毎日の眺めの中から -37ページ目

終戦の日



私の祖父母たちや 両親。 戦争の時代を生きてきた。


終戦の日 母は 隣組の手伝いをしに行っていたらしい。 その時 母は17歳。




天皇陛下のラジオを聞いても なんだかよくわからず 大人に聞いたら 日本が戦争に負けたんだ と教えられたという。



あ、そうなんだ くらいにしか思わなかったらしい。




まさか それからあんな辛い思いするなんてねぇ と、言う。



樺太のソ連侵攻だ。



豊原にいた母たち。




大きな家に住んでいたが、ソ連の将校が、住むようになり 一緒に暮らしたと言う。




とてもいい人たちだったから、良かったよ、軍から色んな食べ物もらったしね。

その中の一人が祖母に打ち明けた。 北海道は、我々のものになるから、帰らずにここにいろ と。




でもね、 と母



母さん、帰りたかったんだって。


小樽に帰りたい それだけだったと。



終戦から2年後 将校たちが 母たちが無事に北海道に渡れるように手を尽くしてくれたようで 家族で母たちは北海道に戻れた。




その時 祖母はもう、病魔に蝕まれていたのに。
小樽に戻ってから 食べるものも着るものも 何一つなかった。働いていた母と祖母

そして祖母は亡くなった。



母が言う




戦争なんてなんにもならない。 失うだけで 得るものなんかなんにもない!


これからも戦争になることだけは避けなきゃならない!




と。




私も 私の大切な孫が 戦争に駆り出されることなどないよう 願うばかりだ。




310万人の犠牲者を出したことを 決して忘れてはならない。




お盆



盆の入り。みなさんのところにも御先祖様が、還ってきておられます。



私の父も還ってきてるでしょう。なのに母は、本日ゴルフに行きましたㄟ( ・ө・ )ㄏ



今年86歳



どこも悪くない。私より元気です。


私の娘達が言います。


死因が、思いつかないと。



ボケてもいない。 体の悪いとこもない。持病もない。




私は、と言えば ガンだわ、心臓悪いわ、リウマチだわで、確実に母のほうが私より生きそうです。



でも、ありがたいです。 大抵、私たち位になったら、親の介護が義務みたいになりますよね。



元気でいてくれる母に感謝です。



元気過ぎて 私も娘もうちに帰ったら グッタリ疲れます。



父を忘れゴルフに興じてる母を見て たぶん父は苦笑いしてるでしょう。(*´ч ` *)


戻られている御先祖様と手を合わせながら語りましょうか




お早うございます




そろそろお盆ですね。 盂蘭盆会 お盆の正式名称です。 お釈迦様の弟子 目連尊者は、修業を積み 透視を身に付け

息子を立派にさせたい一心から道を誤り地獄に落ちて ウラバンナ(さサンスクリット語で逆さ吊

りの意味)になっている母の姿を見ます。


どうしたら母を救えるかをお釈迦様に聴いた目連尊者。

お釈迦様は、広く布施をして、功徳を積み供養なさい と説き その通りに布施をし、供物を施し功徳を積み 母を救いました。




日本では、今の自分があるのは、御先祖様のお陰 と感謝する先祖崇拝の心と合わさり 独自の形になりました。



推古天皇の時代から今に続く 素晴らしい風習ですね。



盆の入り。 還ってくるご先祖様をお迎えし 一緒に過ごしましょう。



きゅうりとなす

用意しましょう!