サンタクロースを信じるような純粋な心はとうの昔に失ってしまったが、
サンタクロースには今でもよく出会う。
会社からの帰り道、サンタ姿の女の子に笑顔で話しかけられる。
いわゆるガールズバーというやつだ。
サンタクロース姿の女の子を信じるような純粋な心も既に失っている。
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先輩に薦められたクリスティーネ・シェーファーというソプラノ歌手が歌う
シューベルトの歌曲集を聴いている。
美しい。
ソプラノの歌声の美しさが持つ若さ、輝かしさ、麗しさといったイメージの裏側には、
常に儚さが張り付いている。
美しいけれど儚い。
儚いからこそ美しい。
ソプラノの歌声に限らず、美しいものの多くは儚い。
ダイヤモンドやあらゆる芸術品のように、
儚くなくて美しいものには驚くような値段が付けられるのも頷ける。
「ダイヤモンドは永遠の輝き」というが、
もし女性の美しさが永遠だったら、
永遠に輝くダイヤモンドの価値なんて大したこと無くなるだろう。
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意志と表象としての世界。
第14節では科学についての考察がなされている。
『証明というものはしょせん推論であるから、
一つの新しい真理のために求めるべき最初のものは、
証明ではなしに、直接の明証である。』
『建物が空中に浮かんでいるわけにはいかないように、
どんな証明も土台としてさいごには直観的なものにさかのぼる、
すなわちもはや証明のきかない直観の世界に基づいていて、
ここに根を下ろしているからである。』
読んでいて、証明や推論というものは既に前提に含まれているものを単に取り出す作業に過ぎない、
といった内容の話を思い出した。
例えば『AならばB』『BならばC』という二つの前提からは、
『AならばC』が導かれる。
しかし、『AならばC』と語ることは、何か特別新しい事実を語っているのではなく、
(当たり前なのだが)既に前提に含まれていることを取り出して言い直しているに過ぎない。
世界は僕らが思っているよりも、ずっと豊かで、様々なものを包含している。
世界という前提に含まれている内容を、もっと沢山取り出して語り直すことは、
簡単そうに見えて、なかなか実践することができない。
無から有を生むことほど難しいことじゃないように思えるのだけれども。