怪談サークル とうもろこしの会 -99ページ目

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元副会長からお前のせいで胃腸を壊したとなじられる。

玉川温泉の水を飲んだせいだと言うのが彼の主張。
確かにこの前、その場が面白くなるかもしれないと思って
「絶対に5倍以上に薄めて飲んでください。ていうかそもそも飲まない方がいいと思いますよ?」
と玉川温泉のスタッフに言われた当地の温泉水を、100%原液で飲ませた。
この水は玉川毒水とも言われ、硫酸を主成分とした超強酸性の鉱水である。
とにかく味だけを見ても、マズイことこの上ない。
ただ副会長のリアクションがイマイチで、その場も大して面白くもならず.
まったく飲ませ損だったよ。

僕も行きがかり上、ちょっとだけ舐めるフリをした。
本当にほんのちょっと。
すると驚くべきことに、翌朝には貯まっていた宿便がスッキリボン、と出たのである。
僕としては結果オーライで良かったのだが、舐めた程度でこの威力とは。
一口とはいえ、あんなものをちゃんと飲めばそれは胃も壊すだろう。
意地汚さは身を壊すという見本だ。

あと、その場では元副会長に言い忘れていたが
ウィキペディアにも書いてある通り
この温泉水は5倍に薄めたとしても、ストローで飲まなくてはならない。
歯のエナメル質をボロボロに溶かすからだ。
だから僕は歯につかないよう、細心の注意をはらったのだが……。
彼はどうやって飲んだのだろう?
次に会った時に前歯がやけに小さくなっていたとしたら
この鬱屈とした毎日の、ちょっとした明るいワンポイントになるのだけれど。

11/22

何度も失敗していたラー油作りに再挑戦する。

もう一度『鉄鍋のジャン!』を読み返してみる限り
僕の失敗した要因は二つあった。

1.鷹の爪と、生の青とうがらしを使っていたこと
確かに『鉄鍋のジャン!』の黄蘭青も、生と乾燥の青唐辛子を使ってラー油を作っていたが
やはりオーソドックスに辣粉(ラーフェン・粉唐辛子)から作るべきだったのだ。

2.なんの香りづけもしていなかった。
中華料理は油を味わうもの、と『鉄鍋のジャン!』の後書きにも書いてある通り
油を作るなら油にスパイスなどで香りをつけなくてはならないだろう。

そこでまず100均で一味唐辛子パックを買ってくる。
本来なら近所の新大久保でキムチ用辣粉(『鉄鍋のジャン!』でジャンが辛くないラー油を作っていた材料)
を買ってくればいいのだが、いかんせん貯金が底を尽きかけているので贅沢はできない。
あくまでも「市販品より安く作る」がコンセプトだからだ。
趣味として贅沢に作るのではなく、必要に迫られた節約、だということを忘れてはならない。

『鉄鍋のジャン!』とネットを参考にしてレシピを考える。


一味唐辛子の粉を、余ったネギの青い部分と生姜のカケラをもみ込んだ水40ccで混ぜる。
そこに黒ゴマを足す。

手についた唐辛子やネギ生姜は、冷蔵庫の塩漬け鶏ムネ肉をフキン代わりにして拭く。
こうすれば、貯蔵用の塩漬け鶏ムネ肉にも香りが染み込むって寸法だ。
出来る男にはムダがない。


さらにゴマ油1:サラダ油3くらいの比率で、そこそこ大量の油を熱する。
本来ならゴマ油オンリーが良いのだが、どうせ熱すれば風味は飛ぶのだから、高価なゴマ油を消費する訳にはいかない。
200度を超えたと目分量で見極めたら、①にぶっかける。
シュワシュワと泡立つ。
やった!
ついにちゃんとしたラー油作りっぽい感じ!
『鉄鍋のジャン!』で言うところの「完璧に出来た時に水蒸気が爆発するゲップ」は出なかったが
まあ作った分量が少なかったからということもあるだろう。


また少量のサラダ油を熱して、ネギの薄切りと花椒、丸のままの赤唐辛子を足す。
ハッカク、桂皮、陳皮なども入れたいのだが、家に無いので仕方ない。あくまで余り物だけで作るのよ。
ネギだけは早めに入れて焦がすが
他の材料は焦げる前の低温で火を止め、②に足す。
本当はザルなどで濾した方がいいのだが
長く漬けているうちに味がしみだすのを期待するのと
勿体ないから一緒に食べればいいじゃないという気持ちから
そのまま材料ごと投入してしまった。
非常に貧乏くさいが、言いかえれば台所の隅に残ったもので最善の結果を出す、出来る男の一工夫だ。

最後の香りづけに、ゴマ油を少量入れる。

なんにせよ、一味唐辛子105円、油と余り物を足しても100円ちょい。
多めに見ても合計250円ほどで、市販のラー油の3倍以上の量は作れた計算である。

出来あがった後にちょっと舐めてみたが、やはり今までで一番味は良いように思えた。
半分以上は「これくらいやったんだから少しは美味しくなれよ」というプラシーボなのだろうが。

そして最終段階、食卓で食べるコツとしては
『鉄鍋のジャン!』を読みながら、ほわわあああ~!という大谷日堂っぽい表情をすれば
暗示効果で美味しく味わうことが出来るのである。

11/21

相変わらずリアルな夢ばかり見る。
寝すぎて眠りが浅いからだろうか。
長い時間を眠りつつ、夢までリアルとなると
そのうち本当に現実と夢の境目が分からなくなってきやしないだろうか。
前にも書いたと思うが、こんな時によく見るのが、自分がいまだ高校に通っている夢である。
もう数年に渡って見続けているロングラン夢。
高校生に戻ったという訳ではなく、今の自分のまま高校に通っているのだ。
設定自体は荒唐無稽なのだが、日常描写は全く今の自分と変わらないので
夢の中で「これは夢だ」と気付く場合は一切ない。
ここ数日で判明したのだが、どうも僕が高校に通っている目的は
また新しく大学に通うためにやり直しているようなのだ。
大学受験ももう一度しなくてはならなかと思うと、気が重い。
それなら高校通わずに家で勉強して大学受験すればワンステップ省けるだろうがよ、ていうか大学院行けよ。
とは起きてから思うのだが、どうも夢の中ではそんな選択肢は無い設定のようだ。
「大学にさえ入れば中年以上の大人も沢山いるし、周りとの年齢差を気にしなくてすむ」
だから頑張ろうと思っている夢の自分がいじらしい。
もう数え切れないほど見ているこの夢だが
しかし肝心の夢での高校生活は一度も見かけたことがない。
どうも入学してからほとんど登校していないようで
それでまたなおさら高校に顔を出しにくくなっているのである。
夢の僕が送っているのは、焦燥と不安と先行きの暗さばかりのまさに地獄な日々。
目が覚めて、今の自分を確認した時
「今の俺はなんて素敵な毎日を送っているのだろう」
そう感謝してしまうほどだ。
現実は現実で、見る人が見れば悪夢っぽい生活でもあるのだが。
というか、あの悪夢を見ているから、今の自分の境遇にそれほど不満を感じないのだろうか。
なんか昔話であったな、そういうの。