2024年5月マンスリー:「令和という国家」では、「物価上昇を超える利上げ」が先! | 元世界銀行エコノミスト 中丸友一郎 「Warm Heart & Cool Head」ランダム日誌

元世界銀行エコノミスト 中丸友一郎 「Warm Heart & Cool Head」ランダム日誌

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「国家の盛衰を決めるのは、政治経済体制が収奪的か包括的かの差にある」(アシモグルら)

「令和という国家」では、「物価上昇を超える賃上げ」よりも「物価上昇を超える利上げ」が先!

 

2024年5月21日(火)

 

①    Q1GDPのマイナス成長は日本経済のスタグフレーション入りを示唆

日本経済新聞社は2024年5月17日付朝刊で「消費回復へ賃上げの持続力高める改革を」との社説で、「長引く物価高が家計の節約志向を強め、景気の先行きを不透明にしている。内閣府が16日発表した2024年1〜3月期の実質国内総生産(GDP)は前期比の年率換算で2.0%減り、2四半期ぶりのマイナス成長となった。」と伝えました。

 

同社説はそのうえで、「とくに個人消費は前期比0.7%減と4四半期連続で減少した。消費回復には物価上昇を上回る勢いで賃金が増える必要があるが、最近の円安で実現が遅れそうな気配だ。消費動向を注視するとともに、賃上げの持続へ生産性を向上させる改革を急ぐ必要がある。」等と主張しました。

 

しかし、同社説は前期比でのマイナス成長こそ指摘はしましたが、日本経済が事実上の景気後退とインフレ共存というスタグフレーション化している本質を、必ずしも伝えていないように見えることは遺憾と言わざるをません。[1]

 

同社説は言及していませんが、2024年1~3月期GDP統計の中は、GDPデフレーターでみた付加価値ベースの物価上昇が。本年1~3月期に前年同期比で+3.6%も上昇して、政府・日銀の2%物価安定目標を大きく超え続けてきていることが記録されています。

 

さらに、2023年度全体では、我が国のGDPデフレーターが前年度比で+4.1%も上昇しており、日本経済のインフレ体質を浮き彫りにしてきているのです。この点を軽視する2024年1~3月期GDP報道は「木を見て森を見ず」とさえ、言わざるを得ないでしょう。

②   5%超えの消費税率が日本長期停滞の元凶

 

1~3月期GDP統計では、特に個人消費、設備投資、住宅投資から構成される全ての民間セクターの内需が、実質ベースで前期比縮小し、(民間内需が)総崩れとなりました。これとは対照的に、(外需も落ち込み、)政府消費と政府公共投資といういわば官需だけの拡大に止まってしまいました。

 

要するに、総需要がまるで、「官尊民卑」のように分断され、日本経済の歪(いびつ)な本当の姿を表現することに、同社説はお世辞にも成功しているとは言えません。

 

なお、個人消費は2014年4月の消費税率8%への恒久的引き上げ後に明らかに減少傾向に陥っており、このような消費の減少傾向が2019年10月におけるさらなる10%消費税率への恒久的引き上げによって一段と増幅されてきている事実が左下図で明らかです。

 

また、企業設備投資も、円安や輸出拡大等を背景に2013年以降のアベノミクスの下では比較的順調に推移してきていたはずでしたが、2019年の10月における消費税率10%への恒久的引き上げ後には、それ以前の2019年7~9月期のピーク水準をまだ一度も回復してきていないことも特筆すべきでしょう(右下図参照)。

 

 

いずれにしても、持続的経済成長に必須な双発エンジンであるはずの消費と(企業設備)投資の好循環への期待に反して、1~3月期に消費と投資が共に前期比で縮小し、消費と投資が逆に悪循環に2四半期ぶりに再度陥ってしまった事実を軽視することは賢明ではないでしょう。

 

さらに、この消費と投資の悪循環を、同社説のように、単に、認証不正問題等の一時的な要因に帰着させることも困難です。

 

 つまり、2014年4月以降、2019年10月に一段と増幅されてきていた累積10%の消費税率に加えて、2022年以降に2%をかなり上回ってきている高インフレ税というダブル・パンチによって、家計部門の実質可処分所得がかなり落ち込まざるをえず、その結果として個人消費が抑圧されて、そして回り回って企業設備投資も不振に陥るという消費と投資の悪循環こそが、日本経済の物価安定と持続的経済成長を阻んでいる真のメカニズムであるとみざるをえないのです(詳細は、2023年11月マンスリー「消費税撤廃と日銀利上げで消費と投資の好循環と日本復活を目指せ!」をご参照)。

 

したがって、すでに30年を失ってきて久しい日本経済の姿を目の当たりにして、最低賃金の引き上げやら、(パーテイー券のさらなる乱造に繋がりかねない)恣意的な産業政策やら、人材の適正な配分等を説き続ける日経社説は、政府・日銀の誤ったマクロ経済政策から読者の関心をそらしかねない欺瞞とさえ解釈されかねず、大変遺憾ながら、誤った処方箋と言わざるを得ません。[2]

 

③    物価上昇を超える賃上げよりも、物価上昇を超える利上げが先!

 

また、政府・日銀の主張をまるで鵜呑みにするかのように、「物価上昇を超える賃上げ」等とする同社説の主張に、そもそも客観的な正当性が存在するのでしょうか。

 

ご承知のように、日本経済では本年3月まで名目賃金上昇率が物価上昇率を下回り、実質賃金のかなりの前年比割れが過去24か月間も続いてきています。たとえ今年の春闘では一部大労組を中心に大幅賃金が見られたからといって、将来も持続的に実質賃金の上昇が見込めるという保証は、過去2年間の実績から見れば、ほとんど存在しないと言っても過言ではないでしょう。

 

むしろ、欧米経済学では、インフレ下では、物価上昇と賃上げの間の悪循環を懸念するのが普通です。なぜなら、物価上昇懸念が賃上げに繋がり、賃上げによる家計部門等でのさらなるインフレ期待(予想)が一段と高まること等を背景に、今度は企業がさらに賃金コスト等の上昇を予想して製品価格を引き上げることなどの負の連鎖が続くことで、インフレ上昇が累積的に加速して行くというメカニズム、すなわち、物価上昇と賃上げの間のインフレ・スパイラルを危惧するからに他なりません。

 

したがって、欧米では、インフレには、賃上げではなく、物価上昇を超える利上げを中央銀行にまず求めるのが常道です(ハーバード大学経済学部長グレゴリー・マンキュー氏による米国経済学部で最も人気のある教科書「マクロ経済学Ⅱ第5版応用編」(2024年1月刊 東洋経済新報社)の第4章「経済変動の動学モデル」ご参照)。

 

なお、マンキュー氏は同マクロ教科書の143頁において、「インフレを安定的に保つためには、中央銀行はインフレの上昇に対して、それを上回る名目利子率の上昇で対応しなければならない。この結論は、金融政策のデザインの重要性を強調したジョン・テイラーにちなんで、テイラー原理(Taylar principle)と呼ばれることがある。」と明確に主張しています。

 

実際、FRB、ECB並びにイングランド銀行などは、押しなべてインフレを超える利上げを実施済みであり、欧米では物価と通貨安定に一定の成果を収めつつあります。

 

一方、誠に遺憾ながら、日銀はG7の例外であり続けてきました。日本の中央銀行が、(通貨と)物価安定のためのテイラー原理を無視し続けてきていることは明らかです。

 

その結果、政府・日銀が物価と通貨の安定に失敗し続けてきていることは、もはや誰の目にも明らかです(詳しくは5月7日付の筆者「4月マンスリー:GW中の日本円変動率大爆発を解剖する:「市場の失敗」か「政府の失敗」か 悪魔は細部に宿る」をご参照)。

 

日米金利差拡大懸念を背景に、ドル・円レートが本年の昭和の日に当たる4月29日に160円台に急落し、我が国通貨当局が単独でのドル売り・円買いの(覆面ステレス)為替介入にその後2度も迫られたのは我々の記憶に新しいところです。

 

こうして、日本経済はいま通貨安とインフレ高進というインフレ・スパイラルの危機に直面していると見ざるを得ません。

 

日経社説は、日銀がマイナス金利を本年3月に解除したばかりとはいえ、政府・日銀にまず物価上昇を超える利上げを求めることこそが、我が国の物価や通貨の安定並びに持続的経済成長達成のための第一歩になることを、正々堂々と主張すべきだったのではないでしょうか。

 

もっとも、物価上昇を超える利上げだけでは、日本復活のための必要条件でしかないことも確かです。不可欠な大幅利上げに伴う景気後退等の副作用を和らげる日本復活のための十分条件もほぼ同時に提供してあげることも極めて重要です。

 

大幅円安、高インフレ、消費長期停滞、および少子化という日本経済の誠に厳しい4重苦から我が国が抜け出すためには、消費税撤廃を志向する消費税率5%への恒久的引き下げと、金利の正常化という財政と金融政策のポリシー・ミックスこそが核心となるでしょう。(詳しくは、2023年11月の筆者マンスリーご参照。)

 

④     ようこそNYダウ4万㌦!さようなら日経平均株価4万円!

ところで、同じく日本経済新聞社が5月19日付の朝刊で「ダウ4万ドルが映す企業の持続成長に学べ」と題した、今度はかなり説得的な社説を掲載しています。

 

同社説は、「米国の最も代表的な株価指数であるダウ工業株30種平均が17日、終値で4万ドルの大台に初めて乗せた。足元の上昇はインフレの鈍化や利下げ観測を背景にしたものだが、長い目で見れば米国企業の持続的な成長を反映している。」とし、その上で、「日経平均株価が約34年前の水準にようやく戻った日本に対して、同期間に株価が約15倍になった米株式市場のダイナミズムが示唆するものは大きい。経済の活力を取り戻すために、市場の力を使った日本企業の改革が一段と迫られていると受けとめたい。」等と、かなり説得的な論説を展開しました。

 

手前味噌になりますが、筆者も、2010年に上梓した「アメリカ株長期投資入門」(ダイヤモンド社)の副題で「2022年にNYダウは4万㌦へと上昇する」と主張していました。一年半ほどの遅れはあったものの、ダウ4万㌦突破は時間の問題ではありました。

 

今でも、筆者がアメリカ株投資は長期投資として推奨できるとする理由ですが、その主たる要因にはアメリカ経済の物価安定と持続的経済成長があり、またその核心にある、ベストとは言えないまでも、米マクロ経済政策への信頼感の存在にあります。

 

とはいえ、現在のアメリカ株はかなり割高であることも事実です。したがって、短期的にはかなりの調整も起こり得ることを、念のために付け加えておきましょう。

 

というのも、まず、米株式市場での恐怖指数とされるVIX指数が通常の20%から足元では11%台まで大幅低下してきており(5月19日時点)、金融市場の慢心度も高いと見ざるを得えないからです。

 

さらに、過去10年間の長期一株利益を基にしたシラーPE(株価利益倍率)は足元で約33倍もあり、過去50年間の平均値22倍をかなり上回ってきているため、米国株価の割高感は否めません。なお、シラーPEの過去最高値は約44倍であり、ITバブル崩壊直前の1999年12月に記録されています。

 

しかし、それでも、筆者は現在のアメリカ株はかなり割高ですが、バブルであるとは必ずしも考えていません。

 

というのも、一方でインフレを調整した実質ベースでの一株利益の高成長がAI企業等を中心に見込まれ、他方で割引率の実質金利水準は足元で約1~2%のプラス圏で維持されてきているためです。

 

これに対して、日経平均株価の4万円超えは明らかにバブルであると筆者は主張してきています。率直に申し上げて、これらの考えを今後も変える必要性を感じておりません。

 

なぜなら、一方で、日本の一株利益の成長率は、我が国の鉱工業生産出荷指数でみるかぎり、足元で2年度連続のマイナス成長(22年度に前年度比-0.1%のダウン、23年度に同-1.6%のダウン)となってきており、22年年度以降の大幅円安を背景とした見せかけの利益成長率拡大にすぎないと考えるからです。

 

他方、割引率の我が国の実質金利はマイナス2~3%とかなりのマイナス圏に沈んだままだからです。将来のいかなる正の配当や利益でさえも、負の割引率で現在価値に引き直してしまえば、理論株価は無限大にまで発散してしまうことになります。これでは日本株がいまバブルでないと主張するほうに、無理があるというものでしょう。

 

また、日本経済の物価安定と持続的成長は少しも担保されてきておりません。なぜなら、政府・日銀による財政・金融政策から成るマクロ経済政策が、既述のように、ほとんど信頼に足らないためです。

 

こうして、一方で、ダウ4万㌦は割高ですが、バブルであるとは必ずしも言えず[3]、他方で、日経平均株価の4万円は明らかにバブルだと主張せざるをえません。

 

⑤   令和という国家は、明治と昭和ではなく、むしろ大正に学べ

 

5月マンスリーの最後に、長期的な、「令和という国家」を考えてみたいと思います。

 

繰り返しますが、令和6年の今、我が国は、大幅円安、高インフレ、消費長期停滞、および少子化という日本経済の誠に厳しい4重苦に直面しています。

 

日本がこれらの戦後最大の政治・経済・金融危機から抜け出すためには、消費税撤廃を志向する消費税率5%への恒久的引き下げと、金利の正常化という財政と金融政策のポリシー・ミックスこそが核心となるでしょう。

 

令和という国家の命運は、これまでの世襲化・特権化する悪しき国家資本主義あるいは帝国資本主義とも言い得る政治経済体制から抜け出し、基本的人権に基づき、自由と民主主義を礎(いしずえ)として、家計と民間企業を主体とする自由闊達で競争的な市場経済と市場資本主義を確立できるかにかかっているでしょう。

 

したがって、「令和という国家」を大改造するぐらいの革命的な発想法がいま必要なのです。

 

 

ところで、「令和という国家」を考えるうえで、絶好の2冊の参考書を最近見つけて読了たばかりです。「明治という国家」「昭和という国家」に他なりません。「明治という国家」は1994年1月に、「昭和という国家」は1999年3月に共に日本放送出版協会から出版されています。

 

かつて国民的歴史小説作家として、一時一世を風靡した感があった司馬遼太郎氏による実に興味深くかなり面白い本です。なお、司馬遼太郎は既に1996年に亡くなっておられます。

 

筆者は、1980年代に「この国のかたち」や「坂の上の雲」等を読んで、司馬遼太郎氏の大ファンのひとりでした。しかし、今は必ずしもそうではありません。

 

いずれにしても、「明治という国家」も「昭和という国家」も、それぞれ登場人物の取り上げ方が実に興味深く、細部の描写が見事で、今でも実によく引き込まれます。

 

例えば、「明治という国家」の中の、最後のサムライとも呼ばれる小栗上野介の記述や、パークス英国公使による大阪造幣局開業式でのスピーチでの「「通貨は、純良でなければならぬ。もし他日、この純良さを失うようなことがあらば、国家の信用というようなものは、」と、グラスをあげて床にたたきつけ、「このようにこなごなになるのだ」」と、その傲慢不遜ぶりを記述したくだりは、実に印象的であり、その記憶はおそらく読者の心の中にいつまでも残り続けるのではないでしょうか。

 

しかし、このような本の細部に関する興味深い描写はともかくとして、本全体の流れがかなり恣意的・主観的であり、史実としての客観性に欠けるのではとの疑念も消えません。

 

そこで、司馬遼太郎氏の「昭和という国家」のなかにある、「小国主義」等も既に著しておられる歴史家の田中彰氏(故人)による「雑談「昭和」への道のことなど」(267~304頁)の一節を、以下で、ごく手短に紹介してみたいと思います。

 

田中氏によれば、「司馬さんの日本近現代史の見方と、私のそれとは必ずしも同じではない。それは明治維新から形成・確立された「明治という国家」のとらえ方の違いであろうし、大正期のもつ位置づけ(ことわっておくが、司馬さんには、大正期を本格的に描いた作品はないのだが)のちがいでもあるのだろう。」

 

「…私は伏流化した「未発の可能性」の歴史の流れに着目し、その「未発の可能性」の現実化した「小国主義」の日本国憲法に、来るべき二十一世紀の日本のあり方をみようとした。」

 

「明治維新以来、百三十年の歴史の結実としての「日本国憲法」が、「大国主義」を主張する人々によっていまや邪魔にされはじめている。

 

「それに対する危機感は、「この国のかたち」を論じ、憂国の至情を随所に吐露している司馬さんとは、おそらく共有できるはずである。」

 

ところで、戦争と平和、そして資本主義を考えるうえで、東大名誉教授の原朗氏による「日清・日露戦争をどう見るか 近代日本と朝鮮半島・中国」を筆者は2020年に既に必読の本として筆者のアメブロで推奨していた経緯があります。

 

筆者の近代日本史への関心の中核には、なぜ平成の時代は30年間の長期に亘って経済停滞を続けたのか、という根本的な疑問があったからでした。

 

そして、より重要なのは、我が国は令和の今後の時代に希望を見出すことができるのだろうかということでした。

 

むしろ、令和時代に日本は戦前に逆戻りすることで、ジリ貧からドカ貧に陥った先の大敗戦の過ちを再び繰り返さないかという懸念でもありました。

 

翻ってみれば、1945年以降の戦後昭和は、50年代の経済復興から、60年代の高度成長期を経て、70年代の2度の石油ショックを乗り越え、80年代には我が国こそが世界一の経済大国になるのではとさえ、米国からも、一時、称賛、羨望あるいは脅威の目で見られたことさえありました。

 

例えば、社会学者エズラ・ボーゲル氏(ハーバード大学教授)による1979年の著書「ジャパン・アズ・ナンバーワン」は、日本の高度経済成長の要因を分析し、日本的経営を高く評価したものでしたが、それは当時約70万部のベストセラーになるなど、同書タイトルが日本経済の正に黄金期を象徴的に表す言葉となった感さえありました。

 

その「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に先立つこと約10年前の1970年前後に産経新聞の夕刊で連載された司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」は、明治維新を成功させて近代国家として歩みだし、日露戦争勝利にいたるまでの勃興期の明治日本を描いた(フィクション)小説なのですが、「坂の上の雲」は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に優るとも劣らないほどの高い人気を博し、原朗氏もその「影響力は今でも根強く」無視できないとさえ強調しているほどです。

 

なかんずく、「坂の上の雲」の次のくだりはかなり有名です。

 

「維新後、日露戦争までという30余年は、文化史的にも精神史の上からでも、ながい日本歴史のなかで実に特異である。これほど楽観的な時代はない。」

 

「このながい物語は、その日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である。・・・楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼっていく坂の上の青い天にもしいちだの白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。」

 

恐らく、今でもこれらのくだりに、感動や感傷を禁じ得ない読者が、少なくないのではないでしょうか。他でもない筆者もかつてはその一人でした。

 

いずれにしても、司馬遼太郎氏は明るい明治と暗い昭和とを対比します。

 

これに対して、原朗氏は「明るい明治」⇒「暗い明治」⇒「明るい大正」⇒

「暗い昭和」⇒「明るい昭和」⇒「暗い平成」という推移を想定するのがむしろ自然だとします。

 

確かに、1926年に始まり、1989年で終わりましたが、63年間も続いた昭和は、戦前の暗い昭和と、1945年以降の明るい昭和で対照的に見えます。

 

だが、いずれの昭和も戦前のそれは大敗戦に終わり、戦後の昭和も明るいままで1989年に終わったかに見えましたが、昭和の負の遺産は次の平成の時代に積み残されたに過ぎませんでした。

 

1989年に平成に改元された途端、昭和末期に膨れ上がっていた株と不動産バブルが大きく弾けて、その後平成は長期停滞のまま30年間を経て2019年に幕を閉じました。

 

2024年という6年目の今年の令和は、コロナ禍が一応収束したと見られるとはいえ、平成のジリ貧から、令和のドカ貧の時代に入ってしまうのではないでしょうか。

 

そのような危惧を排除できないのではないでしょうか。

 

私事で誠に恐縮ですが、筆者が大学を卒業して就職したのが1978年、世界銀行に転職したのが1987年。

 

当時、日本人エコノミストの端くれとして世界経済に貢献してみたいとの小さな志を抱いた私は、(既に1981~1982年間のイエール大学院経済学部修士課程でのエコノミストとしての経験と知識はあっても、)戦後日本の経済発展には少なからぬ自負を持っていました。

 

日本こそが世界の覇権を奪うかのような「ジャパン・アズ・ナンバーワン」はともかくとして、「坂の上の雲」は日本人としての自負心や誇りをくすぐるような励みとさえ、昭和から平成に移行する状況の中で、筆者の心の中にも共感が確かに生れていたような遠い記憶をいまでも微かに思い起こします。

 

しかし、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と「坂の上の雲」は、ともに、1990年の平成バブル崩壊もあって、既に、木っ端みじんに砕け散ったと言わざるを得ないでしょう。

 

いつの間にか、長期停滞の平成が終わり、令和の新時代も、良く言って、先の見えない混迷が続いてきています。

 

筆者の近代日本への見方は、恐らく、原朗氏のそれよりも日本にある意味で厳しく、あるいは悲観的にならざるをえません。

 

司馬史観は、昭和は暗く、明治は明るいと主張します。

 

確かに、戦前昭和では、統帥権は天皇とそれを補筆する軍だけが許されました。

しかし、その統帥権は既に明治に大日本帝国憲法として生まれていたのです。

 

昭和が暗いとすれば、明治も暗いか、少なくとも明るいものではありますまい。

 

戦後日本の長期停滞はおそらく構造的な要因に根差しており、それは遺憾ながら戦前に優勢であった日本の自由と民主主義の欠如や、国家(帝国)資本主義の弊害からきているのではないでしょうか。

 

戦前の日本は、大正時代を唯一の例外として、明治も昭和もともに、皇国史観に基づく立憲君主主義の絶対王政であり、国際紛争の解決のためには戦争さえ厭わない大帝国主義、富国強兵のスローガンを唱える軍国主義に走ったことが先の大敗戦を招きました。

 

明治は令和とそれ以降の将来の日本のモデルには決してなれないでしょう。

 

なぜなら、それは戦後日本の自由と民主主義とはかけ離れており、自由で競争的な私企業が市場経済の中で切磋琢磨して自ずと優勢となるのではなく、政府が恣意的にあるいは裁量的に市場や資本主義を統制する戦前の国家(帝国)資本主義に他ならないためです。

 

司馬遼太郎氏の「明治という国家」と「昭和という国家」を最近興味深く読了した上での、以上のささやかな考察が、「令和という国家」を改めて考える上での一助になれば幸甚です。

 

 

中丸友一郎

元世界銀行エコノミスト

 

 


[1] 確かに、2023年10~12月期における実質GDPは、前期比でほぼゼロ成長であり同マイナス成長に陥った訳ではありません。2四半期連続の前期比でのマイナス成長というテクニカル的な意味での正確なリセッション(景気後退)入りしたとは必ずしも言えません。しかし、2023年7~9月期には既に前期比マイナス成長に陥っており、マイナス。0、マイナスという事実上の3四半期連続での景気後退に陥っているとみなすことも可能なのです。

 

[2] なお、1から3月期のマイナス経済成長が記録された5月16日(木)の翌日から、早々と、翌4~6月期はプラス予想等と主張する日経記事等に客観的な根拠があるのでしょうか。円安とインフレの悪循環も我が国では当面続くと見ざるを得ないでしょう。また、1~3月期に公共投資がかなり拡大したのは、誠に遺憾ながら、1月1日に不幸にも発生してしまった能登半島地震への復興需要が下支えしたと見られますL。政府消費の将来の拡大は、幸か不幸か、高齢化の中の医療費増大を背景に底堅いと見られるものの、震災直後の公共投資の拡大は流石に今後徐々に落ち着きを見せるとみる方が妥当なのではないでしょうか。確かに6月の所得減税の消費拡大効果はあるでしょうが、その程度はかなり限られ、しかも一時的効果に止まります。プラス成長予想を早々と掲げて見ても、円安、インフレ、長期消費停滞、少子化という日本経済の4重苦が続く限り、虚しく響くのは筆者だけではないのではないでしょうか。

 

[3] 米消費者物価、4月3.4%上昇 3カ月ぶり伸び鈍化

確かに、総合CPI、コアCPIが4月にともに前月比+0.3%上昇となり、市場予想をやや下回り、これらを受けて、4月CPIが公表された5月15日以降、米金融市場は一段と強気の姿勢が強まっているかに見えます。 もっとも、前月比+0.2%上昇で単純年率+2.4%であればともかく、4月コアCPIの前月比+0.3%上昇は単純年率では+3.6%であることを示唆し、4月CPIデータは2%に向けたインフレ減速を必ずしもより明確にしたわけではないことに留意が必要でしょう。