Albert Duhaupas “ MESSE SOLENNELLE”について (2) | とのとののブログ

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Albert Duhaupas “ MESSE SOLENNELLE”について

「グリークラブアルバムの研究」

 

 さて,デュオウパについて幾つか資料が検索できた。

  ①Biographie nationale des contemporains, éditée chez Glaeser et Cie  同時代国民伝

  ② Cyclopedia of Music and Musicians vol.1

  ③Almanach des orphéons et des sociétés instrumentales  1959年オルフェオンの記録

  ④MUSIQUES MAESTRO! une historie de la musique et de la danse en Pas-de Calais

    パ=ド=カレー県(アラスはこの県の県庁所在地)の音楽とダンスの歴史

  ⑤WorldCatの検索

 これらを元に彼の生涯を年表にまとめる。ポイントは別に表にまとめた。

 

Albert Dehaupas (1832-1890)

1832426日アラスで生まれた。父親はアラス交響楽団の指揮者であり大聖堂のオルガン奏者,彼の才能に気づき音楽のレッスンを行った。その後カレーのドイツ人音楽家M. Neulandのもとでピアノと和声を学ぶ。

1849年 パリ音楽院に入学。

1851年 アラスに戻る。大聖堂のオルガニストと礼拝堂マスターを巧みにこなした。

1854年 アラスのオルフェオン協会により満場一致で指揮者に選任された。彼の知性とエネルギーのおかげで,アラスオルフェオン協会は多くのコンクールで水際立った演奏を披露し,賞を獲得した。

1859年 パリのオルフェオン大会に40名の団員とともに参加。

1861年 パリHeugel社より荘厳ミサの楽譜を出版。

1863年 アラス・オルフェオンがクレルモンのコンクールで優秀賞

1864年 ローマのTrinile-du-Mont教会(丘の上の三位一体教会)にフランスのオルガン奏者の代表として招待された。

1866年 アラス・オルフェオンがリエージュ国際コンクールで優賞(図参照)。

1868年 アラス・オルフェオンがアムステルダムの国際コンクールで大賞

1870年 アラス・オルフェオンがモンスの国際コンクールで優賞。

1888年頃 多数の宗教曲を作曲,その多くはアラスアカデミーの金メダルを受賞。逐次出版の予定。

1890年死去。

 

 アラスの男声合唱団(オルフェオン)を率いるなかなか優れた指揮者だったようだ。1866年のリエージュ国際コンクールに優勝した時,アラスの街に凱旋する様子が新聞にイラスト付きで紹介されているが(下図右下),なかなか大層な感じで,当時国民運動であったオルフェオン活動の熱気を感じさせる。オルガン奏者としての腕前も高かったらしい。死亡年については1890年と1896年の2説あるが1860年の資料が2つあるのでこちらを採用した(ただしソースが同じかもしれない)1896年は,彼の女声三部合唱のためのミサNotre-Dame des Miraclesに記載されている(後述)

 

 荘厳ミサ曲について,作曲年等を絞り込むため,楽譜に記載された de La Tour d’Auvergne について調べてみると,やっかいなことに,この時期アラスに二人の de La Tour d’Auvergne がいた。

 

 一人目は,Hugues-Robert-Jean-Charles de La Tour d’Auvergne (1768-1851)1802年からアラスの司教を務め,大聖堂の修復等を行い,1846年には枢機卿に任命され,1851年にアラスで亡くなった。一般的にはこの人が有名で,詳細な解説ホームページやWikiの記事がある。ホームページにはDuhaupasに関する記述もある。

 二人目はCharles-Amable de La Tour d'Auvergne (1826-1879)1849年から1856年までアラスの総督だった人で,その後1856年から1861年までde Rote à Romeを務めた。ローマ控訴院の監査役である。この人については,あまり情報がない。

 

 一人目のオーベルニュ公は,詳細に生涯が記録されているので,もし監査役を務めたなら詳細な生涯の記録に記載されているだろうから,彼ではない。年代的にみてもデュオウパがミサ曲を捧げたのは,二人目のオーベルニュ公シャルル・アマブルとして間違いないだろう。

 そうするとこのミサ曲は,シャルルが監査役であった1856-1861年に作曲されたことになる。もし1856年にアラスの総督と監査役を兼任する時期があったなら,この年に作曲された可能性がある。重複なかった場合は,1858-1859年頃ではないか。WorldChatによれば楽譜は1861年にHeugelから出版されており*,また,1859年のオルフェオンパリ大会にデュオウパはアラス・オルフェオン40人と参加していることから,初演はこの時ではないかと思われるからだ*

 

* 林雄一郎氏が入手した楽譜もこれだと思われる。

** 関西学院グリークラブコレクションのCDには「初演は1869年」とされているが,これらの資料から1859年だと思う。1861年に楽譜が出版されたのに初演が1869年は考えにくい。

 

 次にデュオウパの作品をまとめる。彼の作品について記述されているものをまとめた。どれが何曲かいまひとつはっきりしないので,フランス語原文とあわせて示す。分かる方教えてください。

 

 Bによれば男声合唱のミサ曲はこれ1曲のようだが,オルフェオン向けに男声合唱曲はたくさん書いたらしい。アラスに楽譜は残っているだろうか?

 WebCatで調べると,現在どこかの図書館に楽譜が所蔵されている曲は7つある。赤字が荘厳ミサ曲で,フランス国立図書館にある。最下行のモテット集は大学図書館のアーカイブにある。また,Notre-Dame des Miraclesという女声三部合唱のミサ曲は,現在でも楽譜を入手できるデュオウパの唯一の曲。同声合唱とみなせば男声でも歌える。どこか入手し演奏してみませんか?

 

(続く)