主食はバナナです

主食はバナナです

副食はリンゴです

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本を読むときはたいてい疲れているか酔っ払っているので、
小難しい本よりも、気楽に読める本を読もうと思い、
詩集を何冊か買ってきた。

詩は苦手意識があって、あんまり読んだことがなかったので、
すごく新鮮。

まずはランボー、ボードレールあたり。
最初に新潮文庫で買ったのだけれど、
ランボーの「地獄の季節」は小林秀雄訳が岩波文庫にあったので、
そちらも購入。

外国語の詩を日本語で読むことに、意味があるのかは分からないけれど、
小林秀雄の訳なら読む価値がありそうな気がする。

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以前なにかの本で読んで、ずっと気になっていた一節が、
ランボーの詩だったと知った。

また見つかった、
何が、永遠が、
海と溶け合う太陽が。


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先週末は東京へ行き、
大学時代の友人に会ったり、
日本フィルのコンサートへ行ったり、
高校時代の友人に会ったりした。

やっぱり人生にはユーモアと音楽と気の合う友人と酒が必要。
楽しかった。

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すごい些細なことなんだけど「死ぬまでにしたいこと」のうちの一つを昨日かなえてきた。
5年前にバイトしていた赤坂のホテルのレストランに行くこと。
5年間という月日の重みを感じつつ。懐かしみつつ。苦笑いしつつ。

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友達の家に泊めてもらう予定だったが、
ドタキャンをくらったので、
しかたなく新宿のホテルに泊まった。

新宿プリンスホテル、25階、ツインに、男一人、25歳。

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ランボーが永遠と呼んだ、海と溶け合う太陽とは大違いで、
新宿の夜景は、溶け合っていない。
ビルは確固とした輪郭を持っていて、夜とも溶け合っていない。
人は、人と溶け合わないし、欲望とも溶け合わない。
寂しくはないのだろうか。

でも、そんな街で、永遠に近いものをはっきりと見つけた気がする。


また見つかった。
何が、永遠が、
・・・・・・

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それにしても、むかし好きだった人というのは、
いつになっても好きなんだなあ。
笑っちゃうけど(笑)
なかなか手が出せなかったカントの「純粋理性批判」を読んでいる。
光文社古典新訳文庫だけあって、日本語訳自体に不自然さは感じない。
しかし、それでも難しい。

アプリオリな総合判断。超越論的な感性論。

用語だけ並べると難解だが、文章を丁寧に追いかければ、
全く理解できない、というわけではなさそう。

しかし、抽象的な議論に頭が置いてけぼりをくらい、
かなり遅いペースで一巻の半分ぐらいを読み終えた。

文字の意味が頭に全く入って来なくてボーっとしていると、
本の内容とは全く別なことを考え出す。

抽象的でなんとなく深遠な言葉たちに誘起されて、
普段とは違った場所へと思考が飛び立っていく。

結局はカントが論ずる形而上学的な話題ではなくて、
自分自身の人生の具体的な問題について考えた時間であった。
それで良かったのかもしれない。
もう他人の主張を有難がって貪り読むだけで許されるような歳じゃない。

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村上春樹と小澤征爾の対談を読んだ。
人よりも猛烈に好きなものがあって、
しかもそれを仕事にできるってことは、本当に幸せなことなのだろう。
そんな風に感じた。

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ネガティブな感情は理想と現実のギャップから生まれる。

現実を簡単に変えられなければ、理想を捨てれば良い。
そうすればネガティブな感情は抱かない。

理想が捨てられないなら、
現実を変えるまでネガティブな感情を抱えて生きるのも悪くない。

理想と現実がぴったりと一致することだけが素晴らしいのではない。
しかし、理想が高いことが素晴らしいのでもない。
別になんだっていい。好きにすれば良い。

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昨日と今日でワインを飲んだ。
食卓にワインが普通に出てくるような家庭を築きたい。

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マスメディアが描く世界は自分には合わない。
俗世離れしつつあるのは承知の上だが、自分自身の世界を築きたい。
そんくらいの権利は、誰にだってある。
サンタクロースを信じるような純粋な心はとうの昔に失ってしまったが、
サンタクロースには今でもよく出会う。

会社からの帰り道、サンタ姿の女の子に笑顔で話しかけられる。
いわゆるガールズバーというやつだ。

サンタクロース姿の女の子を信じるような純粋な心も既に失っている。

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先輩に薦められたクリスティーネ・シェーファーというソプラノ歌手が歌う
シューベルトの歌曲集を聴いている。

美しい。

ソプラノの歌声の美しさが持つ若さ、輝かしさ、麗しさといったイメージの裏側には、
常に儚さが張り付いている。

美しいけれど儚い。
儚いからこそ美しい。
ソプラノの歌声に限らず、美しいものの多くは儚い。

ダイヤモンドやあらゆる芸術品のように、
儚くなくて美しいものには驚くような値段が付けられるのも頷ける。

「ダイヤモンドは永遠の輝き」というが、
もし女性の美しさが永遠だったら、
永遠に輝くダイヤモンドの価値なんて大したこと無くなるだろう。

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意志と表象としての世界。
第14節では科学についての考察がなされている。

『証明というものはしょせん推論であるから、
一つの新しい真理のために求めるべき最初のものは、
証明ではなしに、直接の明証である。』

『建物が空中に浮かんでいるわけにはいかないように、
どんな証明も土台としてさいごには直観的なものにさかのぼる、
すなわちもはや証明のきかない直観の世界に基づいていて、
ここに根を下ろしているからである。』

読んでいて、証明や推論というものは既に前提に含まれているものを単に取り出す作業に過ぎない、
といった内容の話を思い出した。

例えば『AならばB』『BならばC』という二つの前提からは、
『AならばC』が導かれる。
しかし、『AならばC』と語ることは、何か特別新しい事実を語っているのではなく、
(当たり前なのだが)既に前提に含まれていることを取り出して言い直しているに過ぎない。

世界は僕らが思っているよりも、ずっと豊かで、様々なものを包含している。
世界という前提に含まれている内容を、もっと沢山取り出して語り直すことは、
簡単そうに見えて、なかなか実践することができない。
無から有を生むことほど難しいことじゃないように思えるのだけれども。
大阪に来てから最初の冬になる。
去年までの冬とは異なり部屋の中が暖かい。

六年間ずっとぼろい寮に住んでいたことを思うと、
ずいぶん生活水準が上がったなあと感じる。
上がったところで、すぐに慣れてしまうものだけれど。

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久しぶりに友人と再会しお酒を飲みながら語り続けると、
昔より口下手になった自分に気づく。
昔よりも人と話す時間が減ったからだろう。

もともと一人の時間が好きだから、
人と話す時間が減ったこと自体は構わない。

しかし、いざ自分の考えていることを言葉にしようとしたときに、
うまく纏まらないのには困ってしまう。

言葉をちゃんと纏められるように、日ごろからもっと文章を書いておこうと思う。

仕事をしたり、本を読んだり、映画を観たりして、
抱いたもやっとした感情をそのままにしては、
ちょっと勿体無いんじゃないか?と思いはじめてきた。

自分の言葉は、本の中にも映画の中にも無い。
他人の言葉で生活を埋め尽くされることに慣れてしまったら、
自分の言葉は出なくなってしまうのではないか。

ふと頭に浮かんだ言葉・考え・イメージは、いつかは死んでしまう。

日々死んでいく抽象的なものたちの一部をすくってあげて、
自分の外に出してあげて、命を吹き込んであげる。
きっとガラクタばかりだろうけど、
少しぐらい価値のあるものが出てくるかもしれない。

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ショーペンハウアーの「意思と表象としての世界」を読んでいる。
世界はわたしの表象である、という有名な一文から始まる。
とても面白い。
世界の仕組みを厳密に説明しようと試みている。
その試みが成功しているのか、はたまた成功などあり得るのか、自分には分からないが。
この非常に抽象的な議論を潜り抜けることができれば、
以前よりも世界が整然と見えるようになっている、のかもしれない。

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久しぶりにと文章を書いたせいか、やけに時間がかかった。
しかも、もっとちゃんとした文章を書くつもりだったのに、駄文になってしまった。
仕方無いか。また気が向いたら書こう。
「新しい本や映画や音楽に出会ったら必ずレビューを書く」
というルールで書いていたブログですが、
最近の放置っぷりが半端ないですね。

大量にCDを買ったり借りたりしているのですが、
論文執筆が忙しくてレビューするだけの心の余裕がないです。

その代わりtwitterはかなりやってますので、
宜しかったらフォローしてください(笑)

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一応、忘れないように最近借りたor聴いたCDを簡単に記録。

・「マーラー交響曲第9番」シャイー×RCO
   RCOの音色、好きかも。バーンスタインとRCOのマラ9のCDがそろそろ届くはず

・「ブラームス交響曲集」カラヤン×BPO
   最近買ったCD。こればっか聴いてます。ブラームス初心者なので1,4あたりから。

・「シベリウス交響曲4、6番」カラヤン×BPO
   4番をちょっと聴いて心が折れたwそれ以来聴いてない・・・

・「モーツアルト29番/悲愴」カラヤン×BPO
   来日コンサート。カラヤンの最後の悲愴らしい。気迫がヤバイ。

・「ストラヴィンスキー プルチネルラ/ 悲愴」ヴァント×北ドイツ放送交響楽団
   一回も聴いてないw

・「ベートーベン ピアノ協奏曲4番と運命」フルトヴェングラー×ローマ・RAIオーケストラ
   これがかの有名なフルトヴェングラーか!

・「ショタ5/ミヤコフスキー15」ムラヴィンスキー×レニグラ
   このコンビのショスタコを聴いても良さがイマイチ分からない・・・

・「悲愴」バーンスタイン×イスラエルフィルハーモニー
   おそっ!w

・「チャイコ4,5,6」カラヤン×BPO
   特に4,5番が華麗で素晴らしいですね。

・「マラ9」カラヤン×BPO
   ライブ盤です。高かったけれど買ってよかった


レビューというか完全に単なるメモ(笑)
まあ、どうせ大したレビュー書けないからいいけどね!
チャイコフスキー:1812年/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

¥1,223
Amazon.co.jp

カラヤン×BPOのチャイコ。
これはやばい!

まず1812年。
冒頭のドンコサック合唱団が神がかっている。
化け物。低音が人間じゃない。
曲全体のテンポ感もすごく好き。
大砲の音をミキシングしている箇所で、
若干オケの音が遠のいているのはすこし気になったけれど。
(別にいいのかな?)

スラブ行進曲もいい。
激しく熱い演奏、というよりはエレガントでキラキラしている印象。

残り2曲はこれからちゃんと聴きます(笑)

テンションをあげたいときには最高のCDかも。
劇場でノルウェイの森を観てきました。

僕は熱心な村上春樹ファンではありませんが、
一応原作は二回読みました。
でも内容はあんまり覚えていません。
という、非常に中途半端な観客として観に行きました(笑)

周りの友人は「とにかく眠い」という感想が多かった。
でも僕は大して眠くなりませんでした。
あれぐらいのテンションの映画をよく観るので、
耐性があったのかもしれませんw

内容は・・・そんなに悪くない。
もちろん原作と比較すれば「あのシーンがカットされるなんて!」と
思ってしまう箇所も多々ありますが、
原作とは切り離して一本の映画として観たとしたら、
まあまあなんじゃなかろうか。

雰囲気とか、喋り方とか、間のとりかたとか、不安定なカメラワークとか、
普通の映画には無い味があると思います。

しかし・・・これだけは言いたい。
直子がすごく微妙。
役者のせいなのか、演出のせいなのか。
直子の存在にひたすら違和感を覚えた。

直子が感情的になって騒ぎ出すと、
なんだか興ざめしてしまう。

直子の演技自体が気に入らなかっただけではない。
映画の中で一番微妙だと思ったのは、直子が死んだあたり。

いかにも不安を煽るようなBGMになり、
「やべ、なんか来るかも」と思っていたら急にグロイ生足が写る。
そして、いかにも悲しそうなドラマチックなBGMの中、
いかにも悲しそうな波の激しい海岸で、
よだれを垂らしながら号泣するワタナベ。

とても安っぽい演出。
こりゃ微妙だわい。
世界観をぶち壊された気分になった。

原作だと、直子が死んだときってこんなだっけ?
激しく感情的な悲しみじゃなくて、
胸にぽっかり穴が開いたような喪失感が作品を覆っていた気がするのだけど。

あと直子の心の病も薄っぺらく感じたなぁ。
ひたすら性的な悩みばかり語るから、
単に不感症で悩んでる人みたいな印象を与えそう。

ちょっと悪口が過ぎたみたいなので、
いいところもちゃんと書こうw

緑がすごく魅力的だった。
単に水原希子が可愛いってのもあるけれど、
笑ったときの表情とか、すごく好き。

緑がすげー美人でいい子だし、
最後もよりを戻しそうな感じに終わったから
暗めの作品に救いを与えてる気がした。

最後にすごく個人的な意見を言えば、
直子がらみの「欝っぽい話」を全てなくして、
同じような世界観で、同じような人物が出てきて、
わりとハッピーエンドで終わるような、
ちょっと変わった青春群像劇があったら、
ぜひとも観てみたい。

もちろんそれは「ノルウェイの森」とは全く別の次元の世界になると思うけれど。
あの魅力的な登場人物たちの幸せな顔を見てみたいなぁ、と少し思った。


この動画の30:50くらいからスラブ行進曲が流れるだけど、
この演奏の音源がどこかすごく気になる。
テンポ揺らしまくりで面白いのだけれど。

最近ちょくちょくこの動画をBGMにして作業しています。
テンションあがるー!
ただいまのBGM:戦争レクイエム
ただいまの酒:麦とホップ

元旦の深夜は朝まで生テレビを見ながら過ごした。
知識人たちが政治や経済のことを中心に熱く議論していたが、
僕は政治や経済のことがあまりよく分からない。
そんな中、僕が最も興味を持った議題は「若者の就職難」だ。

この議題が始まったとき、
スタジオに呼ばれていた若者の団体の代表が喋った。
(就職活動の形式を変えろとデモをしていた団体らしい)

この若者が就職活動に関する意見を熱く述べたのだが、
心なしか大人たちの反応が冷たい。

そのとき一人のパネリストが、

「僕らのときもバブルがはじけた直後で就職が大変だった。
 でもまあ、頑張っていれば必ず報われるから、
 とにかく頑張って下さい。
 それはそうと~」

という感じで、
若者の主張をあまり聞くことなく、
そもそも就職難の原因となっている不況をどうするかや、
就職活動のシステムの問題点や、
海外の就職事情との比較について論じ始めた。

僕はそのシーンを見たとき、
「個々人の事情よりも全体の利益を考えなければいけない」立場の人間と、
「たった一度の人生で不幸な境遇に巡り合ってしまった」立場の人間との、
格差と言うか、冷たい壁のようなものを感じた。

別に学生を冷たくあしらったパネリストを批判したいわけじゃない。
個々人の感情的な意見など、ましてや学生の青臭い意見など、
あの場では求められていないから。
パネリストの行動は正しい。

ただ、頭の良い論客達が、どれだけ有意義な議論をしたとしても、
(あの番組で実際に有意義な議論が行われていたかどうかは別としてね)、
生まれる時代が悪かった(つまりくじ運が悪かった)学生たちには全く関係が無いのだなぁ、
という事実が少し寂しかった。
マーラー:交響曲第5番/マーラー

¥1,800
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実家にいるときに衝動買い。
みんな大好きマーラー5番の名盤らしい。

今まで聴いてたやつより、
第一楽章がずっしりしてるイメージ。
このテンポ感イイネ!

好きな曲のCDばっかり買ってないで、
もっと開拓しなきゃなぁ・・・