祖父、山口豊へ。
昨日1月15日は祖父の一周忌だった
その日は88歳になったまさにその日に息を引き取った祖父の誕生日でもあった
本来であればお墓への納骨なんてとっくに行われているはずのこの時期にまだしっかり手を合わせてない
ただそれが墓の前でなくても故人を偲ぶことに意味があるわけでこのコロナ禍では自宅からでも想いを馳せたりすればそれで十分だと思っている
生きている人に対して何か思いを巡らすときは連絡をする、というわかりやすい最良の方法があるわけで、故人に対しては仏壇であったり墓前、思い出の品や写真見ながら手を合わせたり想いを巡らすことでその代わりとするのが相場である
コロナ時代に墓前も仏壇もないとなれば一人暮らしの部屋ではただ頭の中で思い返すだけとなってしまい偲ぶことがハッキリとした形で行えずその気持ちや思いすら輪郭が曖昧になる
ならばせめて文字に起こしてSNSにでも投稿しようと思った、誰かに対しての気持ちを文字に起こして文章を書くというのはその時点である程度形として成立させる必要があり、そこにはその人のことをしっかり考える作業が自動的に付随する
仏壇や墓、現像した写真や思い出の品がなくても一つの形としてその人に想いを巡らせるまた別の良い方法であると思う、また実際に目には見えない何かに対してその想いを馳せる時はやっぱり何か形のある物や行動を通して行うのが1番行いやすく人間が墓や仏壇、その他お経を唱えたりする理由も単純に可視化するという意味では当然のことだったんだと思う
これはスマホでなくてもただの日記帳や紙にその人について書き綴ってもいいしとにかく文章にすることにその意味の全てが含まれる
祖父はいつも明るく冗談ばかり言っていてそして破天荒、おれの知っている祖父のほとんどは老後であったためそんな破天荒さは実際に目の前にあったわけではないけどそんな人だっだと聞く(実際そんな感じ)
自分はその気質を直径で受け継いだかのようにふざけたことが大好きで何かバカなことやくだらない事を思いつくと我慢できずすぐ共有したくなる
お堅い父にはよくバカみたいなことをするな。と言われてきたけどそんなバカなことを言って笑ってる時っていうのは実はどんな瞬間よりも楽しかったりする
子供の頃はよく姉と自分をしょーもない替え歌で笑わせてくる母親のおバカなネタでケラケラ笑っていて、小さい頃の思い出として脳裏に強く焼き付いている
これはおれが個人的に思ってることなんだけど祖父から受け継いだおふざけ正統系譜がしっかり刻み込まれている
晩年は和菓子を持って行くとよく喜んでお礼を言ってくれた、祖父は貰ったことをしっかり覚えている人でアルバイトだったけどその時の自分の給料で買って持っていってあげたかった
中学一年から精神的な病みに支配され続けてここ数年前まで家にいた俺をずっと心配していた
なくなる前、会いに行った時には初めて就職した自分の話を聞いてもう安心だ、話を聞いてても立派だしあんなことがあって最初は心配していたけれども全然普通じゃないか、と感心していた
その時は亡くなる1ヶ月前か2ヶ月前だったけど一緒に食べたご飯代とカフェ代をまあ当たり前に支払った
おれの人生には当たり前じゃなかったからなんか当たり前のことしただけなのに慣れない感覚だった
ちなみに祖父との最後の会話は電話だった、もう長くないと思ってまた和菓子持って行こうと電話入れたら結局会えなかったしその後そのまま入院して亡くなった
何年か前によく知らずに勝手にスマホ契約しちゃってよく池袋のカフェでスマホのこと全般手伝ってあげてたのが懐かしい
なくなる直前にまあなんとも酷い状況から最低限社会復帰した自分を見せられた気がした
もう電話して体調はどう?とか和菓子買って行くよ、とかまた電話について教えるよ、とか言えないけど亡くなった祖父に対しての一周忌の供養はこの投稿にて変えさせてもらう
後を生きるおれはおじいちゃんが想像もできなかったくらい生き生きと人生を謳歌するから心配いらないよ
そこで和菓子でも食いながらまた冗談でみんなをケラケラ笑わせていてよ
あと45年ぶりのお婆ちゃんには何か謝ることがあるならまずちゃんと謝るんだよ、そしたらその後は色々積もる話でもしていけばいい。
建介より。



