グリークラブアルバムの研究 各曲編  8. Der Jäger Abschied (狩人の別れ) | とのとののブログ

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8. Der Jäger Abschied (狩人の別れ)

作詩 アイヒエンドルフ

作曲 メンデルスゾーン

 

 メンデルスゾーンはリーダーターフェル,つまり卓(ターフェル)を囲んで飲んだり食べたり,そして合唱をする男声合唱団のために,たくさん曲を作った。ローレライのところで引用したように,ドイツ民族としての意識が勃興し始めた頃のことである。

 このメンデルスゾーンの曲はライプツィヒのリーダーターフェルに提供されたもので,184016日に完成し,元はホルンとバストロンボーンの伴奏が付いていた(下記譜例)。その後,作品506つの男声合唱曲集」に収録されたが,他の5曲が無伴奏だったためか,無伴奏で歌われることが多くなった。日本でも入手できるPETERS社の楽譜では伴奏も収録されているが,ad libitumと「お好みなら伴奏を付けても良いよ」という扱いになっている。Liederschatzには無伴奏で収録されている。

 

 作詩はアイヒェンドルフ。彼の名は,男声合唱的にはフーゴ・ヴォルフの「アイヒェンドルフの詩による6つの男声合唱曲」で知られている(この曲集はヴォルフが作った混声合唱曲をマックス・レーガーが男声用に編曲したもの)。ロマン主義の詩人で,ドイツでは「森と放浪の詩人」と呼ばれているおり,ヴォルフの他にシューマンなどが曲をつけている。

 

 「狩人の別れ」は邦訳がないので,狩人が何に対して別れを告げているのか分からない。そこでGoogle翻訳で英訳してみると(日本語訳は意味不明),まず森を主題とするロマンティックな詩である事がわかる。第1節の英訳を訳してみる(詩心がないのはご容赦下さい)

「誰がおまえを美しき森へと ここまでの高みに作り上げたのか 私はその者(Master)を讃えよう 私の声が続く限り さようなら さようなら,美しき森よ」

 つまり,「狩人の別れ」とは,「美しい森に対する別れ」である。森は中世において神秘的で無限の大自然を現す存在だったが,ここでの「狩人」は伝統的な動物や森と共生する自然の味方ではなく,近代の工業化や都市化のための兵士であり開拓者である,と解釈される。もちろん森に対するドイツ人の思いは伝統的に強く,そのためか1810年に書かれたこの詩は1837年まで公表されなかった。原詩は4つの節からなるが,曲では第3節がなく,第4節を3番の歌詞に当てている。

 

 さて,メンデルスゾーンの合唱曲は,明治時代の「合唱曲集」にも多く収録されている。男声合唱曲は1909年の「名曲新集」にWasserfartが「船路」として紹介され,のちに近藤朔風も訳詞をつけた。同曲集にはComitatも「霊泉」と,こちらは原詩と全く異なる歌詞が作歌され,収録された。この2曲は共に昭和初期の合唱競演会(コンクール)の課題曲に採用されたため,演奏の記録も多い。「狩人の別れ」も比較的多く歌われているので,合わせてまとめていく。

 この図は戦前の記録にみる,メンデルスゾーンの男声合唱曲の演奏頻度を示す。題名から見てこの曲に間違いないだろうと思うものをプロットしてある。メンデルスゾーンの曲とされているが題名からどの曲か同定しきれないものは「その他」にプロットした。Comitatの「霊泉」のように,全く違う歌詞と題名で歌われると楽譜がない限りお手上げである。なお,「野ばらの花」はメンデルスゾーンの作と確定していないが,ここでは戦前を中心に歌われた名曲として図にプロットした。

 曲名は初出の時のものを用いた。調査範囲での初出であるため,本邦初演かどうかははっきりしない。ちなみに,Beati Mortuiは「関西学院グリークラブ」の40年史・80年史で「1935(昭和10)に新月会が本邦初演した」とされているが,1929(昭和4)に同志社グリークラブが演奏しているので,残念ながらこの記述は正しくない。同志社の演奏も,本邦初演かどうかは分からないが,現時点の調査では最初の演奏である。

 

 このグラフからメンデルスゾーンの男声合唱曲が戦前から広く歌われていることが分かる。「船路」は1933(昭和8),「霊泉」はその翌年の合唱競演会の課題曲であるため,その年の演奏回数が多い。「狩人の別れ」は初出が1923(大正12)と比較的早くから歌われた。日本語訳の楽譜は少なくとも2種類あり,杉田健訳のものが「狩人の別れ」,飯田忠純訳のものが「猟兵の別れ」となっている。杉田健がどういう人かは分からないが,昭和初期の映画主題歌に訳詞を提供しているので,大正から昭和にかけての訳詞家のようである。飯田は既出で大塚淳編「男声四重唱曲集」の訳詞を担当した。以上から類推すると,各々の演奏に用いられた訳は次の通り。1923年頃に杉田の訳した楽譜がでたのかもしれない。

 

 

 戦前に7回の演奏記録を確認した。他の曲の演奏回数と合わせて下記に示す。多いのは課題曲になった2曲だが,「狩人の別れ」「トルコの乾杯の歌」「うたかたに寄せて」も人気である。「雲雀」は混声合唱曲だが男声で歌われた例も多い。

 

 

 以上でこの項は終わりだが,この機会にメンデルスゾーンの男声合唱曲()をリストアップしてみた。手元の楽譜・LPCD情報にネット情報も加えたもので,裏が取れていないものも含む。また,抜けもあるかもしれないので,あくまで参考レベル。GWのおまけとして。

 

 

(この項以上)