Albert Duhaupas “ MESSE SOLENNELLE”について (3) | とのとののブログ

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Albert Duhaupas “ MESSE SOLENNELLE”について

「グリークラブアルバムの研究」

 

 

 デュオウパについて少し人間像がみえたところで,MESSE SOLENNELLEO SaltarisDomine SalvumPie Jesu3曲について,私と同様「これはなんやろか?」と思っている人もおられるだろうから,調べたことをまとめておく。ほとんどは吉村恒編「宗教音楽対訳集成」の受け売り。

 

 トレント式典礼によるミサの式次第では,通常分の聖歌はKyrieGloriaCredoSanctusAgnus DeiIte missa est (解散の言葉。「行きなさい,解散します」の意で,ミサの語源は2番めの単語)であるが,典礼の様式化と修道士の創作意欲が高まるにつれ,新作のテキストや旋律が挿入されるようになった。19世紀のフランス・カトリック協会ではローマ教会からの独立性を志向するガリア主義を標榜,独自の式文があり,O Saltaris hostia (ああ,救いなるいけにえ)を挿入し聖体賛美が長くなっているのはそのひとつ。デュオウパのミサ曲のように,ケルビーニ,グノーなどフランス式のミサ曲でSanctusのあとによく挿入される。トマス・アキナスの賛歌Verbum supernum (天上から出た御ことばよ)の最後の2節。

 

 一方, Domine Salvumは国王が列席するミサで最後に演奏されるモテットで, Domine, salvum fac regem (主よ,王に救いをなしてください)。ナポレオンが1804年に皇帝になるとregem(王に)が書き換えられ, Domine, salvum fac imperatorem nostrum Napoleonem (主よ,われらの皇帝ナポレオンに救いをなしてください)となった。失脚後の1814年からは元のregemに戻された。

 デュオウパのミサ曲は1956-1958年頃に作曲されたが, 歌詞はimperatorem nostrum Napoleonemがまだ使われている。こういう例は他にもあり,例えばグノーの聖チェチーリア荘厳ミサ曲は1855年の作曲だが,ナポレオン3(在位1852-1870)のために, Napoleonemが使われていた。しかし,のちにDomine, salvum fac publicam nostram (主よ,我らの民衆に救いをなしてください)と書き換えられた*。デュオウパのミサ曲も,後世もっと歌われていたら書き換えられたかもしれない。

 

* 確認のため所有するSCHIRMER社の楽譜を見たら,アメリカの出版社のためかDomine Salvumは収録されていなかった。昔買ったLPではDomine, salvum fac Regem nostram (主よ,王に救いをなしてください)となっていた。

 

 Pie Jesu(情けふかい主イエス)は,主にフランス式のレクイエムでSanctusのあとに記念の祈りとして歌われた。ミサの中でPie Jesuが歌われることがあるのか,分かりません。なぜ含まれているのでしょうか?

 

さて,つぎからは日本でのデュオウパについてまとめていく

 

(続く)