主食はバナナです -13ページ目

主食はバナナです

副食はリンゴです

哲学入門 改版 (岩波新書 赤版 23)/三木 清

¥777
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哲学入門という本を読んだのですが,
結果から言うと入門というより門前払いをくらった気分です(笑)

難解な哲学用語を使っているわけではなく,文章の構造が複雑なわけでもないので,
上辺だけの難しさではなく本当にムズカシイ・・・

最近,明らかに自分には難しい本ばかりを選んでいるため,
高くて固い壁に向かって果敢に挑戦し,ぐちゃっと潰れる卵のような気分を繰り返しています.

あ,村上春樹の比喩を出したので思い出したのですが,
twitter経由で発見したこの村上春樹のインタビューがめっちゃ面白いです.
http://galliano.tumblr.com/post/1088578662

閑話休題・・・と思ったけど他に何か言うことあるかな?(笑)
とりあえず感じたのは,
日常で少し気の利いた精神論を語れば「○○は哲学的だね~」と言われますが,
本当の哲学ってすんげぇ奥が深いんだなぁってことですね.

せっかくだから,もうちょい哲学の本を読んでみよう.
よさげな哲学入門書を知っている人がいたら,ぜひ教えて下さい~
なんだか涼しくなりましたね.
そろそろ扇風機をしまっても大丈夫かな?とふと思いました.

まだしまうには少し早い気がします.
でも,僕の部屋の扇風機はものすごく邪魔な位置に置いてあるので,
早くしまいたいのです.
扇風機が無くなれば,結構スペースの有効活用ができます.

狭い部屋なので,家具のレイアウトを工夫することは大切なのです.

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さてさて,ちょっと思ったんですが,
扇風機という家具を取り除くことは,
裏を返せば扇風機くらいの大きさの「無」という家具を置くことですね.

家具のレイアウトを工夫するというのは,
単に机や棚などの家具の位置を決めるだけでなく,
「無」という家具の位置を決めることでもあります.

机や棚と違って「無」という家具の使用は難しいですね.
机や棚の使用方法や存在意義ははっきりしています.
勉強する場所であり,本を入れる場所であるわけです.
(まあ僕は勉強目的で机を使うことはめったにありませんが)

しかし,「無」という家具は,単独では使用方法や存在意義を持ちえません.
他の家具と組み合わせることによって,初めて存在意義が生まれ,
しかも使用方法は無限にあるわけです.


逆説的ですが,「無」があることが重要となる場合もあるわけですね.


最近そんな風に思ったのは八丈島に向かう船の上でした.
デッキに上って周りを眺めたんですが,
これがまた何にも無いんです.
(厳密に言えば海と空があるんですがね)
そして,これがまた無性に気持ちいい.

何でもある都会(換言すれば「無」だけが無い都会)に日ごろ住んでいると,
「無」の価値が見えてきます.

「有」を見るのは目ですが,
「無」を見るのは想像力です.

たまには「無」に思いを馳せるのも良いですね.


ちなみに,
「無」が「有る」ことが重要となる場合も「有る」のなら,
「無」が「有る」ことが重要では「無い」ということが「有る」ことが重要となる場合も「有る」んだろうか,って考えるのは単なる思考遊戯ですかねwww

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ちなみに,記事のカテゴリーに「真面目な雑感」「不真面目な雑感」があります.
これは元々「雑感」という一つのカテゴリーだったのですが,
初めてブログを見て下さった方が,真面目な話ばっかだとすぐ逃げるかと思ったので,
真面目と不真面目に分けたんです.

でも雑感って上手くカテゴライズできないから雑感なわけですよね.
しかも,「真面目」な内容を「不真面目」に書いた記事や,
「不真面目」な内容を「真面目」に書いた記事があるので,
ものすごくナンセンスな分類になってます.

どうすればいいんだろうなぁ.
と,こういう風に「雑感とは何ぞや」と考えたことについて書いたこの「雑感」は,
一体なんと名付ければ良いのだろう.
先日読んだグレート・ギャツビーの裏表紙に,

「ほろびゆくものの美しさ」

というフレーズがあった.
が,僕はこの言葉をあんまり好きじゃありません.

確かに桜も花火も散るから美しい.
「ほろびゆく美しさ」を描いた文学も読み物としてはいいかもしれない.

しかし,それらは一定の距離をとって客観的に鑑賞するから美しいのであって,
その距離を一気にゼロにして自分を重ね合わせてはいけないと思う.

醜くなる前に死にたいといって自殺した若い美少女も,
お国のために誇らしく死んでいった青年も,
全く美しくなんかない.

「人間失格」が映画になった時,
「堕ちてゆくほど美しい」という宣伝文句があった気がしますが,
美しいのは生田斗真の顔であって,
あの生き様が美しいから真似したいとは,原作を読んだ人は言わないでしょう.

本当に美しいのは,
例え醜くなっても,非国民と言われても,不誠実であっても,
泥臭く,力強く,必死に生きていく様ですよね.

かくいう僕も時々ふとこの世から消えたくなる時があります.
辛いことがあるとか,病んでるとかでは全く無いのですが,
(むしろ最後のモラトリアムを存分に満喫しているwww)
夜にボーっとしてるときとか,散歩して気持ちいいときとか,
ひょいっと何かを軽々飛び越えて,あっちの世界に行けたら,
「俺の人生すげー楽しかったな」と死んでから天国で一生思えるんだろうなぁ(おかしな表現だw),と思うことがあります.

だけど生きますよ.
社会の荒波に飲み込まれて,
今のような心をだんだん失っていって,
昔自分が軽蔑していたような類の大人に少しずつなっていっても,
生きますよ.
『生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。』

まあ,以上の内容は完全に坂口安吾の『堕落論』にインスパイアされてるんですがね(笑)

ちなみに僕は堕落論が大好きで,何度も繰り返し読みました.
時代背景が違いすぎて想像するしかないのですが,
戦時中に日本を包み込んでいた,崇高だが空疎な精神論ではなく,
『生きよ』と力強いメッセージを繰り返すあんごちゃんの言葉に,
丸の内線に乗りながら何度も泣かされそうになりました.


台風が夏の気配を根こそぎかっぱらっていったせいで,
少しセンチメンタルになっている夜の暇つぶし文章でしたとさ,ちゃんちゃん.
生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫)/シュレーディンガー

¥630
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シュレーディンガーの名著です.

シュレーディンガーと言えば量子力学ですね.
僕は大学一年の量子力学の授業を全てサボったできの悪い子なので,
今更シュレーディンガー直々の論文を読むというのは,
申し訳ないというか恥ずかしいというか,
「安西先生,バスケがしたいです」状態です.

さてさて,面白いな~思いながら読み進めていきましたけど,
途中から生物の話が始まり,だんだん内容についていけなくなり,
頭が痛くなってしまったので,
「諦めたらそこで試合終了だよ」という声が聞こえた気がしましたが,
諦めてそこで試合終了にしました.

ごめんなシュレーディンガー!


ちなみに本文より冒頭で引用されていた言葉の方が印象に残った.


自由な人間が,死ほどおろそかに考えるものはない.
自由人の叡智は,死ではなく生を考えるために在る.

スピノザ『倫理学』
グレート・ギャツビー (新潮文庫)/フィツジェラルド

¥500
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村上春樹が影響を受けた本として挙げているのが,

『カラマーゾフの兄弟』,
『グレート・ギャツビー』,
『ロング・グッドバイ』,

の三冊らしいですね,
この前カラマーゾフを読んだばかりだったので,
ついでにギャツビーを読んでみました.


感想・・・うむむ(笑)
読んでてもなかなか文章の内容やイメージが頭に入ってこない.
没頭できなくて物語と自分との間にものすごく距離を感じる.
でもこんな名作を「わけわからんかった!」っていうのは,
自分の読解力の無さをさらけ出すようなもんだしなぁ・・・
とか悶々しながら朝の5時に読み終わる.
訳者解説を読んだら,この作品の凄さが分かったので,
「ああやっぱり読解力が足りなかったわい」と悔しがる.

頭でっかちになりすぎて感性が貧困なんだろうなぁ.
詩的で美しい表現より,
「神とは何ぞや」と熱く語りまくるカラマーゾフの世界観の方が,
あってた気がするなぁ.


でも悔しいので,ほとぼり冷めたら村上春樹訳の方もいつか読んでみよっと
管制官「××便、こちら管制部、現在のそちらの高さと位置を報告せよ」
バカ機長「こちら××便。現在、高さ約1m75cm、位置は機長席です。どうぞ」

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「やったな。かわいい女の子だって?」

「ほら、見てみろ。なんてかわいらしいんだ。あの目、鼻、くちびる。ああ、笑った。
オレはあの子を一生守るぞ!あの子はオレのすべてだ!」

「どの赤ちゃんがきみの子だ?」

「赤ちゃん?オレは今、看護婦の話をしているんだ」

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朝食中、夫が広告を見て言った。
「見ろよこれ。タイヤの激安セールだって。ほしいな」
「何のためにタイヤなんか買うのよ!車なんてないのに、バッカみたい」
夫はムッとした顔で、

「お前がブラジャー買うのに俺が文句言ったことがあるか?」

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小学校に婦警さんがやってきて、防犯指導を行なった。
「いいですか。たとえばみんなのパパが電車に乗っているとき、
ポケットに手を入れて、有り金を全部奪う人がいたとします。この人はいったい何者でしょう?」
男の子がはりきって手を上げ、言った。


「ママです!」

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女というのは、少し強がって「私一人で大丈夫よ」と言う。

男というのは、女が「私一人で大丈夫よ」と言うと、彼女を一人にしてあげる。

女というのは、「私一人で大丈夫よ」と言い、男が彼女を一人にしてあげたら、「あんた最低!」と怒る。


(注:これすげー分かる!www)

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書店で客が尋ねた。

「“男が女を支配する方法”という本はどこにあるかね?」

「はい、そちらの『ファンタジー』のコーナーにございます」

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ボブは母が毛皮のコートを着るのを見ながら言った。

「かわいそうに。母さんが着るそのコートのおかげで、その動物はひどく苦しい思いをしただろうなぁ」

「黙りなさい!お父さんをそんなふうに言うことは許しません」

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「どうだい、最近彼女と上手くいっているのかい?」

「ああ、もちろん上手くいっているよ。でも、彼女があまり前の彼氏のことを話さないでくれたら、と思うんだ」

「そんなこと気にするなよ!ボクの彼女なんか、いつも次の彼氏のことを話しているぜ」

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「ウェイター、このチキンは何だ、骨と皮しかついてないじゃないか!」
「申し訳ございません、今すぐ羽根をお持ちいたします」

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人生で成功するためには二つの大きな法則がある。
まず一つ目は、大切なことを全て人に話さないこと。

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出展:http://kuroneko22.cool.ne.jp/joke.htm
泣くな
泣かないでくれ

お前が泣くのを聞かなくとも
私はお前の存在を知っている


泣くな
泣かないでくれ

お前が泣くのを聞かなくとも
私はお前のいのちを感じている


泣くな
泣かないでくれ

お前のいのちは儚かったが
私の心の中でお前はずっと生き続けるだろう


泣くな
泣かないでくれ

お前のいのちが終わっても
新しい季節が巡ってくるのだ


だから


鳴くな
鳴かないでくれ


このセミ野郎がー!!!
お前らが鳴き始めると夜更かししてしまった罪悪感に苛まれるんじゃボケェー!!!
無限と連続―現代数学の展望 (岩波新書 青版 96)/遠山 啓

¥735
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数学の本です.
無限についての話から始まり,集合論,群論,トポロジー,位相空間,射影幾何学と進んでいきます.

とはいっても難解な本ではありません.

この本の紹介文に,

「音符が読めなくても優れた音楽鑑賞家になれるように,
 数学を『鑑賞する』ための本といえよう」

と書いてありましたが,まさにその通りでした.

数式がほとんど出てきません.
その代わりものすごく抽象的な話が続き,
「数」学というよりは哲学を読んでる気分になりました.

そういえば昔,数学科の先輩に,

「バナッハ空間って何ですか?そんな空間,どこにあるんですか?」

と聞いたら,

「僕らの心の中にあるんだよ」

とジョークを言ってたのを思い出しました(笑)

それはともかく,こういう「鑑賞する」ための本を義務教育の早い段階で読めば,
数学嫌いが減るんですかねぇ.

中学・高校数学って「何だかよく分からないけど面白い」っていう鑑賞の態度とは真逆で,
「何だかよく分かって実用できる」ことを強要しますもんね.

クラシック音楽を全く聴かずに,音楽理論や音楽史を必死に覚えさせるのと一緒ですよね.

と,数学を得意でも好きでもないのに偉そうに言ってみる.
SF的なことを書いてみます.

生涯の伴侶を勝手に決めてくれるシステムがあったら,どうでしょう.
つまり,日本国民全員の個人データ(顔,性格,社会的地位,年収,寿命・・・ともかく全て)が中央コンピュータみたいなので管理されていて,
最適な結婚相手を算出してくれる.
そして,それは絶対に最適解であるため「普通に結婚相手を探すより絶対に幸せになる」.

そうなると,恋のロマンスみたいなものは無くなるかもです.
粉雪の歌詞のような「それでも一億人から君を見つけたよ~根拠は無いけど~」ってのは無くなって,
根拠を基にして一億人から「君」を見つけてくれるわけですね.
ただし繰り返しますが「普通に結婚相手を探すより絶対に幸せになる」.

まあ有り得ない話ですが,もし遠い未来でこのようなことが技術的に可能になるとしたら・・・
このシステムを採用すべきかどうか.
(身を固める前に遊びまくりたいからヤダっていうチャラい意見は無しにしますw)

---

もう少し話を広げると,星新一のとあるショートショートの世界になります.

どんなストーリーかと言いますと,
国民は生まれてすぐイヤホンをつけられ,
そのイヤホンを通じて賢いコンピュータから常に「最適な人生を送るため」の指示を受けるのです.

どんな学校に行き,どんな職業に就き,どんな余暇を過ごし,
どんな結婚相手を見つけ,いつどんな風に死ぬのか.

たとえ好きな人ができても,イヤホンから,
「その人と一緒になってはいけません」
と言われたら,
「計算間違いをしないコンピュータがそう言うんなら仕方が無い」
と諦めます.

最初は反抗していた人々もコンピュータの正しさを徐々に認めていき,
最終的には「はい」としか言わない人間になる.

そして死ぬタイミングや方法が指示され,最後に人々が,
「なんて最高な人生だったんだ!」
と叫びながら死んでいくところで物語は終わります.

この話を聞いて,
「こんな世界やだね.やっぱり人間らしく生きなきゃね」
と無条件に言うのは,いささか優等生過ぎる意見でしょう.

ここで全く逆の例を考えて見ましょう.

何かの本で読んだのですが,すごく昔の大学生(きっと大の文学好き)が,
「人生は不可解なり」という遺書を残して自殺した.

この事件を「文学特有の雰囲気に酔って格好つけただけだ」と一蹴するのは簡単です.
しかし,この大学生は本当に人生のあらゆる謎が気になって仕方が無く,
考えまいとしてもどうしても考えてしまい,
考えすぎるあまり生きていけなくなった,のかもしれません.

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完全な思考停止に関しては「もっと自分の考えを持とうよ」と言い,
生きていけないほどの「考えすぎ」には「そんなどうでもいいこと考えるなよ」と言う.
大半の人はそうアドバイスするでしょう.

しかし,じゃあ両極端が駄目だとして,
その間のどの辺りが最も「正しい生き方」なのかという程度問題に答えることは非常に難しい.

実際,僕らは必ずある程度の思考停止状態に陥っています.
日本の政治の未来や,世界平和や,環境問題や,
人はなぜ生きるのかという哲学的な問題などを,
全て死ぬほど考え始めたら,のほほんとは生きていけないわけです.

無限に続く思考のスパイラルの中を進んでいっても,
ある地点で「まあここまででいいか」と言ってブレーキを踏んでいる.

そもそも全く進みださなかった人や,たまたまブレーキを踏むのが遅くなった人を,
笑うことはできません.

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話を元に戻しますが,
結婚相手や人生を最適化してくれるシステム,個人的には「あり」だなと思います.

本気で何かを考えるっていうのは,楽しい時もあるけど,基本的にものすごく辛い.
それに反して思考停止は楽です.
コンピュータが人生の最適解を教えてくれるなんて,最高じゃないですか.

だから,遠い未来にテクノロジーがアホみたいに発達したら,上のようなシステムをぜひ導入してほしい.
99%はそう思っています.

しかし,人間が完全に「考えない葦」になれるプラチナチケットを手に入れたときに,
考えうる最大限の幸せを目の前にした,まさにその瞬間に,
チケットを勇敢に破り捨て,再び孤独の荒野で「考えながら」生きることを選択する,
そんな奇跡が起きないかなぁ,と1%だけ期待しています.
謎とき『カラマーゾフの兄弟』 (新潮選書)/江川 卓

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これは文句なしに面白い!
「カラマーゾフの兄弟」の解説本です.

この物語を本当に理解するためには,
ロシア語,キリスト教,ロシアの文化・歴史,その他様々な知識が必要なのですね.

何の予備知識も持たずに読むと,
長くて難解で「無理ゲー」だとしか思えないカラマーゾフですが,
この本を読んでちょっと理解が深まり好きになれました.

この本が主張する内容の,
どこまでがドストエフスキーの計算どおりで,
どこからが単なる深読みやこじつけなのかは分かりませんが,
もし全てが計算尽くされているとしたら,
ドストエフスキーは化け物というか大天才というかもはや変態としか思えないし,
「カラマーゾフの兄弟」が世界文学の最高峰と称されるのも納得です.

またいつかこの偉大な物語の世界へ戻ってくる日が来るかもしれません.
その時はきっとまた新しい発見や興奮が待っているのでしょう.
カラマーゾフ万歳!