Albert Duhaupas “ MESSE SOLENNELLE”について (9) | とのとののブログ

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Albert Duhaupas “ MESSE SOLENNELLE”について (9)

  補足編 Orphéons(オルフェオン)と日本の合唱コンクール(2)

 

 補足が思いがけず長くなったが,最後に山口隆俊が昭和4年の11月に東京日日新聞に書いたコンクールに関する大変興味深い文章を紹介する。前提として,山口が指揮する東京リーダー・ターフェル・フェラインは,昭和2年の第一回合唱祭で11団体中2位,昭和3年の第二回は11団体中3位と好成績だった。

 昭和4年の第3回直前に書いた「合唱競技祭の今明日」で,「競技会の目的は『勝利の獲得』であるが,多くの不快な例を知っている」と,わずか2回の「コンクール」を経ただけで実に意味深なことを書いている。「不快な例」をそのまま書いてはいないが,競技会の改善案として

  ・ 審査基準は和声,統一,テンポ,解釈などに分けるべき(今は主観的評価のみである)

  ・ 競技出場のための良歌手雇入れ等は,かたく禁止するところ

  ・ 日本人の曲が少ない(からもっと取り上げる)

を上げている。

 これらが山口の言う「不快な例」の裏返しであるのは明らかで,上位入賞団体からの意見であるところが興味深い。自分たちのほうが良くできているのに,なぜあちらが上なのか,疑問なところがあったのだろう。主観的評価の名の下,審査員が友人または先輩指揮者に「忖度」した評価をつけているのではという懸念,または,実際に聴いたかであろうか。
 「良歌手の雇入れ」については,「メンデルスゾーンがアプトに問題提起した」内容と同じであるとし,古くからある話だったらしい(2018/10/29追記)。特に,第1回の優勝団体はメンデルスゾーンの曲を,ドイツ人指揮者・ドイツ人の4人のソリスト・合唱がドイツ人と日本人の混成で歌ったため,レベル的に他団体の比ではなかったが,確かに日本のコンクールとして違和感を覚える。

 

(2018/10/29追記)

 新聞記事をこう読んだのだが,後に山口が書いた「合唱運動のあり方 -コンクールについて-」を読むと,これは読み間違いだった。

「例えば,メンデルスゾーンがドイツ音楽総長と云う,今の山国彦氏や津川主一氏の様な役をやっていて,日本で云えば天皇杯合唱コンクールと同様なカイザー首飾賞コンクールでの入賞団体採決に困って,『初めは合掌,おしまいはてんやわんやだ』と嘆かしめ,作曲家アプトをこんな堕落した競技会は政治的に禁止せにゃならぬと怒らし」と,メンデルスゾーンは困りアプトは怒ったということで,それは協議会全体に対する意見だった。

 

 評価(順位)について,実を言えば私も40年ほど前に類することを聞いたことがある。ある団体の指揮者と友達の審査員が,その団体に高評価をつけたとか。

 更に,九州の大御所だった森脇健三は著書「合唱のたのしみ」の「コンクールの功罪」で,自分の福岡合唱団が2位で,合唱界でイイ顔の指揮者であった故秋山日出夫の国鉄合唱団が1位だったが「美声でもなく,ハモってはいたが歌い方もありきたり」で審査結果に腹が据えかねる,と述べている*。ここまでなら「これも主観的評価」と言えるだろうが,続いて審査をするようになったときのこととして,「故木下保先生が女子大の女声で出場された時のこと(:昭和34(1959)~昭和40(1965)ごろ)」について,次のように記している

「自由曲は立派で頭が下がるのであるが,課題曲がいけない。

(中略)

声楽家木下先生が,ことに日本語の発音,日本歌曲・合唱曲にはひとかどの権威者であることに敬意は表しているものの,課題曲のテンポ無視には私は承服できない。中位下の順位をつけてしまった。なみいる審査員の話していることが頭にきた。『あれではひどすぎるけど,指揮が木下先生ではねえ』」

歌っている当時の学生さんは一生懸命だし,評価を喜んだことだろうが,このような忖度があったことを書き記しているのは珍しい。この本はなかなか面白くて,コンクールについては意味不明の評が見られると,「音楽的にもいみのある声がほしい」「外国の曲を選んでも,日本人が歌っている必然性がにじみ出る演奏がほしい」など例をたくさんあげ,注釈(意味のわからなさについての説明)をつけている。

 

* 調べてみたが,全日本では当初から職場と一般は部門が別れており,国鉄合唱団は森脇の勘違いで,昭和26(1951)の一般の部における秋山のH.G.メンネルコールのことだろう。

 

 「良歌手の雇入れ」も実際に聞いたことがある。東京に向かう新幹線の中で全日本合唱コンクールに向かう女子高合唱団と同じ車両だったが,なんとなく話が聞こえてくる中,OGが一緒に歌うことがわかった。高校Aではそこそこ有名な合唱団で,大学の1-2回生だろうとは思うけど,それでもOGを乗せるのはルール違反で,がっかりしたことがある。一般合唱団でも,直前に音楽学校の学生や,人数が足りないパートを集める話は聞いたことがある。こちらは前日の入団でもルール上は問題ないのだろうけど,やはり釈然としない。

 

もうすぐ全日本合唱コンクールだけど,今はそんな事が行われていないことを期待する。

 

 山口隆俊が「合唱競技祭の今明日」を載せた昭和4年,東京リーダー・ターフェル・フェラインは入賞できなかった。「あんな文章を載せたから」と責められた,と山口は書き残している。審査員の心証を害したのかもしれない。しかし,審査方法について,その後しばらく山口が提案したように和声やバランスやリズムなどに分けて採点する方法が取られたという意味では,周りの共感得られる部分もあったのだろう。ただあまりにも面倒で審査員が閉口したため中止になった。

 

Duhaupasのミサについて始めた調査が,当初は思ってもみなかったところへ着地したけど,まあそういうこともありますね。

 

(終)