去年の誕生日は今の職場に興味を持つ大きなきっかけとなった日。そのタイミングがほんの一瞬でもズレていたら、その人でなかったら、その一声がなかったら頭の片隅にさえなかったような場所。

何か意志のある存在に導かれていたかのように起こる出来事のその目まぐるしい日々は今も現在進行形で続いていて、今年の誕生日も同じく何か試されているかのように少しずつ目の前には明確な課題が

そんな去年の誕生日翌日には自分はこんな気持ちを書き綴っていて、我ながらこの気持ちだけは最後の一つになっても大切に持っておきたいと強く再確認できる内容になっている

頭で考えて書く記事と勢いと感情だけで書き切る記事があるけどこの記事に関しては完全に後者

そういうスイッチが入ってる時は言葉もバンバン出てくるし指も止まらない

どんな自分であれどんな状況であれこの気持ちだけは生涯貫き通したい

※記事リンクの下には近況写真も載せたので、そちらも。






















When she got the Nobel Peace Prize,I saw a part of her speech on TV news.

Of course that touched me so much and I remembered some her words.

But when I started to check about her was several years later after that.

It was just sudden.

One day,I suddenly thought of reading "I am Malala" and I couldn't help going to a book store immediately.
-The book is about her story and that was written by Malala Yousafzai with the co-author Christina Lamb.-

Then I also watched her speech on YouTube.(I pasted the URL on the last part of this article)

Of course the movie was with a Japanese subtitle but her speech is really clear to catch English words and the words are just simple.

But If it was not with subtitle,I wouldn't understand that meaning coz that time was before when I went abroad for study English.

No matter what, her words have no hesitation.

That's why those are strong,clear,simple and No need to complicated explanation.

All of her words are dwelled something.

The voice from her bravery,her belief, and her soul.

Why is it.

She appealed that strongly,clearly,simply.

It seems like that even little child can understand.

She was speaking with this incredible story.

When the terrorists got into the school bus with a gun and one of them said WHO is Malala!!!!! She stood up and said



ー"I am"ー



This incredible action gained over god and gave us the importance to know taking some action.

After that, she gave the speach in the award ceremony of Nobel prize.

She spoke up with that story and power words for education,every girls who has no education,even who are not girls.

She always makes me to be willing to learn something and importance of learning education.

English is one of learning.

Of course that is not only for travel.

Sometimes It may be a communication for sharing our common passion,to touch different thinking,different culture.

That is really interesting to me.

I may be able to know a great human,story,thinking over the sea.

All of those are not familiar to me.

I'm so excited to know that.

I can receive good and bad things for my life.

I may be able to choose all decisions widely.

She is my motive to learn something.

Thank you Malala and Thank you all of guys who read this article.







アメリカの姉の卒業式から帰国して高校辞める前に一度だけ登校したことがあった

2年生になってから2ヶ月半もの間一度も通えてなかったんだけど最後にどうしても確認したかった、ほんとに通えないのかどうか

半分はもう辞めるかもしれないと諦めていたし、もちろんもう半分はまだ通いたい、まだ登校できるかもしれないという気持ちでいた

不登校の理由が人間関係ではなかったから行ってまたいつもみたいにみんなにいじられてフザけられることを望んでいたかもしれない

それでダメならもう諦めようと、最後に一度だけとおもって

母親にそれを伝えたのがいつのタイミングだったか覚えていない、でも前日の夜か当日の朝かいきなり言った気がする、

お母さん行ってみるわって

母親が運転してくれて車で送ってもらった(電車がまだキツかったから結構な距離車で送ってもらったんだけどそもそもそこ解決してなかったんかーい)

噂を聞きつけた一年の時同じクラスだったみんながわざわざ新しいクラスまで来てくれたりして、おーケンスケ来たじゃん!とかお前大丈夫なの?とかなんで?なんで休んでたの?とかケンスケきてるし笑とかみんな反応してくれた

なんかあいつ来なくね?ってなってたからまぁ

笑ってた人も心配してくれた人も、でもみんな校内で会ったときには笑顔でお!ケンスケじゃん!おい来てんじゃんか!って絡んでくれた

当時は必死だったから感じる余裕がなかったけど今思うとH組のみんないい奴らだったなぁ

はっきり答えが出た

望んでた方の答えじゃなかったはずなのに答えが明確すぎたからもう途中からはすでに帰りたかった

いつだったかな、4限とか終わった頃にはもう既に決めてたかもしれない

午後の授業は辛かった、着席だけして静かに下校時刻が来るのを待つだけ

下校の時に外の下駄箱スペースで幼稚園からの幼馴染で同じ中学から唯一友達で同じ高校に進学したまさよしにバッタリ

中学ん時は同じグループで大親友だったまさよしとは、まぁ色々あって高校入ってからは遊ばなくなってた

中学ん時は言い合いの喧嘩を一番した犬猿の仲だったけど

まさよし VS けんすけはもはやグループ名物みたいな感じだったし

言い合う内容はどっちの方が女子のアドレス持ってるかとかどっちの方が嫌われてないとか、どっちの方がスマブラとかモンハンつえーのかとかおれの方がカラオ上手いしとかその曲先に聴き始めたのおれだしとか14歳過ぎる内容だった

もう遊ぶたびに喧嘩してたうん今思い出した

帰宅部でゲームが強かったまさよしをおれが電脳世界の神様ってオタク呼ばわりして、でも当時まさよしはおれらイケテナイグループでは大出世の彼女がいるという称号を持っていて女子評価低いおれにマウント取ってきたり、お互いどれだけ悔しがらせるかが勝利への道だったな笑笑

ほんとに久しぶりに駅までの道を2人で話しながら歩いたんだけど長らく話してなかった幼馴染と積もる話が爆発したかように会話が盛り上がった
 

音楽の話、マジで楽しかった

全然そんな話をしてるような精神状態じゃなかったはずなのにその時だけはまるで中学の時に立ち返ったかのように話が盛り上がって以前は簡単にできた夢中になって友達と話すこと、自然にできてた

ほんとに久しぶりだったと思う、ただ楽しく話せた会話

みんなで一緒にモンハンしておれが1人で三回死んでめっちゃ叩かれたり、ワックスつけて祭り行こうぜって言ってカッコつけて地元の祭り繰り出したり、ジーンズメイトで服買った後まさよしんちでみんなでファッションショーやったり、wiiでスマブラやって負けたやつが服一枚一枚脱いでく罰ゲームやったり、大下のことみんなでいじりまくって全力ダッシュで追いかけてくる大下から逃げまわったり、他校の怖い不良に絡まれておれが土下座しろって言われて土下座もしないし喧嘩もしない、何故なら痛いからだ!って言ってる間他の奴ら横で静まり返ってたり

よく喧嘩したけど話すと一番盛り上がるやつだった

最近はこんな音楽を聞いてこれも良くてあれも良くてあーだこーだって、BUMP以外にもそれと同じくらい良い音楽があるってことをお互いに気づき始めていた頃、おれが申し訳なさそうにBUMP以外のバンドに浮気したことを伝えるとまさよしも同じようだった

あっという間に駅についてしまった

その日で学校を辞めることを決めていたおれが、その後なんの予定も何も決まっていない絶望的状況にいたおれが幼馴染との会話にしっかり盛り上がってしまった

当時のおれは16歳なりに彼に思うことがあったようで別れ際に"今日泊まりに来いよ"って言ってくれたまさよしに素直になれずに断って駅でバイバイした(下らないことでいつも素直になれなかった)

誘われたことが嬉しかったし行きたい気持ちがあったけれど意地を張ってたのとあとそんなことしてる状況じゃなかった

その帰り道でおれもう学校辞めるわーって言った気もするし言わなかった気もする、忘れた

その後やめた

まさか自分が高校辞めることになるとは思ってなかった

硬式野球に入部してバリバリの部活生活を思い描いてた入学当初と自主退学を決めたあの日

最後に登校したその日の記憶はその後も暫く頭から離れなかった

意識はしてなかったけどその自分にとって衝撃的な記憶が22くらいまでの5年間はたびたび夢に出てきた

第一志望で入ることができた強豪野球部の大学附属校を辞めたこと、もう制服を持っていない高校生になってしまったこと

脱落者のレッテルが貼られた、Eランク

誰もレッテルなんて貼ってない

全てのレッテルは自分で強く貼り付けていてそれに当時気付くことはなかったんだけど
 
自分が誰よりも誰かの"高校辞めたらしいよ"にレッテルを貼ってきたのかもしれない

もう取り返しがつかないその3年間を失った

その時のおれの気持ちをそのまま描いているような漫画があって、リアルって言うんだけどずっと読んでたな

去年再開してから読んでねーけど

読も。





2013年に家族旅行でハワイを訪れた

 
その年大手術を受けていて母親の快気祝いような頑張ったご褒美のような旅行だった
 
母親はずっとハワイ行きたくて10年越しの願いが現実のものとなりそれにおれも連れて行ってもらった
 
行きたすぎて実際に母親の喉から手が出ているのを見た、うんおれははっきり見た
 
海外旅行はピンとこない父親でさえもその時ばかりは休みを取って少し遅れてハワイ入り
 
行きの飛行機では映画を選んでいてPearl Harborがあったのでこれから向かう場所もハワイですし、と思って鑑賞
 
まぁ知ってる映画で観たこともあったんだけど頭から最後までしっかり観るのは初めてだったかな
 
映画の中のストーリーはフィクションだけど題材は旧日本軍による真珠湾奇襲攻撃が元になっている
 
最後の戦争となった太平洋戦争の事実上の始まりとなった出来事
 
ストーリーも含めてかなり好きな映画だった、全体的にもそうだし特にラストの夕暮れでオレンジ色に染まった雲の上を飛行機で飛ぶシーンが大好きだった
 
それとは別にそれより前に池上彰さんのテレビ番組で知った戦艦アリゾナ記念館のこと、ずっと気になっていてとても行きたかった

※説明しよう!アリゾナ記念館とは、旧日本軍に奇襲攻撃を受けて火の海となった軍港、まさにその場所に攻撃を受けたままの状態で沈んでいる船とともに今は記念館として観光施設となってる場所、なお3分しか滞在できないのだ!
 
それに加えてそんな映画をみたらもう行くしかないでしょ、もう運命だってスイッチ入ってしまって行く気満々で入国
 
日本人観光客のほとんどの人が過ごすワイキキからはアクセスが悪くてハワイ行ってる人でもそもそもその存在自体知らない人もいたり
 
車で1時間くらいかな?いやもっとしたかも記憶が曖昧
 
急遽行くことを決めたからそこから情報収集を始めた
 
うんちゃらかんたらセンターっていう中心地の細長い低層モールのH.I.Sの旅行者専用ラウンジで色々聞いた
 
当時家族で英語話せるの姉だけだったからおれが話したのはもちろん日本人スタッフ
 
ツアーもなかったような記憶、直通のバスもなくて乗り継ぎの結果最後はタクシーを使うような場所、最初からタクシーで行くことはできでももっと確実な方法を探していた
 
ワイキキに来る旅行客からしたら僻地、行くなら事前に準備するのがベスト
 
結局父親が来てからそこに行くためにレンタカーを借りてくれて家族でGO
 
国際免許なくても運転できるというハワイの道を、父親が最初は逆車線にビビりつつもすぐ慣れて運転していた
 
アリゾナ記念館はいつでも見放題というシステムじゃなくてチケットを買って1日の決められた会でそのツアーを回る
 
だからチケット買う時に直後の会に参加できるとは限らないし埋まっていたら参加する会まで待たないといけない
 
行く前には"日本人なんて行ったら殴られたりしないかな?"なんて冗談で言っていたりしたけど実際に白い目で見られないかな?とかは考えたりした
 
着いてみると予想通り綺麗に日本人観光客がいなかった(てか俺らみたいな東南アジア系の観光客をほとんど見かけなかった記憶が)
少し先を歩く姉と父親

現存する戦艦や沈んでいる戦艦アリゾナ、その上に作られたアリゾナに記念館についての説明

魚雷ってやつかな、さらっとヤシの木が写っているけどこの木はほんとに不思議だ

英語でめっちゃ説明してある(手に持っている多分パンフレットが紛れ込んでいるね)

 いや実際にいたけどおれが見てないだけってこともあるし、数が少なかったにしても来てはいるはず、ただおれが訪れたその日は欧米人だらけで誰も思ってなかっただろうけど日本人目立たん?って思った
 
そういうところに現地の人ってことはほぼないだろうから本土から来ている欧米の人たちがわんさか、といった印象
 
すでに戦後68年過ぎていたその時でさえもそういった戦争遺跡が人でいっぱいになることは素晴らしいことだと思う
 
人気で着いたその直後のツアーはすでに売り切れだった

姉がカウンターでその説明を受けた後、数時間待つのかーとその場を後にしようとしたところ後ろから呼び止められちょうどその時キャンセルが出たという

なんとラッキー埋まっていた会に参加できることになり着いた直後ほぼ待たずツアーへ

姉が話せてなかったらなかったかもねぇなんて話をしてた
 
ちなみにツアーの内容はというと、
まずシアターで20分ほど奇襲攻撃についてのストーリーを鑑賞し→湾から船に乗り込んで→攻撃を受けた戦艦がいまだに引き上げられずに当時の形のまま沈んでいるその場所へ向かう、乗り込んだその湾からは目と鼻の先に位置する戦艦のその真上にはアリゾナ記念館が人口着陸スペースとして設けられていてガラス張りのその床から下の戦艦が海と一緒にみえるというような作りになっている

20分の映像はよく博物館とかにある翻訳機を耳に鑑賞したけど朝早かったからうとうとしてた気がする

終わったらいよいよアリゾナ記念館へ
 
海の上に小さく建てられたアリゾナ記念館には単純に戦争遺跡としてだけでなく建築物としてとても魅力的だった
 
南国の透き通るその海の上に戦没者の名前が無数に刻まれた石の壁が姿を現す
デジカメで自ら撮った写真、斜めだったり全部映り切ってなかったから編集でスクエアにしてる



ネットで拾った全景画像

記事の長さの都合上、今回はその1ということで続きはその2の記事で
全部ある。

仕事も住所も、連絡したら会える友達も

仲悪いけど家族だっているし好きな音楽は聴き放題、休日は映画館に行くことだってできる

学ぼうと思えばスマホ一つでなんでも学べる時代で、昔はみんながボロボロになるまで使ってたあの単語帳が今では何冊だってこの薄い液晶の中に入れることができる

運転免許証も健康保険証もパスポートもあって

お金を貯めれば海外旅行にも行けるね

世界の人口の何割の人が海外旅行を楽しめるのかとふと考えてみるとなんでもできるなぁおれって思う

高卒だけどそれでホームレスになるわけじゃないし、もうすぐ28だけど仕事だって頑張れる

自分の国に住んでいて知らない土地に住んでるわけでもないしね

そうだね全部ある

全部あるなぁ

無いものがない

うん

持ってる

持ってるのに

なんで

あーやだな

くっそ

全然消えない
遠い空の向こう、今はもうみえない。