日豪プレスとかいう日本人向けのオーストリア生活サイト。


仕事探しとか家探し、現地の情報なんかを流してるサイトなんだけど現地行ってから使うことはない。


どっちかっていうと出発前、まだ現地のことよくわかってない日本人が使うイメージ。




 

まあとにかく出発前なんてどうやって現地のファームジョブ見つけるかなんてよーわからんし検索して最初に出てきたサイトがそれだったからそこで募集かかってたいちご積みの仕事、日本人向けのサイトだから当たり前に日本語で、現地のコントラクターとの間に入る担当者も日本人で求人内容欄にLINE IDが。


よくある詳細はラインで、的なやつ。


そんでもって一応やり取りでは空港まで迎えがあって送迎可能、家とファームジョブはセットになっていて日々いちご積みながら同じ畑仕事の連中と引くほど何もない田舎で共同生活的な、まあファームジョブって大体そんな感じなのだけど。


んでまあ当たり前にそのやり取りだけで現地のシェアハウスとかファームジョブが自分のために確約されているのかどうかの保証なんてなかった。


なんせ書面のやり取りをしたわけでもなければ面と向かってあって面接をしたわけでもない、ただ掲示板に貼られていたLINE IDの人物とやり取りをして口約束だけで空港に待ち合わせしただけだったからね。


本来であればとりたくはない手法だったけれどvisaを2年滞在にするには年齢的に直でファームジョブ始めないと間に合わなかったから、一旦都市の方で暮らして、なんで余裕はなかった。


なかったしまずはホテルで、なんて金銭的余裕も特になくいち早く仕事始めて現地で収入を、と思ってたからまあ少しのリスクを飲んでいざ渡豪。


まあちょい心配だけど保証金とか払ってるわけでもあるまいし、詐欺のメリットもないからな、大丈夫だろ。


とかね、思いながらね、出国した。


いや別に詐欺ではなかった、その後一応1週間だけその農場で働くわけだから。


ただそのクソやろうどもは到着の夜に約束されていた空港へのピックアップを突然わけわからん主張で取りやめホテルも何もとっていない自分を突然宿無しの激弱少年に仕立て上げた。


土地勘も何もない海外で初日から寝泊まりする場所がないという緊急事態。





今思えばちょっと金出してそれなりのホテル泊まっときゃよかった。


ただなぜか1円も多く使いたくないという当時の心理状況から、宿を探しながら夜22時を過ぎたブリスベンの街をクッソ重いスーツケース引き摺りながら歩き回った。


オーストリアの物価ってそうなんすよ、ご存知の通り高いんすよ。


現地で働きゃその物価に合った給料入るからまあなんてことないんだけど働き始める前は日本円から支払うわけだからなんか普通のホテル泊まろうと思っても5万とかすんのよ。


Oh Jesusって感じでさ、なんで本来であればかかるはずのなかった5万がその顔も見たことねぇクソコントラクターのせいでかかってしまうんだよって気持ちあったからさ、止まるにしても150ドルまでには収めたかったんよね。


でもさ、ねぇんよ、なかなか


気づいたら1時過ぎててなんかもうホントはくっそしんどいはずなのにさ、ワーホリ初日の入国ハイが邪魔して正常な感覚を失い本来ならブチギレ案件なそれもまあ海外生活だしな、しょうがないよな、トラブルはつきものだ…的な感じで少し許せちゃってたんやな。















いやてか立場的には家ないとか収入ない方が困るし、あんま強く言い過ぎてこれから家と仕事提供するそいつらとトラブル起こすのも、みたいな感覚は絶対あった。


日本だったら吠えてた。


咆哮してた。


手が出る以外の全ての選択肢を使い切ってたであろう案件もまあ、その日はね、ちょっとね。


はいはい。


ほんでヘトヘトになりながらも深夜のブリスベンを歩き回り時刻はすでに2時を回っていた。


もー無理かなーとか思いながらもマップに表示されるホテルをひたすら尋ね回った挙句一軒のホテルにたどり着く。


ホテルの目の前には直前までそこで働いていたという青年が、中を覗き込んでいる自分をみて声をかけてくれた、確かそう。


事情を説明すると鍵のかかったドアを青年が開けてくれて管理人の部屋をノックし空き部屋があるかどうかを確認してくれようとしている。


助かったかもしれない、そんな安堵感と青年への感謝が込み上げた。


続く。

2018年6月に簿記検定二級に無事合格。


合格を条件に海外留学に行かせてもらえることになっていた。


合格してから実際に出発するその日までの数ヶ月、少しの準備期間を設けて英語教室にも通わせてもらった。


ユルくだけれどバイトもしながら、中高生の利用する区の施設のお手伝いスタッフを2ヶ月ちょっと、週3〜4で出たような気が。


バイトと英語教室、自主勉強、あとは友達と会ったりしながら過ごしてた。


もう2度と味わうことないと思う独特の空気感を纏った夏だった。


その時に目標としていたことはまだ全然達成出来ていたわけではないんだけど、それでも昔であれば到底できなかったことが少しずつでき始めて、海外留学とかいう夢のようなボーナス期間も目の前まで迫ってきてて、それまで緩くバイトするだけで良くて、自分のペースでなんでも出来たあの夏。


バイト帰りに1人で池袋サンシャインの階段広場で盆踊り観たの、鮮明に覚えてる。


あの夏を象徴するような記憶っていくつかあるけれど間違えなくそのうちの一つだ。


英会話教室ではよく主婦のおばちゃんたちに混じってまっ昼間からの授業で楽しく話してた。


バイトでは特別学級の男の子に誘われてよく屋上でキャッチボールしてた、でも館長みたいな人にあまりリクエストに応えすぎてしまうと職員としか遊ばずベッタリになり過ぎてしまうから自立を促すために何回かに一回程度に相手してあげて欲しいって言われたり。


親戚に会ったり、墓参りのために河口湖まで1人でレンタカー借りて日帰りで行ってきたり、友達と地元のお祭り参加したり。


留学の出発当日は両親がわざわざ空港まで送ってくれることになってた。


そんなこんなで出発当日がやって来るんだけど、当日朝にはトラブルが


母親は人生で大病による大手術を2回も経験していて、それの後遺症で突発的に高熱にうなされて意識が朦朧としてしまう蜂窩織炎とかいう持病があったんだけど、出発の日の朝にこれまた運悪く発症してしまった。


そんな本人を目の前にするとすぐにでも救急車を呼んで点滴打たないと危険なんじゃないかってレベルだったのだけど、自分が何かを助けようとすると大丈夫大丈夫と言い張って意識が朦朧としている中かかかりつけの病院に自ら電話をかけていた。


よくわかってない受付に緊急性が伝わらず空いてないので普通に午後来て下さいみたいなこと言われてたから痺れを切らして自分が電話をかけ大変なことになってることを伝えすぐ見てもらうことに。


フライトの時間には間に合いそうだったので両親と3人で病院へ、到着した頃には少し症状が落ち着いていて、それから点滴に移るまで少しベッドで寝かせてもらっていた。


母親は当然、父親も結局空港までは来ることなく、東京駅からの急遽バスをとって成田へ向かうことにした。


病院で母親に、東京駅で父親に別れを告げ空港へ向かった。


なんでも異常なほど事前準備をしてしまう性格なのでかなり色んなものをスーツケースに大量に入れてきた。

当然のことながら重量超過していて成田で結構な金額を払うことに。

フライトは6時間くらいだったような。

語学留学日記 その1へ。



思考に思考を重ね脳内が無限ループに陥り考え過ぎてしまった時





自分がそんな、事実かどうかも怪しく勝手に生活のモチベや質を下げてしまいそうな行き過ぎた妄想や幻想を繰り広げているというその状況自体をここに言語化し自分自身に論理的に認識させようとしているみたい


一見何かの事実を一生懸命見て見ぬ振りをしているように聞こえてしまうけれど自分がこれを行う時は決まって脳内の客観的な見識を持つもう1人の自分がどこかで"考え過ぎている自分"というものを認識している時で、本当は答えなんて出ているけれど感情が伴わずよからぬ思考に時間とエネルギーを注いでる時だったりする


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という文章を書きかけていたが眠過ぎたため途中で下書きに保存した、つもりだったのに記事として上がっていた


書きかけの記事がある、ということだけは記憶していたけれど実際に読み返しても何のことについてだったのかまるでピンとこない


こういう思考や感情吐露系の記事っていつも何かしら感情を強く揺さぶる出来事が起きてそれについての考えを巡らせている時だったりする


嬉しくても楽しくても悔しくてもしんどくても、取り敢えず外的要因によってなにか強い感情を抱いた時


強くストレスかかりそうな時もその蓄積が起こる前に吐き出してまとめる


散らかった部屋が綺麗に片付けられ生活しやすくなり心にも余裕が出てくるあの感じと同じ、自分の思考のバランスを取るために書いてる


最近になってそんな自分を認識しているけどそもそも記事書いてる時ってそんな意図なんて全然なくて、書き終わった時のスッキリとした気持ちよさを知っていたから嫌なことあったりすると無意識にブログ書いてたり


今となってはそういうことなんだろなって、思って書き出してるけど


今回はなーんだったんだろなー






なぜこんなにも自分の過去を丸々と曝け出す完全に自己満なだけの記事を6年以上にも渡ってあげ続けてきたのか


そこには理由も意味も、そしてそれによってこれから期待されること全てが詰め込まれている


自殺を考えていた17の時の自分の気持ちの供養、あまりにも敏感な剥き出しの自意識に伴って焼きついた強い感情や記憶がこべり付いて中々取れなかった気持ちの消化をしているのかもしれない


誰の目にも止まらずビクビクと過ごしてた時の"行き場のない気持ち"なんてクソありきたりな言葉は使いたくないのだけれど、まあでも確かにおれの気持ちに行き場はなかった


気持ちの消化不良と共に自律神経がバグったのか兎に角一日中寝てた


一生人と話すの怖くてしんどいまま働けないのかと思うと辛かった、自分以外の同世代が大学生活で授業とか留学とか恋愛とか、バイトとか部活とか、あとサークルも就活もその全てが青春でフル稼働してるように思えた


"一生このままなんかな"とか"彼女もできることないままおっさんになっていくのかな"とか"ずっと親のスネかじっていくのかな"とか


何度も期待しては社会復帰できずに絶望して早7年


まあ、結局そんな自己肯定感が地の底まで下がり切った自分の人生の潮目があまりにも突然、しかもなんの音も立てずヌルッと変わって良い方に転じてきたため自分でも拍子抜けだった


まさか現実に留学行ったり就職活動だなんて


セブ島に行く準備も万全、いよいよ出発の日が近づいてきて半年とは言え暫く会えない親戚やら友達に会って出発直前の時期だった





















 

 

 

2018年夏、10年ほど付き纏っていた対人恐怖症が完全に改善されてから1年と少し。

 

 

それだけで毎日が楽しくて楽しくてしかたがなかった。

 

だって外へ出ても歩いてる人が気にならないし、何かの会計をする時にもレジでオドオドして足踏みすることはない、あまりにも快適なその毎日に生きる活力に満ち溢れていたあの夏。

 

成功体験より失敗体験の方が圧倒的に多く上回っていたそれまでの人生から、ほんの少しづつだけれど成功体験が積み重なり始めていた。ずっと遠くに夢みていたいつかのこと、世間の多くの人たちと同じように働いたりするその未来がそう遠くない将来に現実味を帯びてきていた。

 

憧れていた海外留学と英語学習をすぐ後に控え、その半年間でしっかりと英語を学んだらそのあとはいよいよ憧れの会社員に向けて就職をしよう。

 

親に塾通わせてもらって簿記検定を2級まで取ったからどこかの経理かな、わからないけど早く自分で給料稼いで一人暮らしとかしたかった。

 

高校辞めてから24でアルバイト始めるまでの7年間は、時々会う近況を知らない人たちから質問される悪気も何もない当然の質問 "今は何してるの?"に対して回答に少し困っていた感覚を覚えている、てか当時の自分はそれにどう答えていたんだろうと不思議に思う。

 

ニート時代は何も言えないことが極端にコンプレックスだった自分にとってアルバイトを始めてから留学に出るまでの2年間は、フリーターになれたことが嬉しくて嬉しくてむしろ"登山専門店でバイトしてます!"って堂々と胸を張って回答していたと思う。

 

25歳当時の自分にとってはバイト続くってほんと奇跡だったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

実力もなんもないのに意識だけは一丁前に高くて、少しは遊んだとしても本来の目的である語学習得が常に一番だ、徹底的にやりこんで半年で出せる限りのベストを尽くして少しは英語話せるようになって帰国するんだって、思ってた。

 

あと本来そのまま就職活動する予定だったところを資格習得のご褒美もあって全部親にわがまま言って費用全額出してもらってたのもあった。休日の片方は必ず勉強dayにしよう、他の人たちが遊んでいてもてもおれは関与せず言語頑張るんだって意気込んでいたね。

 

精神的な問題を払拭できた喜びと少しの成功体験と海外留学の決定が重なり当時の自分にはあまりにもそぐわない意識バカ高い系の人格が形成され凝り固まった。そんな意識と共に留学先や学校を選定し準備を進めていった。

 

結果的に留学先はフィリピンのセブ島にあるEV Academyに決まった。

 

理由はいくつかあったんだけれど1番の決め手は本来は数年間は要するであろう言語習得を半年という決められた短期間でいけるところまで最速で行くために1日の間に少しでも多くの授業を受けられる環境がそこだったから。

 

あと英語圏の国に比べて留学費用が圧倒的に安い、普段の生活も勉強、ないしは遊びだけに時間を費やせるよう食事から洗濯から何から何までホテルみたいに全部やってくれる。

 

学生寮もプールも事務所もカフェも自習室もジムも全てが敷地内にあってリゾート留学で人を呼び込むには魅力すぎる場所だった。

 

そこならしっかり勉強に集中できそうだなって。

 

もう症状が出なくなってから一年半、直前まで服用していた精神薬も、少し不安はあったけれど留学直前に服用をやめてみた。

 

いつかそんなもん飲まずとも普通に過ごせるようになりたいの第一歩、いよいよ出発が迫ってきた留学生活に向けてアホみたいに生活用品詰め込んで重くなり過ぎたスーツケース。

 

さあ、出発はもう目と鼻の先だ。

 

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