日本の友達にも

仲良くしてた人みんなは4週間だけだったから

すぐ用意したかったのもあって授業の後一人でショッピングモールに手紙を買いに行った

仲良くしてた日本人のみんなと最終日に↓




続く。
人との会話が苦痛になり始めたのは15歳。それから10年間は厄介な対人恐怖症が付き纏った

高校を辞めた17歳からの3年間はそれをなんとか克服できないものかと躍起になってコンビニのバイトとか始めてみたり、全然続かなかったね

最後の最後でまさか人がダメになるとは、話出したら止まらないお喋り少年だったけどその間は人格が変わったかのように静かな大仏になった


そんな中地元の友達がいてくれたことは大きかった、一般社会が遠く感じたあの頃のおれが少しでも若者らしく楽しく遊んだりできたのは彼らがいたから

それがなかったら正真正銘の孤独に陥ってたと思う

もちろん家族や親戚の支えがあったのは大前提として

誘ったら会える友達がいること、誘ってくれる友達がいること、しかもそれが発症する前から楽しく過ごしてきた幼稚園や小学校の頃から幼なじみだったこと、今でもたまに会うけど子供の頃からの友達ってのはなんでこうも素でいられるんだって思うよね、必要な存在だと思う

この記事のその3でも書いたんだけどもちろん地元の友達に対しても会話における困難はあった、説明が難しいけれどその時の感覚は前回の記事読んでみてください

半分は諦めてた、当時もう既に改善がないまま9年、24になっていて見て見ぬ振りもできなくなってきてた

長い間何もできずに大人になってしまった、高校を辞めた17歳がそのまま大人になってしまったかのような

高校を辞めてからはただ同世代の普通なれることに憧れ続けた

不安を纏っていた

俺はもうダメかもしれない

一度重い精神疾患を患ったら一生治らないのかもしれない

多くは望まない、せめてコンビニのアルバイトくらいはできるようになりたい

大学って勉強とかサークルとか楽しそうだ、バイトもそうだ

みんな恋愛とか就職とかたくさん悩んでいる、いいなぁ


気の遠くなるような長い時間を散歩と睡眠に費やしてきた

歳と共に憧れが鋭くなっていく中40代や50代まで克服できない姿がチラつく

めちゃくちゃ怖かった

今日会った人はおじさんだったけれど今克服に向けてしっかり頑張っていたなぁ。とか

実際にその年齢まで悩んでいる人たちはたくさんいて、逆良くなった人の話を聞いたことがなかった

おれ人生どうしよ、ってかどうなんのかな


2016年9月に接客のアルバイトを始めた

諦めかけていたわけだから当然自分の意思ではなかったんだけど

心配してくれてる親戚のお姉さんがいた

何かに怯えるように静かにしてるおれをいつも気にかけてくれてその人が働いていたお店に誘ってくれた

あーどうやって断ろう、めっちゃしっかり考えてくれてるなぁ、ありがたいけどお客さんとしてコンビニで会計するのも一呼吸置くのに

専門店で接客なんてなぁ

辛かったら辞めてもいいと言ってくれてるし、その人を立てると言う意味でも面接くらいは…後はなんかミラクルが起きてくれたら…辞めてもいいなら、それならね

面接には失礼がないように白いシャツを着て行った

その後のことなんて一mmも考えてなかったね本当に

10分前は早すぎる、きっちり五分前に着くようにデパート内をうろうろしながら調節してビクビクしながら丁寧すぎるくらいの態度でレジの人に声をかけた、24の夏。






続く。



いつも記事を書き終えた時は気分がいい

勢いが強くやり切ったと思える記事であればなおさら

それまでの物語や自分の考えや気持ちを文字に起こして公開するっていうのはなんというかその行為自体が心を落ち着かせてくれて何かに囚われてばかりな自分を解放してくれる

意識の外にはじき出されていたその大切な"真ん中"を思い出したらまた引っ張ってきて解説書読むみたいにおさらい

学生の頃はどんな状況に陥っても決して忘れずに持ってたのにとか

それをなくしちゃったらまた劣等感とか焦りとか不安が顔を出してくるかも

おれは誰かに嫌われるのを極度に恐れている

嫌いまで行かないようなごく僅かな感情でもそれがネガティブなものであれば感じとった瞬間にそれで頭がいっぱいに

ずっと手に入らなかった人生を過ごしてきて、少しづつ手に入ったと思ったら今度は手離さないことに必死になって、次第にそればっかになって最終的にはいかにして失わないかを考えてる

そこに怯えながら過ごして考えてたら気づいたころには疲れて寝てるんだいつも

おれが今持ってるものはなんだろ

実は何も持ってなかったりして

幻想だったりして

そもそも最初から持っていたのかも

そもそも何を?

何を持つんだろ

ここ数年でできるようになったこと変わったことはなんだろな

人と普通に会話できるようになったとか、睡眠が夜だけで済むようになったとか、治療を受けなくなって薬を飲まなくなった、あとは態度がでかくなった、多分

でもまだまだ人の動向を注視して自分の行動を決める癖はあって、おれのリアクションは相手次第

SNSで殻を破ったような投稿ができるのは相手のリアクションをリアルタイムで見なくて済むからか

その発言や行動に対して目の前ですぐなんらかの反応があるとしたら怖いんだろうか

否定される前提があるかもしれない

変わった外的要素に中身の自分はついて行けてない

まだコンビニの菓子パンを食いながら実家のあの部屋で力尽きて床で寝ていたあの頃の自分

鏡を見たらお世辞にもイケてるとは言えない自分がビクビクしながら街を歩いていた時は誰と話しても小さな声しか出なかったなぁ

感心したことには素直でありたい

カッコいいなぁとか敵わないなぁとかこんなのどうやったら思いつくんだよとか

凄いを通り越すと半笑いになっちゃう

だから褒める

めちゃくちゃ褒める、てか褒めずにはいられない

その時の感情っていうのはワクワクしていて、こんな凄い作品出すんだ!とか凄い言葉だなぁとか良いストーリーだなって

最近半笑いしてない

Noelの発売前の新曲Holy Mountainをyoutubeで聞いた時は笑った笑った

いやニヤニヤが止まらなかった

その次の年にはサマソニで来日するノエルをそのためだけに一人で観に行った




フェス行ったのにトリのノエルのアクトのだけ

たっかいチケット買って一人で幕張までいって拳掲げて歌ってた自分は確かに真ん中にいた

帰りの電車の中では脳内がポジティブで溢れかえっていた

Oasisの曲もやったなぁ、舌打ちカッコよかったなあって

幸せな時間だった

新しく手に入れた幸せにはいつも失う不安が付きまとっていた

そのライブ中の幸せには幸せしかなかったんだよ

なんで不安かというと失うことを考えていて、それを恐れているから

外的出来事のない頃は外のそれに惑わされることもなく自分を強く信じていた

だから不安じゃない、おれはやったら誰よりできっからくらいの精神病患者

今はどうすべきか

一人でも幸せで楽しめたあの真ん中ねぇ

自分の力、何か相手の反応に対しての自分の感情が試されているような、その時に木を見るのか森を見るのか

ブログは自分自身に深く潜り込むから森を見るべきだと気づけるんだよ

だから今文末のおれは気分爽快でセブン入って結構長いことウロウロしながらiphoneで文字打ちまくってるヘンテコなお客さんだけど今は何か美味しいジュースでも買って帰ろうかなって思えてる良い気分な状態

自分で書いといてだけど書き初めからすると書き終える頃にはほんとに気分が変わってる

驚いたもんだな

次はバカな記事でも書いてみるか

完。
ニキビ跡目立つなあ。


自分の人生において一番強く挫折を感じたのは高校を辞めた時

自分でなんでもできるわけじゃない高校生が学校辞めるってのは大人が会社を辞めるのとは違った辛さがあった

他の居場所を見つけることがちょっと難しい、選択肢がほとんどなかった

やりたいことがあって辞めたわけじゃないしな、通いたかったし学校

日常生活に対する全ての希望とモチベーションが消えてしまって当然酷く落ち込んでいたし、人間はそんな精神的に辛い状況下に陥ると少しでも希望の光がよぎるような他の選択肢を見た時に砂漠の中に唯一のオアシスを見つけたかのように盲信してしまうことがある

それが実際にいい選択かどうかは冷静に判断が効かないし客観視もできるわけないその状況で、すがれるものなら何でも新たな希望に見えた

通信制高校への転校が復活の兆しに見えた

結果としてその選択は最善だった

転校という形を取れたから単位を落とさずに2年生から始めることができたし何より中卒にならなくて済んだ

何をするにしても中卒ではできないことがあるから

ただ再スタートを切れるような復活の兆しであったかというとその答えははっきりノーだった

通信制と言いながらビル内の予備校みたいな学校に通って授業受けることもできるしレポートだけ出して単位取ることもできるような高校だったから学費なんか辞めた学校より少し高いくらいだった

友達と関わり合う充実した学校生活を追い求めていたから通いをえらんだけど

でも高けぇ、学費

父親は出してくれたけど最低限の必須登校日だけ登校してほとんど通わずに卒業したけどまさにお金で高校の卒業資格を買ったようなもん

おれ精神疾患はうつ病以外であればいくつも駆使してきた猛者なんだけどその時の自分の症状は人の顔を見て話すのが苦痛になってしまう対人恐怖症だった

一番困ったのは一緒に住んでいる家族に対してさえ同じように怖く感じていたこと

話す時にその場のどこに目をやっていいのか、どのタイミングでおかずを摘むのか、話しかけられたらどのタイミングで顔を上げるのかすらももうわからなくなってた

毎回の食卓での家族との食事が課題となってしまった

目標は家族と普通に食事をとれるようになること

おれは困った

いや本当に困った

それはそれは頭を抱えたし、人に話してもさっぱり分からなくて何コレ?って感じだったな

理解されるわけがないこの奇病にどう向き合う?

気分だけは国指定の難病にかかったような気持ちだった

みんながいる世界から一人自分だけが暮らす世界に来てしまったかのような、誰とも通じ合えないようなそんな感覚

いくら目の前に多くの人がいても何も話せないんじゃなんの意味もなかったし一緒にいる気がしなかった

それよりもそれが例えたった一人だったとしても目の前にいるその人と普通に血の通ったやり取りをできることの方がよっぽどよかった

まあこれは例えだけど、それくらい全ての人がダメだった

いや、家族は初めて経験するようなそれによく頑張ってくれてたと思う

父親はおれがもしそのままダメになっても将来困らないようにお金のことを考えていてくれたし、母親はよく本読んだり精神疾患の子供を抱える親の会に出たりなんとかおれが良くなるように頑張ってた

おれも頑張ってた

いやほんとに

とりあえず誰かと関わりたかったから

小さい時みたいに何も考えず楽しく人と会話することができなくなってしまった

幸い地元の友達とずっと繋がっていたから会う友達がいないってことにはならなかったんだけどもちろん彼らと会っていてもその症状は出る

説明が難しい

なんでそんな過酷な症状を持ちながらも友達と頻繁に会えたんだ?とか毎回ちゃんと食卓に座って食事をしていたんだ?って疑問は出てくると思う

それとは別回路で対人恐怖症ながらもやっぱり言葉を交わしてコミュニケーションをとることへの喜びがあった

なんならそれによって人よりも圧倒的に孤独で普段家族以外の人と話す機会が少ないおれにとってはその喜びはまるで水を得た魚のようだった

だから友達と会うとめっちゃ楽しいしふざけるのに顔を見るタイミングがわからない

話してる人は気づかない

おれが怖がっていることを

ただ認識するかしないかのレベルでそのやりとりに違和感を感じる

それは確かだった

そんな時にずっと救いとなってくれたのは音楽や漫画や映画で、もうそれが当時の自分の世界の全てだった


誰にも共有しようのない気持ちを抱えてイヤホンから励ましてくれるその声に、おれの声は届きようがないから一方的に聞いているだけなんだけどその歌にしっかり身を委ねた

あぁ頑張ろ、って思えたのはいつもYUIとかBUMPとか

人怖かったけどthe pillowsみたいなバンドはZeppにライブ観に行ったり

みんなが見てるのはステージだし、okok

日常において意識を注ぐ場所がそこ以外にはなかった

課題もレポートもバイトもサークルも就活も友達も彼女も旅行もおれにはなかったんだから、そりゃ音楽を聴けば頭の中の意識は100%音楽の世界に憑依する

そのメロと声と詞と一緒に自分の脳内奥深くまでダイブ

だから全てだった、映画も漫画も

誰かのせいじゃないからどこにも気持ちのぶつけ場所がなかった

だからその気持ちの全ては自分への劣等感へと結びついて積み重なって

ただどんなに人が怖くても部屋に篭りたくはなかった

何か親戚の食事会があれば必ず参加したし友達ともよく遊んだ

わざと人通りの多い道を選んで歩き続けた7年間

その7年間がおれの人格や感性にどんな影響を与えたかはまだはっきりわからないけどその経験が人と関われる喜びをしっかり感じれることに繋がっているかもしれない

続く。