小坂井敏晶 「責任という虚構」 | とのとののブログ

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 「責任」という言葉はよく使われる。「戦争責任」「自己責任」「(閣僚の)任命責任」「(破綻しそうな会社の)経営責任」とか,はたまた「俺が責任を持つから思い切ってやれ」というセリフを聞いたり言ったりした人もいるだろう。逆の言い方をすると、「○○責任」とは「責任を取る」ために存在するわけだけど,不思議なことに「責任のとり方」は事前には決まっていない。そのため、太平洋戦争の責任のとり方がいまだに議論され,自分で決めた行動の責任は全て決めた人が取れという論調が都合良く使われ,野党は首相を退陣させる道具に任命責任を使う。このように遡及的に追及される責任に意味があるのだろうか、と疑問に思っていた。amazonを検索してみると、そういうことを扱っていそうなタイトルの本があったので購入した。

 

 著者はパリ第八大学で心理学の准教授をされている方で,予想していたよりも根源的で哲学的な議論が展開される。もう少し実社会に根ざした本かと期待していたが,それは仕方がない。さて,最初の論点は人間に自由意志があるのかどうかということ。責任があるとすると,それは本人が決めたからであり,強制されての決定や行動であればそこに責任は生じない。これが大前提*。ここで人間とは,持って生まれた遺伝的要素とその後の生育にかんする環境要素の2つからなる。遺伝的要因は自分の意志で選ぶことはできないし,環境要因,例えばどんな親から生まれ裕福かどうかなどは自分ではえらべない。自分とは,自分にえらべないもので構築されているのだから,自分が決めたように見えてもそれは自分が選び取った結果ではなく,そこに自由意志は存在しない。したがって,責任は発生しない。大まかに言うと,こんな考え方が述べられている。つまり,自分とは遺伝という時間軸上と,環境という空間と時間軸上の存在であるから,自由意志と結びつく責任は時間と空間に拡散するということ。自分が他者にとっての環境であることなど,突っ込みたいところはあるけれど先に進む。

 

 * 最もなことだと思うが,だとすると少なくとも一部のBC級戦犯は上官の司令に基く行動で裁かれ死刑にされたわけだから,報復以外の意味がない残虐行為であったことになる。

 

 もう一つの論点は,自分の意志が行動を決めるという常識の否定。例えば人が手を上げる場合,常識的には次のように考える。

  手を上げる意志→手を上げろという信号→手が上がる

しかし,ベンジャミン・リベットの実験から,

  手を上げろという信号→ 手を上げる意志→手が上がる

となるらしい。信号が出てから200ミリ秒後に意志が生じ,更にその300ミリ秒後に手が上がる。「意志や意識は行為の出発点ではない」は認知科学の「常識」らしい**。意志が結果を生み出すのではなく,結果が意志を「遡及して」生みだすのだ,と。ここでも自由意志は存在していないことになる。

 

 ** 1983年に行われた実験の中身はわからないけど,恐らく脳波を見ているのだろう。理科系的には「全ての脳活動は脳波として検知できる」ことが証明されていないとこのような議論は成り立たないと思うが(「真の」意思決定は脳波で検知できない,とか),おそらくfMRIなど他の手段でも追試されているのでしょう。

 

 自由意志が存在しないとするなら,責任は生じないことになる。しかし,なぜ我々は「責任」ということばを欲するのだろう。著者は,責任とそのとり方が明確に規定されている犯罪を題材に論考を重ね,驚くべき結論を導く。

 

「自由だから責任が発生するのではない。逆に我々は責任者を見つけなければならないから,つまり事件のけじめをつける必要があるから,行為者を自由だと社会が宣言するのである。言い換えるならば自由は責任のための必要条件ではなく逆に,因果論的な発想で責任概念を定立する結果,論理的に要請される社会的虚構に他ならない」

 

 人間に自由(意志)など本当はないのだけれど,社会を安定化させるために責任()という存在が必要であり,そのために自由(意志)があるということにする,と言っているわけだ。責任者という生贄やスケープゴートは社会を安定させるために必要な装置であり,そのために自由(意志)が「発明」され,それが人間を価値付ける至高のものであるというストーリーまで創造したことになる。

 責任ということばが,自由意志の虚構性にまでつながるとは思っていなかったが,責任を追求するほどぼやけていく,そして当事者と思われる人が責任を否定することが多いように思われるのは,この虚構性を実証しているのかもしれない。

 

 本筋ではないので言及しなかったが,犯罪の捜査や取り調べについて興味深い話が多数出てくる。目撃者の証言が全くあてにならないとか。ビデオを使い犯人を見せておいて,のちに6枚の写真から目撃した犯人を選ばせると正答率は14.1%。当てずっぽうで選んだ場合の14.3%と変わらない(「この中にはいない」が選択肢にあるので,選択肢は7)