こんにちは。
ハイ・パイン・サンキュー!です。
いつもとなりのかがわさんをお読みくださり、ありがとうございます。
少し風が冷たいですが、連休らしい爽やかな初夏の天気になりました。
瀬戸芸の春会期が開幕し、青のフラッグが目につくかがわです。

2月くらいに見かけたときには、もうすぐだけど、まだまだ、なんて思っていましたが、結構あっという間に始まりますね。
地元の新聞も、毎回恒例の瀬戸芸版で、サンポートだと思いますが、青いガイドの写真が使われていました。
皆さんはもうガイド買われましたか?僕は昨日買いました。
ちょっと前に行った四国村や屋島も会場となり、作品やパフォーマンスが来るそうなので、また楽しみです。
連休前の開幕なので、たくさんの方が訪れて、瀬戸内の良さに触れてくれたらいいなあと思います。
さて、山陰の春の旅が終わり、次は桜を見た記事を書いておかなければなりません。
もう新緑がまぶしい時期なのに、桜なんて、と毎年思うのですが、来年になると、またアクセスがあるので、書いておきます。
今年はそんなにあちこちに行ったというわけではないけれど、今年は咲き始め、満開、散り際の桜をかがわで見ることができました。
今回は玉藻公園高松城跡にある桜の馬場で見た咲き始めの桜の様子です。
まだ3月だったので、少し肌寒さの残る夕方から夜にかけて訪ねてみました。
特に変わった内容ではないのですが、国の指定史跡「高松城跡」や玉藻公園、園内にある「桜の馬場」のライトアップの様子なんかに、もしご興味がありましたら、どうぞお読みください。

史跡高松城跡 玉藻公園桜の馬場
高松城跡・玉藻公園
今回の玉藻公園、高松城跡は、高松駅前にあるため、特に場所がわからないということもないのだろうけれど、一応地図を載せておきます。
高松市の玄関口高松駅と高松港の隣です。
僕は今回歩いて行きましたが、先日
松江城に行った際に駐車場がわからなくて困ったので、記しておきます。
黄色いところが駐車場になっていて、玉藻公園を利用される方のみ無料となるようです。
僕が行ったのは赤い線のライン、中央通りを行きました。
手前に「高松築港(たかまつちっこう)」という琴電の駅があって、その向こうに石垣が見えます。
ジュリアン・オピーの「銀行家、看護師、探偵、弁護士」という彫刻があります。
最初は違和感がありましたが、徐々に慣れてきました。
行った時間がもう日没に近い時間だったので、背中から夕陽が差します。
ちょうど夜桜のライトアップのため、無料開放をしていました。
本来はここから入園料(大人200円)が要ります。
知らなかったのですが、夜間には立ち入りを制限するエリアがあるようです。
高松城跡についての説明版がありました。
生駒親正(いこまちかまさ)によって築城され、生駒氏が4代54年続いた後、その後11代228年間は松平氏の居城であったとあります。
もう一つの呼び名「玉藻公園」ですが、はじめて見ると「なんで玉藻(たまも)?」と思いますね。
国の指定史跡。「玉藻」の呼び名は、万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因んで、このあたりの海が「玉藻の浦」と呼ばれていたことによるといわれています。
なるほど、かがわの辺りは昔「玉藻の甫」だったのですね。
高松城の別名が「玉藻城」であったり、町名で「玉藻町(たまもちょう)」があったり、高松市内の中学校の名前にもなっています。
玉藻、そう考えるとなかなか味わい深い呼び名です。
中に入って行くと、すぐにお堀が見えてきます。
何となくかがわさんたちはそれが当たり前のように思っているところがあるのかもしれませんが、海水のお堀は珍しいところです。
瀬戸内海の海水をお堀に引き込んだ城は日本三大水城として知られ、園内には国の重要文化財に指定されている艮櫓、月見櫓、水手御門、渡櫓、披雲閣があるほか、国の名勝に指定されている披雲閣の庭園があります。春は桜見物、植木市、秋は菊花展など多彩な催しも開催されています。
なるほど、日本三大水城として知られているのですね。
特に興味があるわけでもないのですが、泳法についての説明版もあって、確かに夏になると昔の泳法で泳ぎましたというニュースを見聞きします。
本当はこの奥の石垣が見えることに行ってもよかったのですが、以前に耳をすませば野外上映の際に行ったことがあるので、今回は行ったことのない月見櫓の方へ行ってみます。
月見櫓と鞘橋
入口から入ると、東側を向いていますが、そのまま正面に向かって進みます。
石垣が階段状になっているところがあり、そこから上に登ると月見櫓が見渡せるようになっていました。
ちょうど城壁の向こう側は広場になっていて、道を通る時にはよく見かけますが、中からこうして眺めるのははじめてでした。
月見櫓(着見櫓)と水手御門(みずてごもん)だそうです。
なるほど、ここの櫓は重要文化財に指定されているのですね。
日曜日には公開されているそうなのですが、僕は中には入ったことはありません。(そして、後日入ることに…)
内側(城側)から見た水手御門ですが、この門の向こう側が海だったのですね。
水城、そう考えると何となく格好良い感じです。
もう一つ渡櫓(わたりやぐら)というのがありまして、左右で石垣が違っています。
生駒氏から松平氏に引き継がれた歴史を物語るのだそうです。
確かに、はっきりとその境目がわかりますね。
もう太陽が沈みかけているので、少し足早に進みます。
18時を過ぎたので、天守のあった石垣の方へは立ち入りできなくなっていました。
行くことができたのは、ちょうど「鞘橋(さやばし)」のところまで。
天守に行くには、この鞘橋を渡るのみというのは、なかなか面白いところです。
天守のない高松城跡
まあ、もちろんかがわさんやお城が好きな方であればご存知だとは思いますが、史跡・高松城跡には「天守」がありません。
現在あるのは本丸天守台のみです。
僕が高松にはじめて来た時には、小さな建物がありましたが、改修工事をするため解体され、今は石垣のみがお堀の真ん中にあります。
周囲をぐるりと巡って見ていきます。
石垣とお堀の向こう側が桜の咲く「桜の馬場」なので、ぼんやりと明るく、桜の花の色に見えます。
お堀をのぞき込むと、黒い魚の影が見えました。きっとクロダイ、チヌなのでしょうね。
一時期は訪れる方も少なかった玉藻公園ですが、様々な工夫によってここ数年は来園者を増やしています。
外国からのお客さんもこの日は大勢見かけました。
天守についての説明がありました。
修復ができずに撤去されてしまったそうですが、あまり資料が残っていないので、復元も難しいのだそうです。
復元イメージを見ていると、確かに天守があった方が見栄えはするよな、と思う反面もうこのままでもよいのでは、という気にもなります。
いや、でもやっぱり今よりももう少し高い場所から、高松の街を見てみたい、という気もします。
自分たちが生きているうちに復元した高松城を見ることができるかどうか、そんな感じの事業ですね。
その先には「披雲閣」というお屋敷があって、こちらが藩主の住居だったそうです。
時折イベントを行っていて、中に入ることもできますが、この日は桜の馬場へ向かいます。
玄関前には丁寧に手入れされた盆栽と「葵の泉」がありました。
桜御門と桜の馬場
さて、いよいよ桜の馬場ですが、僕のルートから見るとその手前に桜御門と呼ばれる門がありました。(門の内側から見る感じ)
高松市は戦争の空襲時に焼け落ちたこの門を何とか修復したいと、今回の瀬戸芸に間に合うように整備事業を進めていました。
しかし、入札した業者が指名停止となるなど、なかなか前に進んでいないようです。
やはり復元できるものは、元の姿にした方が良いのだけれど、高松空襲で焼かれ、失われた建造物であるということは、しっかり残しておいたらよいと思います。
整備事業が進まないことで、逆に知名度が上がるという珍しい桜御門です。
門の向こうには、少し広い場所があって、ここが桜の名所、桜の馬場です。
満開まではもう少しという頃で、全体は7、8分咲き、木によっては満開という状況でした。
真ん中には無料でゴザの貸し出しがありまして、皆さん使われていました。
お城だから、ゴザが何となく似合いますね。
この日は少し気温も低く、風が冷たかったので、皆さん寒そうにしながらお花見をされていました。
一歩、また一歩と進むたびに辺りが暗くなっていきます。
最初は薄いピンク色の桜の色が目立ったのですが、そのうち灯りの色が目立つようになってきました。
もしかしたら、この次の週末の方が、多くの方がお花見を楽しまれたのかもしれません。
お酒を飲んでいる方もいましたが、そんなに騒いだり、大きな声を出したり、なんていうことはなくって、かがわさんらしく静かなお花見です。
子ども連れの方も少しいて、桜のまわりをくるくると走り回って遊んでいました。
ここに来るのも、そして桜の頃に来るのも初めてでしたが、全体的に何となく素朴な感じで、雰囲気はよかったです。
お近くに来られた際には、お立ち寄りください。
そして、この後しばらく来ないだろう、なんて思っていたら、また1か月後に行くことになりました。
それはまたの機会に書くことにします。
それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。