主食はバナナです -14ページ目

主食はバナナです

副食はリンゴです

そういえば,私事だけれどもmixiをやめることにした.

正確に言うと,ロックバンドがよく言う「無期限の活動停止」というか,
もっと正確に言うと,マリリンモンローの映画に出てくる男が,
禁煙をするっていってタバコを高い棚の上に放り投げて手が届かないようにしたけど,
実際はちょっと頑張れば手が届いてタバコを吸える,みたいなあの距離感.

パスワードをぐちゃぐちゃに設定したので,ログインできないようになったんだけど,
再設定すればログインできるっていう距離感.

僕はマイミクのほぼ全員(はこちゃん以外?)よりmixiが好きだった自信があるのですが,
まぁ色々思うところがあって,酔っ払った勢いも利用して,
禁ミクしてtwitterとブログへ移行しようと思い立ちました.
と書いてしまえば本当にmixi中毒から解放されるのではという期待.

このブログを読んでくれている人の中にマイミクが何人いるのかわかりませんが.
以上,つまらない私事.

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ロックバンドといえば,最近youtubeで昔はまったバンドの曲を聴いてます.
ルナシーとかイエモンとかエックスとかね.
ルナシーなんかは全曲聴いたし(無駄に)バンドスコア持ってましたからね.
この頃は「音楽?チャイコのヴァイオリンコンチェルト聴きながらジムのランニングマシンで走ってたよ」と気取っている僕ですが,
昔は主にJ-POPを聴きまくっていました.

いわゆる昔のV系を見ると「あんな時代もあったなぁ」と思ってしまいます.
将来の中高生が見たら「何あれ,ださい」と思うんだろうなぁ.
俺らが聖子ちゃんカットやさだまさしを馬鹿にしてたみたいに.

でも,飲み会で話したり,カラオケに行った時に感じるのですが,
同年代で通用する共通語が存在するって幸せですね.

中高生っていう多感な時期を,
同じようなものを見たり,聞いたり,読んだり,感じたりしながら育った.

各人が大切にする宝物を見せ合いながら,
「俺もそれ好きだった!」みたいな話ができるのは,この上なく幸せですね.

懐古主義だっていいじゃない.
うちの親父は,息子が昭和の文化を馬鹿にしたときに,
懐古主義を「愛すべき愚かさ」と呼んだ.

僕の中にも「愛すべき愚かさ」がたくさん芽生えていて,
今後もすくすくと成長していくんだろうなぁと思った.

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手を振った君がなんか 大人になってしまうんだ
さようなら きっと好きだった
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)/マックス ヴェーバー

¥903
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ものすごく有名な本ですね.
本の表紙にどんな内容かが書かれています.

営利の追求を敵視するピューリタニズムの経済倫理が実は近代資本主義の生誕に大きく貢献したのだという歴史の逆説を究明した画期的な論考.

ってな感じです.
具体的な論旨を以下書いていきます(ちなみにウィキペディア参照w)


カルヴァニズムの影響が強い国々では合理主義や資本主義が発達したが,
ルター主義の影響が強い国々では資本主義化が立ち遅れた.
これは偶然ではなく資本主義の「精神」とカルヴァニズムとの間に何らかの因果関係があるはずだ.
ちなみに資本主義の「精神」とは,単なる拝金主義や利益の追求ではなく,
合理的な経営・経済活動を支える精神だ.

カルヴァニズムでは禁欲的労働に励むことで社会に貢献するよう人々を促す.
また呪術が禁止され,合理的な精神が育てられるようになった.

このような職務遂行の精神や合理主義が近代的・合理的な資本主義の「精神」に適合していた.
禁欲的労働によって蓄えられた金は,禁欲であるから浪費されることなく,
目先の貪欲は抑制され,再び営利追求のために使われる.

このような行動が,合理的産業経営を土台とする,
歴史的に全く新しい資本主義の社会的機構をだんだん構築していった.
しかし,それがしっかりと出来上がってしまうと,
儲けなければ経営を続けられないようになる.
つまり,資本主義の社会機構が逆に世俗的禁欲を外側から強制するようになる.
こうなると,信仰による内面的な力はもういらない.
そのため,信仰が徐々に薄れていき,営利追求自体が自己目的化し,
「内からの動機」であった営利追求が「外圧的動機」へと変貌していった.


そんな感じです.
書いてて漢字の密度の高さに頭痛くなってきた(笑)


論文の妥当性の判断は僕には無理ですが,とても興味深い内容だったなぁと思います.

資本主義と聞くと拝金主義やあくどい利潤追求を連想してしまうこともあります.
しかし,近代合理的資本主義を作り上げたのは単なる金儲け主義とは正反対な,
禁欲的で合理的な行動様式なのですね.

そういえば論文の最後の方に面白い比喩があります.

禁欲的プロテスタンティズムから派生した資本主義の精神は,
資本主義という「鋼鉄の檻」を作り上げた.
この「鋼鉄の檻」は非常に強力なものになり,
逃れ得ない力を人間の上に振るうようになった.
今日では禁欲の精神が檻から抜け出してしまい,
精神を失った行動様式だけが亡霊のように残存するようにいたった.
営利の最も自由なアメリカでは,営利活動は宗教的・倫理的な意味を取り去られて,
今では純粋な競争の感情に結びつく傾向があり,その結果,
スポーツの性格をおびることさえ稀ではない.
将来この鉄の檻の中に住むものは誰なのか.
きっと「精神のない専門人,心情のない享楽人」がのさばることになるだろう.

なかなか素晴らしい表現ではありませんか.

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ここまでは単なる本文の内容の紹介ですねwww
ここからは自分の言葉で書きます.

「本来の精神が失われスポーツとなってしまう」

というくだりを読んだとき,去年行った就職活動をふと思い出しました.

就職活動ではみんなが最善の努力を尽くします.
就活生は自分がどんな仕事をしたいかを考え,その上で一番行きたい企業から内定を貰いたい.
企業は自分の会社で活躍してくれそうな人材がほしい.
その仲介役となる企業が様々なイベントやウェブサイトや就職活動に役立つ本を用意してくれる.

しかし,就職活動という「仕組み」が出来上がってしまうと,
就職活動がゲーム的性質を帯びてしまう気がする.

暗黙のルールや,ノウハウや,コツといったものが存在し,
それらをいかにかき集めるかという「情報戦」が始まる.

つまり,みんなが良かれと思って構築したシステムである鉄の檻が,
就職活動の本質以外の部分で就活生を圧迫する.
そしてシステムの完成度が高まれば高まるほど
その鉄の檻の外へ抜け出る選択肢が見えづらくなる.

ここまでの文章は勢いで書いた仮説であって,個人の感想だし,説得力の無い文章だし,
これ以上続けるなら「では就職活動の本質とは」という問いに答える必要があるし,
考えがまとまっているわけでもないので中断www


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宗教が関連する本を立て続けに読んだので,宗教について考えさせられた.

日本人は信仰を持たない,と言われると思いますが,
程度や質の差はあれ,宗教的性質を帯びるものは日常の至る所に存在しています.

神社のお祈りでも,縁結びでも,パワースポットでも,
時々有名になるスピリチュアルな有名人でも,
もっと言えば自己啓発本でもカリスマ経営者でも,
何でもいいのですが,
自分には到底達し得ないような高みから発せられる,
「こうすることが正しい道なのです.こうすれば幸せになります」
という言葉を人々は切実に聞きたがっていると思います.
もちろん僕もそうです.信仰できる対象を必死に探しています.

特に,単なる古臭い道徳論ではなく,
この現代社会で栄光を勝ち取っていくための,
具体的な知恵や指針のようなものを欲しています.
書店に溢れる自己啓発本やtwitter上でびゅんびゅん飛び交う格言めいたツウィートが,
その傾向の証拠ではないかと思います.

しかし,宗教に関連した本を読むと,何かを盲目的に信じるって怖いな,とも思います.
ブラウン管の向こう側の○○原理主義を「なんだか危ないなぁ」と感じてはいるが,
自分の足元から小奇麗な顔をした○○原理主義が忍び寄ってくるのに気付いていないのかもしれない.

やっぱり読書っていいですね.
自分の置かれている状況の相対化に役立ちます.

何だかだらだらと良く分からない文章を書いてしまいました.
読んでくれた方には感謝です.




専門じゃない本を背伸びしながら読み,
小難しいことを背伸びしながら書いているし(僕は背が小さい),
何より酒を飲みながら書いているので(笑),
誤った記述や異なる意見などがあればぜひコメントを下さい.
世の中にはスゴイ人が多いので,脱帽する機会が多いです.

しかし,僕はめったに帽子を被らないので,
脱帽したくても脱帽できない.
これでは敬意を表することができない.

だから脱帽という言葉は無くしてしまって,
別のものを脱ぐように変えたほうがいいんじゃないか,と思う.

帽子と違って常に身に着けているもの・・・服とかね.

敬意を表する動作が,脱帽じゃなくて脱服だったら,
僕はものすごく偉い人になれると思う.

死ぬほど勉強して,死ぬほど人間を磨いて,死ぬほど仕事をして,
ものすごく敬意を表されるような偉い人間に,いやエロい人間になると思う.

こんなニュースをテレビで見た。


人通りの多い駅で全裸の男が逮捕された。
動機を聞くと「同棲してた彼女に命令された」と答えた。
どうやら彼女を怒らせたらしく、
彼女が「辱めようと思い」全裸で外を歩くことを強要したらしい。


なんだか笑ってしまうようなニュースだったけど、
その後「女が強い時代になったんですかねぇ(笑)」という街頭インタビューが映し出され、
軽蔑と失笑の色を顔に滲ませたおっさんアナウンサーが、
「草食系男子も程ほどにして下さい」といった内容の言葉でニュースを締めくくったとき、
なんだか不快な気分になった。

ある特殊な事例を持ち出して、それを安易に一般化してしまう手法は、
ある集団の特性を論じる際(例 最近の若者は○○だ)にしばしば見られる。
(というこの文章自体も安易な一般化なのだが)

本気で何かを主張したいのなら、個々の事例ではなく客観的な統計量を基にしてほしい。
特にマスコミ関係の人々にそう言いたい。

マスコミの影響力は強い(将来は知らないが、すくなくとも現時点では)。
例えばの話だが、マスコミが「草食系男子」というイメージを創出したとき、
確かに個々に見れば「草食系男子」に合致するような集団も存在していたが、
統計量としては昔とそれ程変わらなかったかもしれない。

しかしそれでも、「草食系男子」というステレオタイプの浸透によって、
「ちょっと草食系男子っぽい感じ」という「草食系男子予備軍」とも言うべき人々が、
イメージに先行される形で「草食系男子」という型にはまっていき、
結果として世の中に沢山の「草食系男子」が生まれるという、
倒錯した因果関係が生じかねない。

世の中は膨大な情報であふれている。
情報の選択や報道の切り口は恣意的にならざるを得ない。

しかし、その事実を隠蔽し、
あたかも「私たちの報道は公正中立なのです」といった顔でニュースを読むアナウンサーを見ると(例え可愛くても)反感を抱いてしまう。

前にも少し書いたけど、インターネットが情報の多様性を示した。
絶対に正しい情報源など存在しない、と教えてくれた。
重要なのは様々な観点からの情報を「主体的に」獲得し、
何が正しいかを「自分」の頭で判断していく不断の努力なんだろうなぁ、きっと。

だんだん安っぽい自己啓発本みたいな内容になってきたなぁ。
カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)/ドストエフスキー

¥860
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なんとか読みきりました!
なげーよまじで(笑)

検事と弁護人の論告の箇所があまりにも冗長だった(と思う)ので、
そこだけは少しすっ飛ばしながら読みました。

読み終わった後、名付けられない強い感情が自分の心に芽生えたのを感じました。
特に最後アリョーシャが少年達に向かって演説をするシーンなんかは、
わけもわからずジーンときました。

小難しいことは分かりませんし、うまいレビューも書けませんが、
読んで良かったな、と思います。
考えがまとまったら、いつかレビューをちゃんと書こうかな。

カラマーゾフ万歳!
僕の頭の中には小人が住んでいる。

小人はいつもだいたい眠っている。
もしくはせいぜいゴロゴロしながらお菓子を食べつつテレビを見ている。

しかし時々、小人は踊りだす。

そのまま放っておくと、小人は踊るのを止めてしまう。
だが、踊りだした小人を頭の中から強制的に引きずり出し文字へと変身させると、
小人はもはや僕から独立した存在になり、自らの意思で踊りを続ける。

あまりに踊りが酷い場合は、見ていられなくなって踊るのを止めさせてしまう。
そんな時は小人と僕で一緒に肩をすくめる。

時には僕も想像していなかったような上手い踊りを見せてくれる。
時には全身で深い悲しみを表現し涙を誘う。
時には滑稽な動きで笑わせてくれる。

僕は小人の成長を温かく見守る観客なのだ。

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ブログを書くことは完全に自己満足だ。
こんな自慰行為を不特定多数に公開するなんて、
公然わいせつ罪も甚だしい、と思うこともある。

しかし、最近書くことが楽しすぎる。
誰かに読んで貰いたいとか、何かを伝えたいとかじゃなく、
純粋に書くこと自体が楽しくて仕方無いのだ。
心が本当に活き活きとするのは、入力時よりも出力時なのかな、と思う。

本を読むだけでなく、文章を書きたい。
映画を観るだけでなく、映画を撮りたい。
音楽を聴くだけでなく、歌いたい。
講義を受けるだけでなく、研究をしたい。
他人の人生を擬似体験するだけでなく、自分の人生を生きたい。

そして今日も思考は踊る。
カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)/ドストエフスキー

¥820
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中まで読みました。
ここまでで既に1200ページくらい。
長すぎるwww

こんな巨大な世界を文字のみで構築するなんて、
作者の精神世界の深さに脱帽ですね。。。

ずっと神だの愛だのがテーマでしたが、
だんだん推理小説の色合いが濃くなってきました。

一回読んだはずなのにストーリーを全く覚えていないため、
ドキドキしながら読めます(笑)

果たしてドミートリイは無実なのか。
結末が楽しみです。
普段はテレビをあまり見ないのですが、暇だったのでつけてみたら、
ゆずが出て歌ってた!!!感激!!!

昔大ファンだったんですよね。
毎日ギターを弾きながら歌っていた時代が懐かしい。
ギターを担いで集まって、みんなで弾いたり歌ったりしてた日々が懐かしい。

ゆずは相変わらず輝いていた。
あんな風になりたいと思っていたけど、
こんな風になってしまったwww

夢だったミュージシャンには程遠い道を歩んでいますが、
あの頃の気持ちは全然無くなってないなぁ、
と『夏色』を聞きながら思ったとさ。
ちょっと目から汗が出たぜ(笑)

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休日でみんなもゴロゴロしてるのに
君はずいぶん忙しい顔してるね
そうだいつかのあの場所へ行こう


この長い長い下り坂を君を自転車の後ろに乗せて
ブレーキいっぱい握りしめてゆっくりゆっくり下ってく

ゆっくりゆっくり下ってく
ゆっくりゆっくり下ってく
全てが刻一刻と変化していく。

生まれた頃の自分、今の自分、老人になった自分、死んだ後の自分。
細胞レベルで見れば、全て違う『自分』だ。
その事実を『自分は不変である』という思い込みが覆い隠し、
『社会的な自分』という優しい嘘が、無数に存在する『自分』を貫く。

人は往々にして不変を望む。
しかし、変化こそが物事の本質なのだ。

僕はmixiのニックネームをコロコロ変える。
「そんなに変えたら誰か分からない」と言われる。
だが、ニックネームを愚直に変え続けることで、
「名前をすぐ変えるのがあいつ」という『メタ』ニックネームを手に入れた。

多くの人は単一のニックネームに固執する。
その一語で自分の性質を表現しようとする。
しかし、僕は違う。
ニックネームという表層を絶えず取り替えることで、
自己表現の奥深くに存在する『不変』の性質を勝ち取ろうとしているのだ。
換言すれば、名前の非連続性によって自己の連続性をあぶり出そうとしている。

だから名前をすぐ変えても怒らないでね。



とmixiに書こうとしてヒヨった酔っ払いなう。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)/ドストエフスキー

¥860
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久しぶりにカラマーゾフを再読。
一回目よりはるかに面白く感じました。

登場人物がみんな変人すぎるwww
その中で唯一輝く聖人の様な三男アリョーシャ。
恐らくドストエフスキーが理想の人間として描いていますね。

やっぱりアリョーシャが一番人気なんだろうか???
僕は間に挟まれ次男のイワンが一番好きなんですが。
知的でリアリストでニヒルで無神論者。
そんなイワンが大活躍するのが一巻の最後の(かの有名な)『大審問官』という章。

『人間は自分を奴隷にしてくれる主人を必死に探している』
『みんなそろってひれ伏すことのできる相手を必死に探している』
『人間に自由など要らない。自由を与えたのはお前の罪だ』

と言って、蘇ったキリストをひたすら責める大審問官。
キリスト教の知識が無いため全てを理解できないのですが、
神へ真っ向勝負をしかけていくイワン(とその背後にいる作者)の迫力に圧倒されながら、
一気に上巻を読みきりました。

このまま飽きずに読み続けられるか不安だなぁ~がんばろっと