1歳児、劇症肝炎〜肝移植 -14ページ目

1歳児、劇症肝炎〜肝移植

劇症肝炎を発症し、生体肝移植を受けた母子の記録。
すっかり元気になるまでの経緯を綴っております。

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私がICUに運ばれた後、息子が廊下を通るのが見えると聞いて
私はしばらく頑張って起きていた。
しかし、私はやはり意識がもうろうとしていたためか、
コンタクトレンズを外していたためか、
息子が廊下を通って行ったのがどのタイミングかよくわからないった。

夜、22時をまわった頃だろうか。
私のベッドのもとに旦那が来た。

旦那「T、また手術してきたんだよ。」
私「またって?」
旦那「手術が終わってICUに運ばれてから、治したほうがいい場所が見つかってまた手術してさっき戻ってきた。」
私「!?!?!?!?」

細かい理由はよく覚えていないが、念のため治しておいたほうがいいところが術後エコーで見つかり、再手術になったとのこと。血管がどうのこうの話していたような気がする。
病気が病気なだけに、念には念を入れて対処してださったようで、ホッとしたことだけは覚えている。



つづく・・・
PM3:00より少し前。

K原先生が私を起こしてくれた。

「お母さん、終わったよ!そこの時計見える?もう少しで3時でしょ?予定より少し早く終わったからね。もう少ししたらTくん廊下通るからね!」

あたりを見渡すとICU内の4人部屋だった。
私の口には酸素マスクが付いている。

「ああ、そういえば手術したんだったな。」
頭がボーーーッとしている。

その後、看護師さんとICUの先生がきて、寒くないか聞かれた。

ん?
そう言われてみると・・・、「寒い!!!!!!」
言われて初めて寒気があることに気がついた。
毛布をかけてもらった。

両足にはフットポンプがついていることにも気がついた。
慣れないからかマッサージ感覚で心地いい。
と、思ったのもつかの間、鎖骨が痛くなってきた(ToT)
(手術中、ずっと手を上に上げているので鎖骨が痛くなるそう。)

少し経った頃に義母が面会に来た。
何か話していたがあまり覚えていない。
看護師さんか先生が「あまり話していると気持ち悪くなりますよ~~」と教えてくれた。

間もなく・・・
私「は、は、は、吐きそう!!!!」
胃液を戻した。

ボーッとしているためか、言われて初めて「そうだったんだ」と思うことが多かった。
その後、旦那も来たがやっぱり何を話したのかはもう覚えていない。
指輪だけ、さっさと色気なく返してくれたことだけは覚えている。

つづく・・・
私は手術着に着替え、自分で歩けるけどベッドに横になったまま
個室から手術室へ運ばれた。

手術室に入る前、旦那が見送りに来てくれた。
貴金属を外す必要があるので指輪を預けた。
戻ってきてからちゃんと付けてね、と言って渡した。

初めての手術室。

手術台に移動。

「細っ。」
(声には出さないが、手術台を見た感想。)

手術台は体の幅より若干大きいくらいの横幅。
そりゃそうだ、手術だもん。
手術台が普通のベッドの幅だったら
先生たちは手が届かないし内蔵も見えない。
そんなどうでもいいことを考えていた。

助手?さん「貴金属類外していますか?コンタクトレンズは付いていませんか?」
私「貴金属は大丈夫です。コンタクトは・・ごめんなさい、ついてます。」
使い捨てのコンタクトレンズを付けていたので、
そのまま捨ててくださいと、コンタクトレンズを外して渡した。

次はいよいよ麻酔。

背骨のあたりから薬を入れる。
麻酔科の先生「痛かったら教えてください。」

思っていたよりも全然痛くない。

・・・と思ったら、


バンッッッ。

左腹の中で何かが爆発するような感じの痛みが走った。

私「バンッッッっていった!!!!」
周りの人「じゃあやめよう」

それから麻酔がいたむことはなかった。

だんだんフラフラしてきた感じがしてきた。
次はマスクを付けたら私は眠りにつくらしい。

zzzzzz・・・
(マスクを付けたことはもう覚えていない)


つづく・・・
AM8時から2回目の肝生検。
3月18日に行った肝生検の結果と今回の結果を比較する。

肝細胞が再生している傾向がみられる場合は手術はせずに
内科的治療を継続する。
肝細胞が再生している傾向がみられない、あるいは状態が悪化している場合は
予定していた肝移植手術が決行される。

ーーーーーーーーーーーー
AM8:00前。

手術室に入る息子をICUから見送る私。

息子は昨晩私が絵を描いた顔に張るテープ(鼻から入るチューブを止めるもの)も
ちゃんと顔に貼ってもらっていた。
こんな大切な手術のときに、いちばんふざけたキャラクターをあえてセレクトした。
(男なのにブラジャーを着けている人)

泣きそうになっている自分の気持ちを、
少しでも笑っていられる方向に軌道修正しようとしていたためだ。

でもやっぱり見送りながら泣いた。
(こんなとき、そんな小手先の手段なんか効かない。)

手術してもしなくても、どちらでもいいから、
元気になってくれさえすればいい。
・・・泣きたいときは泣いていい。

ーーーーーーーーーーーーー

私は手術の準備のため、自分が泊まっていた個室に戻った。

40分程経過した頃だろうか。
F先生が2回目の肝生検の結果を説明しにきてくれた。

F先生「見たんだけど、肝細胞が再生している状態ではなかったんだよね。だから予定通り手術をしようと思うんだけど、お母さん、いいかな?」
私「はい、よろしくお願いします!」

私の熱も37.1度以上あがらなかったこともあり、
肝移植手術をすることになった。


つづく・・
午前中に病院につき、間もなく病院の昼食がでて、
あっと言う間に夜になった感がある。

夕方、K先生が私のお腹をみにきて
「ここからここまで切りますからね」(真ん中10cmくらい)と。
手術を受けたことがないので、このときもまだお腹を切られるイメージがない。

この日、私の体温が普段より高く37℃程度だった。

私は普段からちょっとした寝不足だけで扁桃腺炎になりやすく、
息子の病気のことが気になったり
いろいろ思い出したりとで眠れずにいることがあり、まだ喉にきたようだ。

私に37.5℃以上の熱があれば手術はできない。
・・・今ならまだ寝れば私の喉はなんとか取り返しのつく状態なはず。


10年以上扁桃腺炎とお付き合いをしている私は
自分の喉がどんな段階なのか、感覚でわかっている。
また来たな、と思いながら眠れなかったりすると翌日高熱が出る。

今日はまだ大丈夫。

眠剤を処方してもらい、早めに就寝。
これでいけるはずだ。

翌日9時から肝生検があり、朝が早いので
旦那は私のいる個室に泊まった。