リスクをとる つづき | いきょくのまねーじゃーのブログ

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市立砺波総合病院の整形外科医です

 「目に見えるリスク」に人は慄く。前回書いたように、無視するリスクもある。無視した方が得るものが大きいリスクもある。リスクと得るものとのバランスによって「リスクをとる」

 

 とはいうものの、リスクの感じ方、得るものの価値、それは、個人によって大きく違う。人間は、感情の動物というが、感情は時に合理的ではない選択をする。逆の言い方をすれば、合理的な選択をしていると勘違いしなければ、生きていけないのが人間である。

 

 「新型コロナウイルス感染症は、怖い病気である。感染対策は重要である。だから、人と人との距離をとって、マスクは外してはいけない。面会は制限すべきである。検査を積極的にすべきである。」その通りである。しかし、そうすることで、生じる目に見えない(見えているが無視するのかも)リスクに気づかないのも人間だろう。

 

 新型コロナウイルス感染症は、検査ができるようになって、ある意味目に見えないウイルスが、目に見えるリスクになったのだろう。(検査に偽陽性、偽陰性があるリスクは無視している)書くまでもないが、目に見えなければ、リスクとは認識されない。その一つの現象が、都会に行くと多くの人が、マスクなどせずに満員電車に乗っている。

 

 「人と人よの接触機会が増えると感染が蔓延するリスクがある」というが、実際はそうではなさそうである。多くの人が気づいているのかもしれない。行動制限と感染者数は相関しないのである。「人の動きが増えるからまた感染が蔓延するリスクがある」、なんて言われてきたが、その予想はことごとく外れてばかりである。理論通りいかないリスク(不確実性)がある。

 

 考えてみれば、感染が蔓延するまでは、感染者の少ない地域があったかもしれない。しかし、今では感染者の割合は、どこも大差ない。砺波市では、近日中にチューリップフェアが開かれる。5万人足らずの市に30万人の人が訪れる。感染者が増えるリスクがあるという人がいる。そんなことが起きるのなら、今頃、新宿駅周辺は感染者で溢れているはず。ある意味詭弁に見える。5mlの生理食塩水に30mlの生理食塩水を混ぜると、濃度は変わらないのと一緒で、感染者の割合は変わりようがない。砺波市民の感染率は変わらない。これも詭弁に聞こえるリスクがあるが。

 

 検査をすれば、感染者を隔離できて、感染拡大を防げる。もっともらしいが、そうではないデータが既に示されている。以前にも書いたが、入院時の無作為の検査は、感染対策にならないのである。今週聴いたwebセミナーでも、日本でトップレベルの3人の先生全てが、入院時の検査はしないと言われていた。入院時検査の無意味さに気づかれたようだ。専門家さえも判断を誤るというリスクはあるのだが。

 

 「リスクをとる」のは、覚悟が必要である。リスクをとることを決めた人が、責任を負うから。しかし、「リスクを取らない」ことによる不利益を受けるのは、判断をした人ではないことがあるので、人は、リスクをとろうとしないのかもね。