Albert Duhaupas “ MESSE SOLENNELLE”について (1) | とのとののブログ

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Albert Duhaupas “ MESSE SOLENNELLE”について

                       「グリークラブアルバムの研究

 

 当初は「グリークラブアルバムの研究 宗教曲編 Kyrie eleison デュオウパ作曲」として掲載の予定だったが,謎が多い作曲者とこのミサ曲について調べてるうちボリュームが多くなったため,独立項目を立てることにした。Duhaupasの日本語表記はデュオーパ,デュオパ,デュオウパなど様々あるが,ここでは資料引用部で原表記を用いる以外は,グリークラブアルバムの表記「デュオウパ」を用いる。

 

 むかし,1970年代初頭,私が高校合唱部の部室にあった雑誌「合唱サーク 19682月号」を読んでいると,福永陽一郎氏が「(デュオーパの男声合唱のためのミサ曲は)たいへんな名曲ですから,第一級の実力をお持ちの男声合唱団にはぜひおすすめしたいミサ曲です」とこのミサ曲を紹介されていた。バックナンバーを漁ると他の号でも何度か取り上げられていた。

 それ以来,どんな曲か気になっていたが,大学グリークラブ2回生の時に歌う機会に恵まれ,やや通俗的ではあるけれども,どのパートも存分に歌え,聴く側も飽きないだろうこの名曲を堪能することができた。このころ,1976年の定期演奏会で同志社グリークラブ,1977年には京都大学グリークラブ,そして東京大学音楽部コール・アカデミーが演奏(楽譜にはないオルガン伴奏付き),更に1979年の関西学院グリークラブ80周年記念演奏会では,北村協一の指揮により同グリークラブと新月会の合同で「本家」の演奏を堪能させてくれた。どうやらタイミングよく,このミサが多く演奏される時期にいあわせたらしい。

 

 この名曲を残したデュオウパについては「ほとんど何も分かっていない」が常套文句。グリークラブアルバムの解説には「19世紀後半にアラス大寺院のオルガニスト兼合唱指揮者だった人で,フランスの男声合唱団協議会の会長だったこともあります。このキリエが収録されている荘厳ミサは,そのオルフェオンのパリ大会のために作曲されたものです。」とあり,また1964/11/23の同志社グリークラブ創立60周年記念定期演奏会の解説で福永陽一郎は「この荘厳ミサ曲は,当時ローマの最高法院に出向中のオーヴェルニュ公に捧げられている」と記しているが,これが現在までに知られているほとんど全てである。

 この60年代の知識が引き継がれ,2001年に発売された関西学院グリークラブコレクション「MESSE SOLENNELLE」のCD解説(北村協一)2017/7/23の第21回東西四大学OB合唱連盟演奏会でクローバークラブを指揮した小久保大輔氏の解説にも引用されている*

 

* おそらく世界で唯一のこのミサのCDである。また小久保氏は福永陽一郎氏のお孫さんで,デュオウパのもうひとつの作品についても言及されている(後述)

 

 2018年現在,ネットの情報は膨大なものであり,19世紀の資料がデジタル化されそれが検索できるという1960年代とは全く異なる調査環境にある。デュオウパについて本当にこれ以上の情報がないのか,ここに記されていることが正しいのか調べていく時期であると考え,調査してみた。ちなみに私はフランス語もフランスの歴史もほとんど何も知らず,またキリスト教の知識も表面的なもので,Google先生に大活躍していただいた。

 まず,前述の情報は1964年にホッタ楽譜からでた楽譜の目次ページに記載されている(この楽譜については後述)。林雄一郎氏が所有されていたオリジナルスコアからの転載であろう。下図にこの写真と和訳を載せる。

 

 今まで言われていたことが概ね正しいことが分かる。ただし,後に述べるが「Directeur des Orpheonisies」は「フランスの男声合唱団協議会の会長」は間違いで,「アラスのオルフェオン(男声合唱団)の指揮者」という意味である。オルフェオンとは,一言で言うとフランスの国民的合唱運動のことで,説明しだすと長くなるのでこの研究の末尾に補足の形で述べたい。

 

 オーベルニュ公は古い人間には懐かしい言い方で,現在はドーヴェルニュ公とされているようだけど,ここはオーベルニュ公を使うことで問題ないだろう。しかし,「ローマの最高法院に出向中」は本当だろうか? なぜこの記述から「出向中」がでてくるのだろう?

 まず「ローマの最高法院」という言い方だが,バチカンの組織に日本語で最高法院とされているものはみあたらない。de Rote à Romeはローマカトリック教会にある3つの裁判所の1つで,日本語では「ローマ控訴院」と訳されており,その名の通り上訴を受理する裁判所である。また,裁判所の1つに使徒座署名院最高裁判所があるが,これも最高法院とは呼ばれない。ちなみに,「ローマ帝国支配下のユダヤにあった最高裁判権を持った宗教的・政治的自治組織」は日本語で最高法院と言われているが,当然これではない。

 オーベルニュ公はそこのAuditeur,つまり監査役であった,と読める。この部分は出向中というより,「モンシニョール(最高位聖職者)にしてローマ控訴院の監査員」という意味だろう。このことは,のちの考察で利用する。

 

(続く)