ダニエル・E・リーバーマン 「人体 600万年史 -科学が明かす進化・健康・疾病-」 | とのとののブログ

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 著者はハーバード大学の人類進化生物学者。生物としての人類が,いかに環境に適応し対応してきたかを分かりやすく説明する(早川書房が出すこの手の本は,訳がこなれていて読みやすい)。後半は農耕が始まって以来の文明社会の環境と,それが人体といかにミスマッチを起こしているかの詳説。単純に言えば,生活習慣病の話である。

 

 まず,人間を特徴づけるのは,まずは大きな脳。この発達がなければ文明も起こらなかったのだけど,その鍵となったのは人間が余剰エネルギーを脂肪として蓄える能力を磨き,他の霊長類より多量の脂肪を蓄えられるようにしたこと。猿の赤ん坊は体脂肪率が3%程度なのに対し,人間の赤ん坊は15%もある。これは,脳はエネルギーを消費する器官で,体のエネルギーのうち20-30%のエネルギーを使うが,自分にはエネルギーを蓄える機能がないため,体に脂肪を蓄えコンスタントにエネルギーを供給する仕組みを作った。これがまず太一のポイント。そして,この脳で調理技術を開発し,消化に必要なエネルギーを減らしたこと。腸は体の中で脳に次いでエネルギーを食う器官であるため,調理により食べ物を消化しやすくすることでエネルギー消費を減らし,その分を脳に回すことで更に大きくすることができた。

 

 ことばを発する点では,人類(特に現生人類の)短く引っ込んだ顔が音響的に有利になった。喉から舌の奥までの垂直部と,舌の奥から歯までの水平部。現生人類ではこの2つの長さがほぼ等しいが,類人猿や多くの旧人類では垂直部が短く水平部が長い。長さが等しいと,発した母音の振動数の違いが顕著となり,母音の発音が正確である必要がない。多少乱暴に喋っても聞き手が認識できる程度に母音が離散的になる。この構造が言葉を話す上で優位に働いた。同時に問題もあって,食べ物や水が喉に詰まりやすくなり,窒息を起こす危険がある。誤嚥による窒息は,アメリカの死亡原因の第4位である。

 スティーブン・ミズンは「歌うネアンデルタール」の中で,彼らの喉の構造が現生人類と同じであること(垂直部と水平部が等しい)から,彼らも言葉を話せたのでは,と類推している。さもないと彼らの進化は「喉をつまらせる」ためだけに起こったことになるからだ。

 

 特に面白いと思うのは,農業が起こり広まったことでどんな影響があったか。ミスマッチの例は限りなくでてくる。炭水化物が主食になったことで糖尿病(いわゆる血糖値スパイクがトリガーとなる)がおこる。虫歯ができるようになる。家畜を飼うことと人口密度が高くなることで獣人共通感染症がひろがる(天然痘,ジフテリア,インフルエンザ,はしか,マラリアなど)。こういったミスマッチは,狩猟採取生活ではおこらない。更に意外なことに,体の活動レベルは狩猟採取生活と農耕生活ではほとんど変わらないか,農耕生活のほうが少し高い。つまり狩猟採取よりも農耕のほうが一日に多く働かないといけない。狩猟生活のほうがゆとりがある。一つの証は,農耕に遷移すると人の身長は必ず低くなり,日本や中国のデータでは米作が広がった後は平均身長は8cmも低くなった。身長は十分なエネルギーを摂取できれば遺伝的に決まった最高値まで伸びられるため,農耕に移行した人々の摂取可能エネルギーは狩猟採取時代よりも少なくなり使うエネルギーは多くなったことを意味する。

 そんな状況でなぜ農耕に移行したのか,が不思議に思えるのだけど,少なくとも人口を増やすことには効果的であったらしい。狩猟採取では1万年後の人口は4倍にとどまるが,農耕の場合は32倍と8倍も多い。これは雪だるま式に差が開くので,もし農耕が始まらなかったら現在の人口73億人のうち60億人は存在していなかったことになる。それが良かったのかどうかは微妙だけど,これだけ数を増やし文明とやらを築き上げで他の生物を圧倒しているという意味では,あれだけのミスマッチがありながら農耕に移行したのは結果として正解ということになる。

 

 もちろん,初期の現生人類がそのような戦略を立てて,苦しい農耕生活に移行したのではない。最近の知見では,農耕のために定住したのではなく,定住せざるを得なかったので農耕が始まったとされている。環境変化のため動物を狩るのが困難になり,長距離の追跡や探索が不可欠となったため,老人や子供を抱えた女性などを連れて行くことができず,彼らは定住し男性が狩りに出る生活に移行した。その間に残された人々が木の実などを採取する中で農耕が始まったとされている。NHKスペシャルの「Human」では,麦やコメなどの炭水化物に注力していったのは酒を作るためという仮説が紹介されていたが,酒飲みの私にはとても納得できる。