その気持ちのわけは。




今感じている気持ちの根っこは何か

 

その正体を私情を抜きに考えることをよく意識している

 

感じている気持ちの原因を探っているってことはその時点で喜怒哀楽の"喜"や"楽"ではない

 

でもだからと言って怒りや悲しみではないな、なんだ、寂しさともまた違う

 

この気持ちはどこに対しての感情か、周りの環境は充分すぎるくらい間に合っていて普段の生活をする上では申し分ない、遊べる友達がいて都内には実家があって仕事をしたら25日には給料が振り込まれて時々カラオケ行って家賃は払うけど叶うはずなかった一人暮らし、お金全然たまんないけど快適、音楽もワンタップで全部聴けるなんて


関わる人はとても多く刺激的であったり俺と言う人間からしたら上出来な方かもしれないね

 

ではどこがカラなのか

 

そこを辿っていくとやっぱり何かを作り上げること、仲間と何かを創造したい、作り上げたい、時間を削ってでも自分たちの作品と呼べるものを作り上げたいという欲が随分と長い間満たされずに放置されていたことに気づく

 

ちなみにどうやら自分は同時進行で2つ以上のことをこなすことが苦手らしい、ここ一年くらいで初めて自覚した

 

発達障害の思考が当てはまることが多く自分はそういう脳の作りかもしれないと思う

 



自覚し始めてすぐはその足りない部分を認める前になんとか改善を試みる

 

計画的に頑張ってみると少なくとも少しは改善がみられた、そのままってことはない少なくとも今までは一度も

 

ただ例えば自分的には100%のつもりで挑んんでもその向上が15%ほどで留まる、もしくはいつか必ずその熱がしぼみ続かない

 

向上できない、ではなく自分のスペックに対して割に合わない、が正しい

 

人間には100やって100返ってくることと100やって15返ってくる事、はたまた150の精度で返ってくることがあるということを認識した

 

どんなこともしっかり打ち込めば必ず向上すると思う、ただそれに支払う労力や時間、受け取る成果は人それぞれ違うようで

 

どうやら関わってくるのはそのプレイヤーと勝負内容(取り組み内容)、それに取り組む環境の三つであると思う

 

そのプレイヤーが力を注ぐことのできる事、もしくはどんな壁もプレイヤー本人がある程度は無意識にしろ意識的にしろ成果や勝機、向上の見通しを感じていることが力の注げる事であると思うし、時間を注ぐべき事であると思う

 

そうでないことは機械的になることが多く苦手をなんらかの理由で続けていることがほとんど

 

俺は今のところ自分をしっかり信じている人間ではないし振り切れてやりたいことだけやります!って人間じゃない

 

そんな人周りにいたりするけどすごいと思う

 

ただ自分の人生のルールを決めるのは自分でリスクを取るも取らないも自分が決めるべきことであると思い出す

 

年齢と時間を意識すると自分が楽しく打ち込める物事、環境にいち早く進むことがとても大切で最後まで人生を共に過ごす時間がこの世で一番長いのもまた自分である

 

他人の目を気にして生きてきたビビリがどこをどうブチ壊すかは今後次第だけど本を読んだり好きな音楽を聴いたりリスペクト出来る人物と話すと一瞬で自分に立ち返ってやりたいことってやっていいんだって思う

 

よく連絡を取る友達、よく本を読む彼がいう"自分の人生の責任は自分しか取れない"はその通り

 

失敗した時に他人のせいにしてもその人は俺の人生の責任は負わないし他人は簡単に会わなくなるもの

 

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