「タウンゼンド・ハリス―教育と外交にかけた生涯」を読んで | 元世界銀行エコノミスト 中丸友一郎 「Warm Heart & Cool Head」ランダム日誌

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中西道子著「タウンゼンド・ハリス- 教育と外交にかけた生涯」(有隣堂新書)を読んで、以下に簡単にまとめておきたいと思います。

 

というのも、米国初代日本公使であったタウンゼンド・ハリスは、幕末期に日本を訪れる直前までは、ニューヨーク市立大学の創設に貢献した最重要人物の一人であったことは、日本ではあまり知られていないと思うからです。

 

恥ずかしながら、筆者自身も最近気がついた次第です。

 

なお、ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンは世界的なエコノミストとして広く知られていますが、クルーグマンはハリスがかつて幕末前に創設に関与したニューヨーク市立大学の現職経済学部教授の一人です。

 

 

いずれにしても、タウンゼンド・ハリスは、アメリカ合衆国の教育者であり、外交官としても知られています。

 

彼はニューヨーク市教育委員会の委員長を務め、貧困層の子弟のための無月謝高等学校の設立に尽力しました。この学校は後にニューヨーク市立大学へと発展し、多くの人材を輩出しています。

 

教育への貢献だけでなく、ハリスは初の駐日総領事として来日し、日米修好通商条約の締結に向けて活動しました。彼の努力は、日本の開国という歴史的な出来事に大きく寄与し、日米間の友好関係の基礎を築くことになります。

 

ハリスの生涯は、教育と外交の両面で多大な影響を与えたことで記憶されており、彼の孤独な闘いと成功は、今日に至るまで多くの人々にインスピレーションを与えています12

 

彼の人間像は、一陶器商としての出発点から、ニューヨーク市民としての彼の活動、そして日本との関わりに至るまで、多面的に描かれています。彼の遺した教育への情熱と外交における開放的な姿勢は、現代においても価値ある教訓となっています。(なお、以上は、基本的にBingによるまとめです。)

 

 

いずれにしても、筆者が遺憾だと思うのは、日本ではハリス氏の以上のような日米両国における華々しい功績が、必ずしも正当に評価されていないのではと懸念するからです。

 

例えば、佐藤雅美氏による「大君の通貨 幕末「円ドル」戦争」(文春文庫)は、「徳川幕府の崩壊は、薩長の武力のみにあらず、もう一つの大きな要因は通貨の流出にあった」等と2003年頃に指摘して、新田次郎文学賞を受賞するなどかなり有名で人気の高い書籍です。

 

確かに同書が指摘するように、初めて世界経済の荒波に見舞われて、当時の閉鎖された国内経済では日本の金銀比率と(開放経済下にある)世界の金銀比率の間には3倍もの格差があり、幕末開国時に割安な金を買って、割高な銀を売ることによって、国内の金貨が国外に流出したことが幕末の300%~800%ものハイパーインフレにつながっていき、そのような国内物価の激しい高騰が幕府崩壊を加速したことは疑いないでしょう。

 

しかし、佐藤氏の「幕府の無知につけ込んで、一儲けを企む米外交官ハリス、駐日英国代表オールコックたちの姿を赤裸々に描く」等との主張は明らかに誤りだと言わざるを得ません。

 

ハリスらは、金本位制でも銀本位制でも、また金と銀の複本位制でさえも、金と銀の価値は世界の何処でも同じに評価されるべきであり、金銀いずれの通貨であっても、それらに含まれる金と銀の含有量は同質で等量でなければならない、つまり日本でも世界的な金と銀に対する一物一価を説いたに過ぎないはずだからです。

 

いずれにしても、タウンゼンド・ハリス氏の名誉は、「大君の通貨」等によって著しく不当に傷ついてしまっているのではと懸念します。

 

幕末に尊王攘夷思想が燃え盛る中で、公使ハリスの通訳だったオランダ系米国人ヒュースケンスなどは攘夷派の一人によって惨殺されてさえいるのです。そのように極めて危険な当時の幕末日本に、僅か数名で米国から乗り込んできて、徳川幕府と日米修好通商条約を締結して、その後の我が国の自由貿易体制の礎を築いた初代米国駐日公使ハリス氏に対して、日本国民は深く感謝することさえあれ、誹謗中傷すること等は決して許されないはずではないでしょうか?

 

最後に、以下は、紀伊国屋書店での同著の案内です。

ご参考まで。

 

内容説明

タウンゼンド・ハリスは、初の駐日総領事として来日する以前に、一陶器商でありながらニューヨーク市教育委員会委員長となり、貧困層の子弟のための無月謝高等学校の設立に心血を注いだ。広く門戸を開いたこの学校は、発展してニューヨーク市立大学となり、多くの人材を輩出してきた。本書は、アメリカの資料をもとに、教育にかけたハリスの活動の軌跡を初めて詳細に跡づけ、併せて日米修好通商条約の締結という第二の門戸開放に全力を傾けたハリスの孤独な闘いの経緯をたどり、一ニューヨーク市民としてのハリスの人間像を描き出そうとしたものである。

目次

 

ニューヨーク市立大学
ニューヨークとハリス家の来歴
ニューヨーク市教育委員会委員長タウンゼンド・ハリスの登場
フリー・アカデミー建設への道
ハリス・リポートの概要
新聞の反響
「正義」対「明白な事実」
草案が法令となる日
ハリス最後の投稿
投票日
フリー・アカデミー創立
門戸開放の日
第二の人生・第二の門戸開放への序曲
日本へ
下田着任
総領事としての活動開始
内外の情勢―1857年
総領事江戸へ向かう
江戸城のハリス
ハリスの門戸開放なる
横浜開港までの一年
江戸一番のVIPハリス
老大君の栄誉ある日々
日本への遺産
フリー・アカデミーとニューヨーク市の発展
同窓生の活躍
「シティ」はどこにいくのか