なぜこんなにも自分の過去を丸々と曝け出す完全に自己満なだけの記事を6年以上にも渡ってあげ続けてきたのか


そこには理由も意味も、そしてそれによってこれから期待されること全てが詰め込まれている


自殺を考えていた17の時の自分の気持ちの供養、あまりにも敏感な剥き出しの自意識に伴って焼きついた強い感情や記憶がこべり付いて中々取れなかった気持ちの消化をしているのかもしれない


誰の目にも止まらずビクビクと過ごしてた時の"行き場のない気持ち"なんてクソありきたりな言葉は使いたくないのだけれど、まあでも確かにおれの気持ちに行き場はなかった


気持ちの消化不良と共に自律神経がバグったのか兎に角一日中寝てた


一生人と話すの怖くてしんどいまま働けないのかと思うと辛かった、自分以外の同世代が大学生活で授業とか留学とか恋愛とか、バイトとか部活とか、あとサークルも就活もその全てが青春でフル稼働してるように思えた


"一生このままなんかな"とか"彼女もできることないままおっさんになっていくのかな"とか"ずっと親のスネかじっていくのかな"とか


何度も期待しては社会復帰できずに絶望して早7年


まあ、結局そんな自己肯定感が地の底まで下がり切った自分の人生の潮目があまりにも突然、しかもなんの音も立てずヌルッと変わって良い方に転じてきたため自分でも拍子抜けだった


まさか現実に留学行ったり就職活動だなんて


セブ島に行く準備も万全、いよいよ出発の日が近づいてきて半年とは言え暫く会えない親戚やら友達に会って出発直前の時期だった





















 

 

 

2018年夏、10年ほど付き纏っていた対人恐怖症が完全に改善されてから1年と少し。

 

 

それだけで毎日が楽しくて楽しくてしかたがなかった。

 

だって外へ出ても歩いてる人が気にならないし、何かの会計をする時にもレジでオドオドして足踏みすることはない、あまりにも快適なその毎日に生きる活力に満ち溢れていたあの夏。

 

成功体験より失敗体験の方が圧倒的に多く上回っていたそれまでの人生から、ほんの少しづつだけれど成功体験が積み重なり始めていた。ずっと遠くに夢みていたいつかのこと、世間の多くの人たちと同じように働いたりするその未来がそう遠くない将来に現実味を帯びてきていた。

 

憧れていた海外留学と英語学習をすぐ後に控え、その半年間でしっかりと英語を学んだらそのあとはいよいよ憧れの会社員に向けて就職をしよう。

 

親に塾通わせてもらって簿記検定を2級まで取ったからどこかの経理かな、わからないけど早く自分で給料稼いで一人暮らしとかしたかった。

 

高校辞めてから24でアルバイト始めるまでの7年間は、時々会う近況を知らない人たちから質問される悪気も何もない当然の質問 "今は何してるの?"に対して回答に少し困っていた感覚を覚えている、てか当時の自分はそれにどう答えていたんだろうと不思議に思う。

 

ニート時代は何も言えないことが極端にコンプレックスだった自分にとってアルバイトを始めてから留学に出るまでの2年間は、フリーターになれたことが嬉しくて嬉しくてむしろ"登山専門店でバイトしてます!"って堂々と胸を張って回答していたと思う。

 

25歳当時の自分にとってはバイト続くってほんと奇跡だったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

実力もなんもないのに意識だけは一丁前に高くて、少しは遊んだとしても本来の目的である語学習得が常に一番だ、徹底的にやりこんで半年で出せる限りのベストを尽くして少しは英語話せるようになって帰国するんだって、思ってた。

 

あと本来そのまま就職活動する予定だったところを資格習得のご褒美もあって全部親にわがまま言って費用全額出してもらってたのもあった。休日の片方は必ず勉強dayにしよう、他の人たちが遊んでいてもてもおれは関与せず言語頑張るんだって意気込んでいたね。

 

精神的な問題を払拭できた喜びと少しの成功体験と海外留学の決定が重なり当時の自分にはあまりにもそぐわない意識バカ高い系の人格が形成され凝り固まった。そんな意識と共に留学先や学校を選定し準備を進めていった。

 

結果的に留学先はフィリピンのセブ島にあるEV Academyに決まった。

 

理由はいくつかあったんだけれど1番の決め手は本来は数年間は要するであろう言語習得を半年という決められた短期間でいけるところまで最速で行くために1日の間に少しでも多くの授業を受けられる環境がそこだったから。

 

あと英語圏の国に比べて留学費用が圧倒的に安い、普段の生活も勉強、ないしは遊びだけに時間を費やせるよう食事から洗濯から何から何までホテルみたいに全部やってくれる。

 

学生寮もプールも事務所もカフェも自習室もジムも全てが敷地内にあってリゾート留学で人を呼び込むには魅力すぎる場所だった。

 

そこならしっかり勉強に集中できそうだなって。

 

もう症状が出なくなってから一年半、直前まで服用していた精神薬も、少し不安はあったけれど留学直前に服用をやめてみた。

 

いつかそんなもん飲まずとも普通に過ごせるようになりたいの第一歩、いよいよ出発が迫ってきた留学生活に向けてアホみたいに生活用品詰め込んで重くなり過ぎたスーツケース。

 

さあ、出発はもう目と鼻の先だ。

 

🐣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



春休みが明け高校2年の新学期が始まっても結局電車に乗ることができずとうとう登校できなくなってしまった。高校辞めてからの約7年間は結局ずっと社会生活に戻ることはできず決まった予定といえば月に2回くらいのペースで通う精神科のみ。

 

3〜4回に一回は母親がついてきていたような。

 

対人恐怖症、厄介なそれには15歳から悩まされていたのでそこからカウントするとアルバイトとしてある程度普通に出勤できるようになる25歳までの実に10年間は何もできずに自分の中の恐怖心や自意識とひたすら格闘していた。

 

勉強も部活も青春もバイトも受験も就活もなかった自分にとって、半年間のセブ島留学のその生活はまるで失った10年の青春を濃縮してその半年間の一瞬に詰め込んだかのような日々だった。
















自分にとってはあまりにも衝撃的なセブ島留学からはもう6年以上が経っていて、直後の衝撃は徐々に薄まったいき会社員として日々一般的な社会生活をこなしたり突然海外生活に挑戦してみたり何かを勉強してみたりと当時の感覚はもう本当に時々しか思い出さなくなった。

 

それでもこうしてその物語を何年かかったとしても最後まで書き切ることを決めた当時の自分を尊重して忘れた頃にブログを更新する。その度に当時の感覚を掘り起こして探るとその日々が自分にとっていかに大きな影響を及ぼしたかが鮮明に蘇ってくる。

 

半年間の留学の最後の5週間で出会った何人か。

 

その後の自分にも大きな影響を及ぼすほどの友人二人目として大阪出身のキム・セファンという人物に出会った。

 






間違えなく出会った。

 

当時19歳、ついこの間まで高校生だった彼からは若さが故のジェネレーションギャップは微塵も感じずむしろ高2から綺麗に経験値が止まっていた自分からしたら社会復帰して間もない自分の知らない経験をたくさん知っていた。

 

海外への渡航経験や勉学、読書量や彼が自身の父親から影響を受けたものもあってか、まるで年下と話しているような感覚ではなかった。

 

英語留学の一つの選択肢としてその勢力を増し続けてきたフィリピンの語学留学。講師がネイティブではない、ということを除けば初学者の言語習得におけるデメリットは特に見当たらない格安の留学で、ワーホリ前の下準備としてもかなり有効的な選択であると思う。

 

自分がセブ島で選んだ学校は寮も教室もカフェも、食堂もバスケコートもプールも事務所も全て敷地内にあって当時300人超、人気すぎて入学待ちが出るほどの人気校だった。セブ島語学留学の多くは韓国企業が資本で、これはのちに生活したオーストラリアでも感じたことだけれど海の外で大きくビジネスを展開するアジア系の中小は韓国や中国が圧倒的に多いように思う。

 

アジア中から、時にはロシア、中東などからも英語を学びにくるわけだけれども校内にいる生徒らは当たり前に金払って学びにきている。

 

だた通常の生徒と違って彼が行なっていた学生マネージャーってやつは学校のスタッフ側なわけで校内での事務仕事が伴う。システム的にはオフィスでの仕事を半日、午前か午後のどちらかは他の生徒に混じってクラスに出席するというシステムで、仕事をする代わりに学費や寮費がかからずしかも少しの生活費をもらいながら海外での職務経験もできる、という経済的にも経験的にもかなり効率的な留学方法であった。

 

誰もが応募してなれるものではない、タイミングとか、そもそもその情報を知っていないと学生マネージャーとしてなんて留学できないものだけれど、彼はそんな半分オフィス半分授業の学生マネージャーとしてそこにいた。

 

その話はとても興味深い、一番最初にカフェで話しかけた時の会話でサラッとそのことについて話してくれたのを覚えている。

 

なんか、あんま群れないでいつも本持ち歩いてる、高校生にみえる大学生みたいなイメージだったけどそんな彼とはユンと一緒に自分の部屋に招いてギター弾いてもらった夜からとてつもないスピードで仲良くなっていった。

 

なんか最後の方は撮影しながらみんなで大合唱、あんま面白いことしてないはずなのにみんな爆笑してたのをよく覚えている。

 

数週間毎日一緒にいたユンともう一人の仲間が加わっていよいよ勢いづいてきたのも束の間、留学最後の1ヶ月で人生で初めての彼女ができるまでのカウントダウンが始まった。

 

これは本人がどう解釈するかにかかっていることだけれど俺はその流れはまさに事前に設定されていたかのように運命的だったと思っている。

 

思ってる、いやもう運命だった。

 

ゆんに会ってセファンにもあった、その後自分一人では繋がりようのない人たちと、とてつもなく短い期間にとてつもないスピードで繋がって、そしてその後とてもなく速く苦い恋の思い出となった人生初の恋愛が幕を閉じたのである。


当時26歳の渡邊なのであった。

 

 









チャンギ国際空港でのトランジットを終え意気揚々とオーストラリアに上陸、入国日ハイの猛毒にやられ普段であれば間違えなく許容できないことすらさほど気にならずワクワクする気持ちが勝っていたのも束の間、おれは入国早々海外滞在初日の洗礼を思いっきり食らうことになる。

 

ワーホリ日記その1の冒頭でさらっと触れた、到着日に予定していた空港からシェアハウスまでのピックアップが何故か突然消滅した話。


シドニーでのトランジット観光↓









 

ただその話をよりわかりやすく理解して頂くためには前提としてワーホリってシステムをすでに知っていてインストールされている状態でいていただいた方が良さそうなのでそもそもワーホリのシステムを少し。

 

いや、正直本当はこの後の説明文はちょいと長い、でも長いなんて前置きをしてしまった日にはこの時点で読むのをやめてしまう人が続出してしまうかもしれないため私は言った。

 

少し。

 

そもそもだ、ワーホリって珍しいケースを除いて基本的には仕事とか住居とか生活する上で最低限必要なライフラインでさえ入国後に現地であれこれやって手配してうんたらかんたら、それでなんとかして生活していく。みたいなケースがほとんどだ。

 

ビザってやつ。その種類や目的に応じた規則がしっかり用意されているけれどWorking Holiday Visa、その名の通り期間限定の休暇を外国で働きながら楽しむ制度。言い換えたら"異文化に触れながら色んなところ行って遊んだり物価高いから働いて金貯めたりなんか言語ガチっててもいいし数ヶ月限定で学校通ってもいいしまあとにかく経験だ経験、一年間ボーナス期間やるから楽しんでこい、ただ生きていくには金がかかるだろ?だからフルタイム労働許可して現地で生活費賄えるようにしといてやるから働きながら楽しんでこい?な?"だ。

 

旅行以外で海外に長期滞在するケース、学生ビザであれば数百万単位のまとまった資金、ワークビザであれば会社からのVisa発行サポートという最も難関な必要項目を取り揃える必要なく、たった50万程度の銀行の残高証明と数万円のVisa申請費用、あとは航空券の所持のみを条件とするという、ただ旅行するより資金準備のいらないあまりにも簡単なフルタイム労働権付きの一年滞在ビザだ。

 

実際にかかる最低費用ってVisa申請費用と片道航空券だけだから多分10万くらい、もし最低限で行くなら、ね。

 

就ける職種や職場に制限はないんだけれども半年に一度仕事を変える必要があったり言語力を全くと言っていいほど有していなくてもビザをサクッと取得できてしまうことから法人が発給するワークビザやしっかりとした資本金を要する学生ビザと違って本格的な仕事についてしっかりと何年間も生きていく仕様にできていないのである。

 

どれだけ言語力やコミュニケーション能力があったとしても日本で言う正社員的なポジションは最長半年で辞めてしまう人間にはオファーされないのは当然なわけで、その仕事ほとんどがまあ学生バイト程度の仕事だ。

 

そんでだ、🇦🇺わーほりにはビザを最大3年まで延長するシステムがあって、その条件ってのが決められた地域で決められた仕事におおよそ3ヶ月間従事するとプラス1年の滞在権利を獲得すると言うもの。

 

それがワーホリ界隈でよく耳にするど田舎の過酷労働、いわゆるファームジョブだ。これやりたくてやってる人ほぼいないと思う。











 

もしいたならそれは筆者には到底理解のできない感性をお持ちのお餅だ。

 

そう、お餅だ。

 

別に農場だけじゃんなく工場とか他にもあるんだけどまあとにかく、なんか3ヶ月間農場で泥だらけになりながら苺摘み続けるみたいな過酷で誰もやりたがらないような肉体労働しないと2年間滞在できないらしい。ワーホリって海外に移住したい、とか日本社会に疲れた、就活したくないみたいな人もとても多いのだけど自分の場合は行くことを決めた時点で明確なゴールが決まっていたため2年後に日本に帰国することを前提に逆算してその内容を計画していた。


先進国として人気な移住先なだけあってVisa延長のための条件がとてもスマート。食品生産大国の強みをふんだんに使って人手不足を解消するという政策なんだろうか、たくさん力になっていただいたとしても少ししたらVisaの期限も切れてほとんどの人間が帰国するシステムになっているため移民過多による長期的なダメージや問題が発生する心配もない。

 

3年?長く海外生活したかった訳じゃなかった。あと3年のVisa取るには更にプラス半年間条件通りの仕事しないといけなくてそもそも年齢制限的に間に合わなかった。

 

ただ決めた目標を達成するための期間としては2年ってちょっとタイト。

 

早いとこ目的達成して次の人生に進みたい、くらいの気持ちがあったので達成さえされてしまえば正直なんでもよかった。滞在したい期間、というのは特になくてそれよりも目標達成するために充分な期間が必要だった。その期間で足りるかどうかの方が気に掛かってたね。

 

当時の自分、30でワーホリで海外行って三年いたところで何も持って帰れなかったら悔しいし勿体なさすぎる、とはいえ一年じゃ何も出来ずに終わりだろうし、だからまあ2年。

 

ちょっと無理あるけど2年。

 

今は帰国してからもう少しで一年、2年と8ヶ月前を振り返ってこの記事を書いている。

 

そんなワクワクするような目標を掲げた自分はその後一体どうなったんだろうか?

 

結果だけ先に言おう。

 

帰国した時の自分、目標達成はおろか通常状態の精神を保てず途中強制帰国となった。

 

ほんとにしょうもないこと、自分にとっては夜寝られなくなってしまうようなことだった。

 

途中1年間までは目標に向かってグイグイと進んでいたし実際に着実に進めていた。

 

帰国までの最後の8ヶ月間の精神状態はちょっと自分でも笑えない、我を失うってことを綺麗なまでに体現してしまった、まあ言うなれば恥だ。

 

汚点とまでは言いたくはないけれど。

 

んじゃ次に記事では入国初日の洗礼をいよいよ、笑

 

ひよこひよこ🐣




















ユンスンイルにもおれにも一つ大きく共通していたことは、お互いタガが外れたかのように小学生のようなバカをギガ無制限で楽しむことが大好き、ということだ。


大好き?いやいやそうしてる時間がただ楽しかっただけで別に趣味にしていたわけじゃない。


ついつい楽しくて時間忘れてしまっていただけだ。


さて、当時ただの生意気な大学生だったユンスンイル、2025年5月現在は数年前にたった一人で立ち上げた事業がデカくなっておれもよくお邪魔するタワマンのなかなかな部屋をオフィスに構えて人に給料払ってなんか俺からしたら訳のわからない金額を口にしている。


26歳にしておれとは二つ桁の違う金額を動かし大きな事業に没頭している若手経営者だ。


そんなユンスンイルも当時は俺と一緒にアホなことを楽しむ小学生のような青年。いや今も二人で会ってる時は間違えなくバカな話してるんだけど、今は当時とはもちろん年齢も立場も状況も変わっているわけで、お互いいい意味で当時の自分たちが進みたかった未来に足を突っ込んでグリグリ頑張ってんるんだと思う。


ただあのなんの不安もなく底抜けに楽しかっただけの青春の日々はこれからの人生含めても間違えなく生涯の最高な瞬間のトップに君臨し続けていると思うし、おれたちはあの瞬間を共有した仲間としてずっと変わらないと思う。


そしてこの話の中にはまた一人仲間が加わる。




最近学校にやってきた日本人対応窓口の学生マネージャーのセファン。English nameはSeff。


いつも通りユンと校内のカフェでピザでも出前しようか、なんて話してたんだと思う。


留学中なんて年齢とか国に関わらずほんとその場その場で話し始めたら色んな人と小学生みたいにすぐ仲良くなったりするもんだからもうなんの驚きもなかったんだけれど、ホント自然に適当に仲良くなっていく感じ。


あれって不思議だよな、きっと大人がそんな風に自然に子供みたいに仲良くなっていかないのはマインドのせいっていうより出会う場所のせいな気がする。


だって飲み屋とか英会話教室とか職場意外で知り合う大人ってやっぱり子供みたいに自然になよくなる印象あるからな。多分そうだ。


んなことは置いといて、その日もカフェ内にこの前話しかけたセフが。そんでまた誰かといるでもなくまた本持って一人で過ごしてた。


おれはどっちかと言うとそんな空気を醸し出している青年にわざわざ突然一人の時間遮断してまで話しかけるような野暮なことをするタイプでもない。生意気なユンがまたおれに"おい童貞!おい!"みたいなこと言ってる横で普段通り過ごしていただけ。


ユンはそうはいかない。


絶対にそうはいかない。


一人のセフに、"来なよ!今から出前とるから一緒に食べよ!"みたいなノリでセフの空気ガン無視、フルシカトで食事に誘っていた。


いやこんな書き方をしておきながら彼の人懐っこいキャラには当時から感心していてすげーと思ってた。


その貪欲で遠慮のない人へのアプローチって俺マジで皆無で、もし相手が乗り気なら…みたいな考えが主体の俺からしたらホント新しかったというか、まあ。


思い返すとその時のセフは明らかにその勢いに押され負け断りづらくなってしゃーなしに参加してた笑


もう一人はクラスメイトのリエさん。多分ユンとかともどっかで繋がってたとは思うけどなんかリエさんもいたんだよな。大阪の人ですげー話しやすい人だった。


俺に対するあまりにも強いイジリを繰り出すユンとその全てに乗っかっていじる側が一番欲しい反応を欲しいタイミングで返すおれとの高速ラリーが見せ物みたいになっててちょうど面白くなってたころ。


色んなことを話している中でなぜかフィリピン人の女性の話になった。多分おれ発信。


まああんま内容は堂々と言うことでもないので詳しく書かないけれど、単純に海外経験豊富で知り合いも多く物知りなセフから出た言葉がまるで経験ある人の発言みたいになってたところユンがすかさず "え!なんで知ってるの?これ経験あるな!"とツッコミを入れたところからめっちゃ盛り上がった笑


それを全力否定するセフと突っ込むユンと同調するけんみたいな。


そこで少し砕けてそのあと彼がギター弾けるって話になったんだけどそこでもユンが追撃を緩めることなく"え、ケンさんの部屋にギターあるから弾いてよ!今からいこーよ!"とまたグイグイいって。


いやこれホント俺だけがセフと話してたらどっちもあり得ない展開だったけどユン一人いるだけで人とのコミュニケーションもノリも盛り上がりも全然変わるし今考え直してもホントびっくり。


結局イヤイヤだったのに押され負けて俺の部屋来てギターの演奏会することに。


これは仲良くなったあと後日談でセフから聞いたんだけれど、その時点でも彼はまだ壁があったらしくしかも部屋に来るまでは少し嫌だったらしい、笑


恐るべしユンスンイル。


遠慮ないってすごいっすね。


続く。