息子の退院がきまり、退院後の生活等についてU先生とNさんから説明をしていただいた。
目新しい情報は・・
①一生髪染めないで。
何がダメなのか聞いてみたら、薬剤を頭皮から経皮吸収し、その薬剤が肝臓によくないからNGとのこと。
ヘアカラー剤に含まれるジアミンや、ヘアマニキュアだったらタール系色素がダメなのかなぁ・・?。
ヘナカラーで染めたってきれいな色は出ないし、息子が白髪になったらナチュラルですね。
②小児で劇症肝炎になる人は日本で年間10人いるかいないか。
だから、未だによくわかっていないこともあるそうです。非常にレアなくじひいちゃったな(^^;)。
③劇症肝炎で生体肝移植をした人は、強い拒絶反応を起こす人が多い。
日本は生体肝移植が主流で、海外は脳死肝移植が主流。日本国内で劇症肝炎から肝移植になった人は異様に拒絶反応の強い人が多いとのこと。海外はそうでもないみたい。「劇症肝炎→生体肝移植=拒絶が強い」と断定されているわけではないが、海外と比較すると明らかに違うそう。もしかすると近親者との移植になにかあるのかも、、、とも最近言われているらしいが未解明。血縁だと相性が良さそうだと素人は考えちゃうんですけどね。再移植になると困るので早くこの点は解明されてほしいです。(息子も拒絶が強いタイプです。)
④わかっていないことも多いので、今後何があるかわからない。
多くはないが、再移植になる人も中にはいるので、そうなったときにまた助かる保証もない。だけど、そうなりそうになったらどうするか今回よりも考える時間の余裕はあるかもしれない。1人、以前再移植をして元気になったお友達もいるので、身近に感じてしまいます・・。
⑤血液型不適合の移植(ドナーB型→レシピエントO型)をしているので、レシピエントに今後黄色い輸血をする際はAB型をしてください。
輸血には赤・黄・白の血があり、黄色(血漿)を使うときは一生AB型をつかわなければいけないとのこです。でも黄色の輸血をするのは手術のときくらいだろう、とのことですが大事な情報です。
なぜ、そうなのかwebで調べてみましたが、簡単に説明ができないので私自身よくわかっていないです。血清がどうこう、ってことなのかな・・。(血液型について)
その他は、お薬や日常生活、外来、幼稚園に入学する時期になったら・・等のお話でした。
あと、レシピエントカードといって、何かあったとき
医療機関にレシピエントの大切な情報が簡単に記載できるカードをいただきました。
日本語面と英語面があり、クレジットカードと同サイズなのでお財布に入れられます。
ドレミファクラブ(成育で肝移植を受けた子どもの家族会)で作ってくださったようです。
細かいところまで気を配られているなと、つくづく関心してしまいまいした。
改めて、この病院にこれてよかったと思いました。
ありがとうございましたm(_ _)m
ICUから一般病棟に転棟できることになりました。
術後22日目です。
息子は術後1週間程度、とても元気だったのですが
その後だんだん熱が出始め、腹水でお腹がパンパンになり、ずっと頻脈で・・
1回目の拒絶反応が始まっていました。
ステロイドパルスと免疫抑制剤にセルセプトを追加して対応しました。
腸がむくんでいる状態でもあったので、
ミルクを鼻の管から入れて中止になっての繰り返しでした。
人工呼吸器は4月4日に外れて、その後は簡単な(!?)酸素マスクになりました。
一般病棟に上がる頃には酸素を送る鼻の下に付けるチューブに変わりました。
ああ、よくなってる、よかった。
転棟する際、よく担当してくださった看護師さんが、
夜勤だったのにAM11時頃まで待っていてくれ、息子にカワイイお手紙を作ってくれました。
私は感動して泣いてしまいました(ToT)
Tさん、今まで本当どうもありがとうございます(涙)
いつも小さなことでもいろいろ報告してくださったおかげで、
ずっと付き添えない中でも、一緒にいたかのような想像を出来たことが
私の心の支えでもありました。


一般病棟に転棟してからは、なぜか1歳のポーズ(!?)をずっとやっていました。
一般病棟のみなさま、これからよろしくお願いいたしますm(_ _)m
術後22日目です。
息子は術後1週間程度、とても元気だったのですが
その後だんだん熱が出始め、腹水でお腹がパンパンになり、ずっと頻脈で・・
1回目の拒絶反応が始まっていました。
ステロイドパルスと免疫抑制剤にセルセプトを追加して対応しました。
腸がむくんでいる状態でもあったので、
ミルクを鼻の管から入れて中止になっての繰り返しでした。
人工呼吸器は4月4日に外れて、その後は簡単な(!?)酸素マスクになりました。
一般病棟に上がる頃には酸素を送る鼻の下に付けるチューブに変わりました。
ああ、よくなってる、よかった。
転棟する際、よく担当してくださった看護師さんが、
夜勤だったのにAM11時頃まで待っていてくれ、息子にカワイイお手紙を作ってくれました。
私は感動して泣いてしまいました(ToT)
Tさん、今まで本当どうもありがとうございます(涙)
いつも小さなことでもいろいろ報告してくださったおかげで、
ずっと付き添えない中でも、一緒にいたかのような想像を出来たことが
私の心の支えでもありました。


一般病棟に転棟してからは、なぜか1歳のポーズ(!?)をずっとやっていました。
一般病棟のみなさま、これからよろしくお願いいたしますm(_ _)m
肝移植手術から9日後、私は退院できた。
お腹は相変わらずいたみ、背筋を伸ばして歩くことはまだできないが
特に合併症もなく、おそらく標準的な入院期間での退院である。
TVの音も気持ち悪くなってしばらくダメだったが、
術後6日後あたりから気持ち悪くならなくなった。
術後4日後に急に39℃台の熱が出始め、体のあちこちが痛くなったことがあったが
痛み止めを使ったところ、数時間後には熱も痛みも落ち着いて「さっきのは何だったんだろうね」で済ませられた事象は1度だけあった。
先生たちも1日何度か様子を見にきてくれ、
多少何かあっても大丈夫だろうなという安心感は入院中持っていた。
私が退院できたのはいいが、1つ気がかりなことがあった。
息子が私のことをすっかり忘れているのである。
ICUに車椅子ではじめて面会に行った日から毎日、
リハビリがてらICUに通ったが、
息子は私に対して常に
「あなた誰?」的な態度である。
ほとんど無視。
うそーーーーーー(´;ω;`)
主人には、とても愛想を振りまいていて
術後パパッ子に激変していた。信じられない...
術前の高アンモニア血症 のせい!?!?!?
先生に聞いてみたが、「違うから、大丈夫。すぐ思い出すよ!」とのことだった。
でででででででも...。あんなにママッ子だったのに(´;ω;`)大ショック。
仮に、私のことをずっと忘れたままでも、
キミが元気だったらそれでいいよと、このときは思っていた私でした。
お腹は相変わらずいたみ、背筋を伸ばして歩くことはまだできないが
特に合併症もなく、おそらく標準的な入院期間での退院である。
TVの音も気持ち悪くなってしばらくダメだったが、
術後6日後あたりから気持ち悪くならなくなった。
術後4日後に急に39℃台の熱が出始め、体のあちこちが痛くなったことがあったが
痛み止めを使ったところ、数時間後には熱も痛みも落ち着いて「さっきのは何だったんだろうね」で済ませられた事象は1度だけあった。
先生たちも1日何度か様子を見にきてくれ、
多少何かあっても大丈夫だろうなという安心感は入院中持っていた。
私が退院できたのはいいが、1つ気がかりなことがあった。
息子が私のことをすっかり忘れているのである。
ICUに車椅子ではじめて面会に行った日から毎日、
リハビリがてらICUに通ったが、
息子は私に対して常に
「あなた誰?」的な態度である。
ほとんど無視。
うそーーーーーー(´;ω;`)
主人には、とても愛想を振りまいていて
術後パパッ子に激変していた。信じられない...
術前の高アンモニア血症 のせい!?!?!?
先生に聞いてみたが、「違うから、大丈夫。すぐ思い出すよ!」とのことだった。
でででででででも...。あんなにママッ子だったのに(´;ω;`)大ショック。
仮に、私のことをずっと忘れたままでも、
キミが元気だったらそれでいいよと、このときは思っていた私でした。
オシッコと背中から入る麻酔の管がそれぞれ外れ、身軽になった。
身軽になったといっても、肋骨が痛くて正直動きたくなかった。
肋骨が痛いので最後の最後で、麻酔あとちょっと使いたい・・と思いながら管たちとバイバイした。
肋骨が痛いのは、術中に肋骨を器具で持ち上げるからこと。
お腹の傷跡を縦直線の10cm程度と最小限にしているので
術後は一定期間痛いかもしれないけど、ドナーにとっては傷跡が小さいほうがメリットが大きい。
(周りの肝臓ドナー友達(!?)の中で肋骨がしばらく痛かったのは私だけだった。)
術後はじめて自分でトイレに行ったときも大人げないがお腹が痛くて泣き叫んだ。
早い人では術後の翌日から歩けるらしいが、私はそんなの考えられる体調ではなかった。
※ドナーの術後の体調は個人差が大きいので、ドナーはみんなこうだと思わないでください。
私は普段運動もしていなかったので筋肉や体力が少なかったからだと思います。
移植手術後、5日後に私ははじめてICUにいる息子のもとへ向かった。
なんとか車椅子に乗り、私が入院する病棟の看護師さんに押してもらいながら。
再会。
息子に管はいろいろ付いているが、生きていることを確認した瞬間に感動して涙がでてきた。
でも泣くと自分のお腹が痛くて苦しい。
私は早々に具合が悪くなってきたので短い間だけど息子に会えたことに満足し、病棟に戻った。
この日、夕方に車椅子に乗りながら洗髪してもらおうとしたが
お腹が痛すぎて断念した。
髪の毛はギトギトである・・・。
つづく・・・
身軽になったといっても、肋骨が痛くて正直動きたくなかった。
肋骨が痛いので最後の最後で、麻酔あとちょっと使いたい・・と思いながら管たちとバイバイした。
肋骨が痛いのは、術中に肋骨を器具で持ち上げるからこと。
お腹の傷跡を縦直線の10cm程度と最小限にしているので
術後は一定期間痛いかもしれないけど、ドナーにとっては傷跡が小さいほうがメリットが大きい。
(周りの肝臓ドナー友達(!?)の中で肋骨がしばらく痛かったのは私だけだった。)
術後はじめて自分でトイレに行ったときも大人げないがお腹が痛くて泣き叫んだ。
早い人では術後の翌日から歩けるらしいが、私はそんなの考えられる体調ではなかった。
※ドナーの術後の体調は個人差が大きいので、ドナーはみんなこうだと思わないでください。
私は普段運動もしていなかったので筋肉や体力が少なかったからだと思います。
移植手術後、5日後に私ははじめてICUにいる息子のもとへ向かった。
なんとか車椅子に乗り、私が入院する病棟の看護師さんに押してもらいながら。
再会。
息子に管はいろいろ付いているが、生きていることを確認した瞬間に感動して涙がでてきた。
でも泣くと自分のお腹が痛くて苦しい。
私は早々に具合が悪くなってきたので短い間だけど息子に会えたことに満足し、病棟に戻った。
この日、夕方に車椅子に乗りながら洗髪してもらおうとしたが
お腹が痛すぎて断念した。
髪の毛はギトギトである・・・。
つづく・・・
術後、私はICUで1泊。
夜中、吐きそうになるたびにナースコールを押すと、
毎回同じ部屋にいた小さな男の子が「おしっこ!」と言って
来てくれた看護師さんを呼び止めて、常に私は後回しになった。
昼間は人がある程度スタッフの人数がいるからかまってもらえるし、
ご両親のどちらかは来ているだろうからいいけど
この年頃の子にとって夜中のICU特に淋しいよな、なんてことを
吐き気を我慢しながら考えていた。
そうこうしているうちに朝になり、私は一般病棟に転棟。
病棟を移る前に、息子のベッドの前に私をベッドごと連れて行ってくれた。
息子は寝ていた。
私は具合が悪かったので、少しだけ見て移動してもらったが
「ああ、生きている。よかった。」と感謝した。
ーーーーーー 一般病棟に移動 ーーーーーーーーーーーーーー
予定では個室だったが、部屋が空いていなかったとの理由で大部屋に通された。
しかし、、、
ゴォォォォォォォォォォォ。(空気清浄機の音)
健康な人には気にならない音が、吐き気のする私にとっては目まいを加速させる音に聞こえる。
TVの音も同様。
どうやら術後は神経が過敏になるらしく、音に敏感になることがあるそうだ。
「助けてぇぇぇぇぇ、音に殺される(ToT)!!!!!!!」
本気でそう思ったし、そう言っていたと思う。
周りの人からすれば、音くらいで「何を大げさに」と思っていたであろう。
でも本当に音でさらに気持ち悪くなるのである。
きっと、同じ部屋にいた子どもたちも「頭の狂った大人が入院している」くらいに思っていたであろう。
泣きながら看護師さんに個室に移してほしいと何度もお願いした。
旦那は大の大人がワガママ言うなと、恥ずかしそうだったような気がする。
私にとっては一大事だったのだ。
なんとか、別の病棟の個室を手配していただき
無事移動できた。
個室の音は大丈夫だった。
つづく・・・
夜中、吐きそうになるたびにナースコールを押すと、
毎回同じ部屋にいた小さな男の子が「おしっこ!」と言って
来てくれた看護師さんを呼び止めて、常に私は後回しになった。
昼間は人がある程度スタッフの人数がいるからかまってもらえるし、
ご両親のどちらかは来ているだろうからいいけど
この年頃の子にとって夜中のICU特に淋しいよな、なんてことを
吐き気を我慢しながら考えていた。
そうこうしているうちに朝になり、私は一般病棟に転棟。
病棟を移る前に、息子のベッドの前に私をベッドごと連れて行ってくれた。
息子は寝ていた。
私は具合が悪かったので、少しだけ見て移動してもらったが
「ああ、生きている。よかった。」と感謝した。
ーーーーーー 一般病棟に移動 ーーーーーーーーーーーーーー
予定では個室だったが、部屋が空いていなかったとの理由で大部屋に通された。
しかし、、、
ゴォォォォォォォォォォォ。(空気清浄機の音)
健康な人には気にならない音が、吐き気のする私にとっては目まいを加速させる音に聞こえる。
TVの音も同様。
どうやら術後は神経が過敏になるらしく、音に敏感になることがあるそうだ。
「助けてぇぇぇぇぇ、音に殺される(ToT)!!!!!!!」
本気でそう思ったし、そう言っていたと思う。
周りの人からすれば、音くらいで「何を大げさに」と思っていたであろう。
でも本当に音でさらに気持ち悪くなるのである。
きっと、同じ部屋にいた子どもたちも「頭の狂った大人が入院している」くらいに思っていたであろう。
泣きながら看護師さんに個室に移してほしいと何度もお願いした。
旦那は大の大人がワガママ言うなと、恥ずかしそうだったような気がする。
私にとっては一大事だったのだ。
なんとか、別の病棟の個室を手配していただき
無事移動できた。
個室の音は大丈夫だった。
つづく・・・